Archive for 6月, 2009


 第二次世界大戦の終戦直後、マックス・トゥーニーは愛用のトランペットを金に換えるために楽器屋を訪れた。彼は金を手にした後になって、店主にもう一度だけトランペットを吹かせて欲しいと頼む。彼の演奏を聴いた店主は、同じ曲がピアノで刻まれたレコードを持ち出し、曲と演奏者の名前を尋ねた。マックスは、「1900 (ナインティーン・ハンドレッド)」と呼ばれた男の物語を語り始めた。大西洋を果てしなく往復する豪華客船ヴァージニアン号に置き去りにされた小さな命。彼の名は1900。1900年に、この船で拾われた彼はこう名付けられた。船を下りることなく成長する1900は、88のピアノの鍵盤の上で才能を発揮した。自らの感性でのみ奏でられたメロディ。乗客の表情や仕種を見て紡ぎ出されていくメロディは、優しく力強い。素晴らしい音色は、万人を感動の渦中に巻き込んでいった。その噂は海を越え陸地にまで広がっていった。ジャズの戦いを挑まれても怯むことなくピアノを弾き続けた。ある日1900はふと「陸地から見る海はどうなのだろう」と思い親友にその想いを語った。そんな折り、窓越しに美しい少女を見た。そのとき、彼はやさしいメロディを弾き、感動的な音楽を奏でた。その少女の姿を船中探し回り、やっと三等船室で見つけるが、ごった返す群衆の渦に引き離され、彼女は消えていってしまう。しかし、想いを断ち切れない1900は、これまでいちども下りることをしなかった船のタラップに、その足を掛けるた。そこに広がるのはニューヨークの摩天楼。自分の終着点を見つけられないと不安を感じた彼は、一生を船の中で過ごすことを決意する。
 豪華客船の中で生まれ、生涯船を下りることのなかったピアニストの物語。『ニュー・シネマ・パラダイス』で全世界を涙と感動で包んだイタリア映画界の名匠ジュゼッペ・トルナトーレ監督が5年の歳月をかけここに新作を完成させた。彼自身の中では、過去最もスケールの大きな作品として、舞台に海を選んだ。ピアニスト1900を演じるのはティム・ロス。
 イタリア公開のオリジナル版は160分。アメリカで公開された125分のものはファイン・ライン・フィーチャーズによる製作で、タイトルやクレジットは英語になっている。日本で公開されたのもアメリカ版で、イタリア・アメリカ合作とされているのはそのためで言語は英語がメインになっている。『ニュー・シネマ・パラダイス』のときも興業での効率のためにシーンがカットされ、後になってさまざまなバージョンのDVDが発売されているが、日本ではこの『海の上のピアニスト』のオリジナル版のDVDは発売されていない。見てみたい気はする。ヴァージニアン号は実在する船で、1904年に完成し、1954年に廃船となった。主人公のピアニスト1900は、実在の人物がモデルとなっている。ティム・ロスは、激しい特訓を受け、劇的な演奏シーンや淋しげな眼差しが強烈な印象を残す。親友のトランペッターのマックスには、実力派プルート・テイラー・ヴィンスが扮し、いい脇役の味を出している。船上の少女には、400人以上のオーディションから選ばれたメラニー・ティエリーは扮し、短いシーンでありながら存在感を残している。そして肝心の音楽はイタリア音楽界の巨匠エンニオ・モリコーネ。『ニュー・シネマ・パラダイス』以降ジュゼッペ・トルナトーレ監督とコンビを組み、極上のスコアを作り上げている。画像も美しい。豪華客船ヴァージニアン号もスケール感も見せつける。全長154メートルのポーランド製の元貨物船を大幅に改造して再現された。
 正直、1900の言う「陸の人間」の気持とのずれはただ頑ななだけであるようにしか感じられないが、それは我々が「陸の人間」だからだろう。中で1900が言う、「いい物語があって、それを語る人がいるかぎり、人生、捨てたもんじゃない」。ラストシーンでマックスが繰り返すが、このセリフにこの映画は集約されているように感じる。スケールは大きく独りの人生を壮大に描いていて感動する。しかし『ニュー・シネマ・パラダイス』のノスタルジックをこの大作は超えられなかったように思う。しかし音楽好きにはたまらない作品だ。

◎作品データ◎
『海の上のピアニスト』
原題:La leggenda del pianista sull’oceano(英語タイトル:The Legend of 1900)
1998年イタリア・アメリカ合作映画/上映時間:2間05分./アスミックエース・日本ビクター配給
監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ/原作:アレッサンドロ・バリッコ/製作総指揮:ローラ・ファットーリ/製作:ピエトロ・イタリアーニ, フランチェスコ・トルナーレ/音楽:エンニオ・モリコーネ/撮影:ラホス・コルタイ
出演:ティム・ロス, ブルイット・テーラー・ヴィンス, メラニー・テイリー, ビル・ナン, クラレンス・ウィリアムズ3世

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆
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 高級車のディーラーをしているチャーリーは、幼い頃に母親を亡くし、厳格な父に育てられたチャーリー。父親の真の愛情に気付くことなく、憎しみだけを抱いたまま家を飛び出した。そんなある日、彼のもとにのもとに父の訃報が届いた。恋人のスザンナを連れ遺産目当てに故郷にかえったチャーリーは、遺産のすべてが、会ったこともない自閉症の兄レイモンドのものになると知る。困惑しつつも、300万ドルを越える遺産の相続人であるレイモンドを連れ出し、自分の自宅があるロサンゼルスへ向かった。しかしいつもと違うことをするのを不吉だと信じるレイモンドは、食事の時間も寝る時間も、1分たりともずれてはいけない。ベッドの位置も食事のメニューも、ホットケーキの食べ方さえも全てがいつも通りでないとだめなのだ。いつもと違うことが起こると極度の不安にかられるレイモンドに、チャーリーはいらだちと戸惑いを覚えた。しかし旅の途中、チャーリーはレイモンドの驚くべき能力を目の当たりにする。天才的な才能を持っているのに、外界とのつながりを持つことができないレイモンドと向き合う時間は、チャーリーの中の何かを変えていった。幼い頃に負った火傷、空想の親友だと思っていた「レインマン」の存在。不透明だった過去が旅の中で、次々と明らかになっていく。
 監督はバリー・レヴィンソン。原作のバリー・モローは脚本も執筆した。主演はダスティン・ホフマン、トム・クルーズ。アカデミー賞はじめゴールデン・グローブ賞、ベルリン国際映画祭などで作品賞を受賞。自由奔放な青年と、重い自閉症の兄との出会いと人間としての変化を描いたヒューマンドラマでありロードムービーでもある。レイモンドのモデルはアメリカやイギリスでその驚異的な記憶力が話題となったサヴァン症候群患者のキム・ピーク。
 弟トム・クルーズ、兄がダスティン・ホフマンの兄弟。この兄弟は別々に育ち父の葬儀で再会する。父親の財産を兄が相続に納得がいかない。そこで自閉症の兄の後見人になって自分が財産を管理しようとした。しかし幼いころのおぼろげだった兄の存在が蘇り大事な存在になってしまう。そして、本当に後見人になって面倒を見ようと誓う。旅の途中、兄の天才的な数字の才能を利用しカジノで大儲けをします。裁判で遺産目当てということで後見人は却下される。お互い別々に暮らすことになり最後は悲しい別れで終わる。
 レイモンドは1週間の食事のメニューと、見るテレビ番組を決めていて、思い通りにいかないと、パニックをおこす。飛行機もハイウェイも恐がる。下着はシンシナティのKマートで買わなければならない。そんなレイモンドに、ついにチャーリーはキレてしまう。自閉症を研究し尽くして演技に臨んだダスティ・ホフマンの表情や所作はすごかった。歩き方、身のこなし、パニック時の行動、自閉症の人の独特の雰囲気が驚くほどよく出ていました。この映画のヒットで、自閉症が広く認知されたとも言える。ただし映画を見た人の中には、レイモンドの自閉症が最後は完治したと思った人が多い。でも、自閉症は一生治らなかったのではなかったっけ。もっとも閉じこもりがちの鬱病や引きこもりなどを自閉症と総称する人もあって、それは治らないものではないと思う。でもここで見られるレイモンドの症状はいわゆる治療不可能な典型的な自閉症。そんなにこだわるべきことではないかも知れない。
 同じような自閉症を取り込んだ映画に『ギルバート・グレイプ』や『アイ・アム・サム』、すでに取り上げた『モーツァルトとクジラ』がある。比較できるものではないが、『ギルバート・グレイプ』のレオナルド・ディカプリオ、『アイ・アム・サム』のショーン・ペン、『モーツアルトとクジラ』のジョッシュ・ハートネットらはすべて熱演と言える素晴らしい演技だが、言葉・所作に限定して言えば、ダスティン・ホフマンがずば抜けてリアリティがあったと思う。ボクが鬱病に対して過剰なこだわりを持ってしまうように、自閉症を抱える家族にはある意味酷な映画かもしれない。
 ラストシーンがとても切なく哀しく感じたのはなぜだろう。

◎作品データ◎
『レインマン』
原題:Rain Man
1988年アメリカ映画/上映時間:2間14分./ユナイテッドアーティスツ配給
監督:バリー・レビンソン/原作・脚本:バリー・モロー/製作総指揮:ピーター・グーマン, ジョン・ピーターズ/製作:マーク・ジョンソン/音楽:ハンス・ジマー/撮影:ジョン・トゥール
出演:ダスティン・ホフマン, トム・クルーズ, ヴァレリア・ゴリノ, ジェリー・モレン, ジャック・マードック

recommend★★★★★★★★☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆

 北イラクでの遺跡発掘を調査していたアメリカの古生物学者でありカトリックの神学者でもあるメリン神父は、発掘中に悪霊パズズの像を発見した。それは、10年前にアフリカで彼と死闘を交えた悪霊であった。メリン神父はこの邪悪な宿敵と再戦する日が近いことを予感する。パズズのターゲットは、アメリカ合衆国であった。女優のクリスは、映画撮影のためワシントンのジョージタウンに滞在していたが、屋根裏で響く異様な物音に悩まされていた。鼠か何かだと思っていたが、ひとり娘であるリーガンの異変に気付いた。各界の名士を集めたリーガンの誕生パーティの夜だった。リーガンがベッドから起きて居間へやってくると、客の1人である宇宙飛行士に向かって「おまえは宇宙で死ぬぞ」といってその場に放尿した。その夜リーガンのベッドが巨大な何者かに揺られているように揺れ動いていた。リーガンの声は邪悪な響きを帯び、形相も怪異なものに豹変、荒々しい言動は日を追って激しくなった。クリスが主演した映画の監督が奇怪な死に方をし、キンダーマン警部がクリスの家に出入りし始めた。ついには医者からも見放されてしまう。娘が悪霊に取り憑かれたと知ったクリスは、カラス神父に悪魔払いを依頼する。悪魔憑きに否定的なカラス神父であったが、調査を進めていくうちに、リーガン自身からの救済のメッセージを発見する。カラス神父は悪魔払いの儀式を決意、大司教に許可を依頼する。主任には、悪魔払いの経験があるメリン神父が選ばれた。そしてふたりの神父は、少女リーガンから悪霊を追い払うため、壮絶な戦いに挑むが、メリンは心臓発作で倒れてしまった。その彼の顔が突然、悪魔の形相となり、そのまま窓から表に身を投じた。石段を転落して行くカラスの死体。2人の神父の死によって、とうとう悪魔はリーガンの肉体を離れ、滅び去ったのだった。
 20世紀後半のワシントンで、12歳の少女に悪魔がとりつき、肉体から悪魔を追放するために立ち上がった悪魔払い師の恐怖の戦いを描く。ウィリアム・ピーター・ブラッディの同名小説を原作とし、作者本人が脚色を行っている。監督は『フレンチ・コネクション』のウィリアム・フリードキンが担当。主題曲として使われた「チューブラ・ベルズ」も映画の印象を忘れられなくしてくれている。少女に取り憑いた悪魔とキリスト教の神父との壮絶な戦いを描いたオカルト映画の傑作。リアルに描かれたショックシーンが話題を呼び、世界中で大ヒットした。マックス・フォン・シドーやリー・J・コッブなど格調高い出演陣、『フレンチ・コネクション』でアカデミー監督賞を受賞し演出の手腕は証明されているウィリアム・フリードキンによって、これまでのただ驚かせるだけの恐怖映画とは違い完成度の高い作品となっており、公開から35年以上経過した現在でも高く評価されている。ホラー作品でアカデミー脚本賞受賞したのは珍しい。「エクソシスト」とは、「悪魔払いの祈祷師」という意味。
 映画の話題作りのため、フリードキンが撮影中の事故を誇張してマスコミに語ったため、都市伝説となった。公開当初、リーガン役はリンダ・ブレアがひとりで演じたことにしてあり、スタントや悪魔の声を吹き替えた役者の名前がクレジットされなかったため、訴訟になったという経緯もある。当初アメリカではR指定だったが、余りのショッキングさに世論が規制強化を要望、18歳未満は鑑賞できなくなった。イギリスやドイツでも規制がかかり、上映後に発生した事件と映画との関連が取りざたされたりもした。
 70年代、この映画からオカルトホラーというジャンルがホラーと区別されてブームとなったほど。またホラーはB級という概念を覆したとも言える。『エクソシスト』はシリーズ化されパート3まで作成されそのあと『エクソシスト・ビギニング』というのが作られている。続発する超常現象や悪魔に憑依されたリーガンの衝撃なシーンの連続。360度開店する首。身体が中に浮き、緑色の吐瀉物を吐く。クライマックスではエクソシストとして悪魔との戦いに凄まじさを増す。西洋医学、キリスト教、さまざまな背景の中で悪魔の存在を唱っている分、重厚で社会現象までになったオカルト映画のフロンティア的存在だ。2000年に公開された『エクソシスト/ディレクターズカット版』もまた、蜘蛛歩きの場面やサブリミナル効果の挿入、追加、変更された箇所などを加えオリジナル映像にデジタル技術でより恐怖の演出が再編集されている。『エクソシスト』はこれからもホラー映画の歴史の一部として語り続けられる作品だろう。

◎作品データ◎
『エクソシスト』
原題:The Exorcist
1973年アメリカ映画/上映時間:2間2分./ワーナーブラザーズ映画配給
監督:ウィリアム・フリードキン/原作・脚本・製作:ウィリアム・ピーター・ブラッディ/製作総指揮:エル・マーシャル/音楽:マイク・オールドフィールド, ジャック・ニッチェ/撮影:オーウェン・ロイズマン/特殊メイク:ディック・スミス/特殊効果:マルセル・ヴェルコテレ
出演:エレン・バースティン, リンダ・ブレア, ジェイソン・ミラー, マックス・フォン・シドー, リー・J・コップ

recommend★★★★★★★★☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆

 3つの時代の、3人の女たちの、それぞれの1日が始まろうとしていた。1923年、イギリスのロンドン郊外、リッチモンド。作家であるヴァージニア・ウルフの病気療養のため夫妻で移り住んできた。物静で優しい夫のレナードをよそに、彼女は書斎でゆっくりと呟く。「……ミセス・ダロウェイは言った、花は私が買ってくるわ」。傑作「ダロウェイ夫人」が仕上がろうとしていた。1951年、ロサンゼルス。閑静な住宅地に住む主婦ローラ・ブラウンは、ベッドの中で1冊の本を手にしている。「……ミセス・ダロウェイは言った、花は私が買ってくるわ」。ローラは夫ダンの求める主婦像を演じることに疲れ果てていた。夫の誕生日、パーティのために息子リッチーと一緒にバースデイケーキを作り始めた。そして現代2001年、ニューヨーク。編集者クラリッサ・ヴォーンは、同棲している恋人サリーに言った。「サリー、花は私が買ってくるわ」。エイズに冒されている親しい友人の作家リチャードが栄誉ある賞を受賞したのを知り、元気付けるためにクラリッサは祝賀パーティを企画した。話は戻って同じ日のヴァージニア、自宅に、姉のヴァネッサが訪ねて来た。ロンドンでの話に花を咲かせる。夕方、突然ヴァージニアはロンドンに向うため駅へと向かった。後を追った夫レナードに、すべての苦悩を爆発させるヴァージニア。彼は彼女の叫びにロンドンへ戻ることに同意するのだった。ローラは息子と作ったバースディケーキがうまく仕上がらず、いらつく彼女のところへ親友のキティがやってきた。キティを見送った後、綺麗にバースデイ・ケーキを作り直せたローラは、ある決意を胸にノルマンディ・ホテルへと向かった。クラリッサはパーティの準備をしていた。リチャードの元恋人ルイスが訪ねてきた。ルイスとリチャードは、昔話をし始めた。懐かしい日々の話を聞いてクラリッサは泣き始める。昔、リチャードが自分につけたニックネーム「ミセス・ダロウェイ」を忘れられず、彼の世話を何年も続け感情を抑え込んで生きてきた。夜が訪れる。3つの時代の、3人の女たちの1日は、それぞれ終わりへを迎えていた。時間・場所の違う3人の女性の1日がはじまり、終わり、「ダロウェイ夫人」を通じて3人の関係が繋がっていった。
 監督は『リトル・ダンサー』のスティーヴン・ダルトリー。『めぐりあう時間たち』『愛を読むひと』と監督作3作ともがアカデミー賞で作品賞と監督賞にノミネートされている。本作ではアカデミー賞で9部門にノミネートされ、特殊メイクをしてヴァージニア・ウルフをそっくりに演じたニコール・キッドマンがアカデミー主演女優賞をはじめジュリアン・ムーア、メリル・ストリープの3人ともが数々の演技賞を受賞している。3人は、それぞれ設定が違う時代だったため、撮影でいちども顔を合わせなかったらしい。当初はアンソニー・ミンゲラが監督する予定だった。
 時を超えて企画される3つのパーティ。ひとつは1923年ロンドン郊外、「ダロウェイ夫人」執筆中の作家ヴァージニア・ウルフが姉とティータイムをするため。ひとつは1951年ロサンジェルス、「ダロウェイ夫人」を読む妊娠した主婦ローラが夫のために催す誕生パーティ。そして現代、2001年ニューヨーク、「ダロウェイ夫人」と同じあだ名を持つ編集者クラリッサのエイズで死に行く友人の作家を祝福するために受賞パーティ。それぞれの時間に生きる3人の女が、「ダロウェイ夫人」をキーワードに繋がってゆく。自分の居場所を見つけ、自分らしく生きていく人生を送るのは、難しい。映画はある1日を引きずり出して、我々に問いかける。ケーキをつくるのは夫を愛している証拠と息子に言いながら主婦ローラは、誰のために生きているかわからない。何年も自分を抑えながら愛する友人の看護をするクラリッサは、それでも自分の思い通り人工授精で娘を産んでいたりもする。精神を患い、夫を思う作家ヴァージニアには自ら死を選んでいく方法るしかなかった。人は皆、多かれ少なかれ、自分の生きている時間と周囲に縛られて生きている。その中で、どう考え行動するか、強く訴えかけてくる。時間軸が飛び交い疲れそうに思うが、実によく整理され、テーマは難解でありながら、オープニングからクライマックスまで一気に引き込まれてゆく。とても知的な映画であり、深いテーマを持っている。3つのエピソードが絡まっていく構成と主演女優たちのアンサンブルが実に見事であり、脇を演じるエド・ハリス、トニ・コレット、クレア・デーンズ、ミランダ・リチャードソンなども素晴らしい。ボクは中でもエド・ハリスを評価したい。生と死、家族、愛、セクシャリティ、孤独といった事柄が彼によって重量を増したと思う。地味にスルーされているが、もっと評価されていい映画だと思う。

◎作品データ◎
『めぐりあう時間たち』
原題:The Hours
2002年アメリカ・イギリス合作映画/上映時間:1時間55分/アトミックエース・松竹配給
監督:スティーヴン・ダルトリー/原作:マイケル・カニンガム/脚本:デイヴィッド・ヘア/製作総指揮:マーク・ハッファム/製作:ロバート・フォックス, スコット・ルーディン/音楽:フィリップ・グラス/撮影:シーマス・マクガーヴィン
出演:ニコール・キッドマン, ジュリアン・ムーア, メリル・ストリープ, エド・ハリス, トニ・コレット

recommend★★★★★★★★☆☆
favorite     ★★★★★★★★☆☆

 フランキーはかつて止血係として仕事に就いていたあと、ロスアンゼルスでトレーナーとなってジムを経営し、多数の優秀なボクサーを育ててきた。彼は、ボクサーの安全を考えてしまい、慎重な試合しか組まない。言葉足らずで血気盛んなボクサーたちに逃げられ続けていた。やがてその不器用さは家族に及び、娘のケイティとは音信不通。そんなフランキーのジムの戸を叩いたのは、トレイラー・ハウスで貧しい生活をし、家族が崩壊しているマギー・フィッツジェラルド。彼女は死んだ父親以外から優しくされたことがなかった。プロボクサーとして成功して自分の価値を証明したかった。つい最近まで手塩にかけて育ててきたビッグ・ウィリーに逃げられたばかりのフランキーは、マギーのトレーナーになることを拒んだ。しかし毎日ジムにやって来るマギー。旧友で雑用をしている元ボクサーのエディ・デュプリスが彼女の素質を見抜いて同情し、次第にフランキーはマギーをコーチングしはじめる。そしてやがて2人の間に強い絆が芽生えて行った。マギーは、試合で勝ち続けて評判になりはじめるようになった。階級を上げることになり、ウェルター級でイギリスのチャンピオンとのタイトルマッチにたどり着いた。アイルランド系のカトリック教徒のフランキーは、背中にゲール語で「モ・クシュラ」と書かれた緑色のガウンをマギーに贈る。勝ち続け「モ・クシュラ」とマギーが呼ばれるようになったころ、フランキーは反則だらけの危険な相手として避けてきたWBA女子ウェルター級チャンピオンで「青い熊」と言われているビリーとの試合を決める。100万ドルのビッグ・マッチはマギーが勝ったと思われた、ラウンド終了後、ビリーは反則パンチを不意打ちにマギーに浴びせ、マギーはコーナーの椅子に首を打ちつけ、骨折し、全身不随となってしまう。フランキーは怒りと自己嫌悪に苛まされ、誰の支えもないマギーは完治の見込みがないことで絶望してしまう。やがてマギーは自殺未遂をするようになり、遂にはフランキーに安楽死の手助けを依頼する。フランキーは苦しみ続けるマギーへの想いと、カトリックのタブーとのはざまで苦悩する。ガウンに綴られた「モ・クシュラ」に込めた気持ちをマギーに伝えたフランキーは、意識朦朧のマギーにアドレナリンを過剰投与し、病室から姿を消すのだった。
 誰からも愛情を受けたことのない孤独な女性と、誰にも愛情を表現できない不器用な老年の男の間にボクシングを通じて芽生えた、愛の物語である。アカデミー賞で、有力視されていた『アビエーター』を抑え、作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞の主要4部門を獲得した、クリント・イーストウッド監督の作品。2000年に発表されたF・X・トゥールの短編集“Rope Burns : Stories From the Corner”を元にポール・ハギスが脚本を担当している。PG-12指定になっている。3000万ドルの低予算、37日という短期間で製作されている。
 感動はするもののボク個人的には『ミスティック・リバー』の方が好きで、しかし、賞レースなどでは『許されざる者』や『ミリオンダラー・ベイビー』の方が評価されている。興行収入でも『ミリオンダラー・ベイビー』は成功を収めている。戸惑いを感じるのはテーマに「尊厳死」という極めて難しい価値観を問われるせいだと思う。実際、『ロッキー』の女性版を彷彿とさせる冒頭から途中までと「尊厳死」を肯定するかのような作風に賛否両論の議論を巻き起こした。ストーリーそのものは斬新でも何でもない。ボクシング映画なのに派手さは全くなく、暗くて湿っぽい映像だ。ただそれは、もしかしたら監督の狙うところで哲学が感じられる。辛すぎるほど哀しい。マギーは一生不幸なままで、唯一、フランキーとの日々とボクシングへの情熱、勝ち続けていた栄光の日々だけが、マギーの幸せな人生だ。しかし、その短い日々は何ものにも替え難い最高の日々だったのだろう。絶望を絶望のまま、同情のように終わらせる結末が余りにも観ていて苦しくなる。
 それにしても主演3名の演技が本当に素晴らしい。

◎作品データ◎
『ミリオンダラー・ベイビー』
原題:Million Dollar Baby
2004年アメリカ映画/上映時間:2時間13分/松竹配給
監督・音楽:クリント・イーストウッド/原作:F・X・トゥール/脚本:ポール・ハギス/製作総指揮:ロバート・ロレンツ, ゲイリー・ルチェシ/製作:ポール・ハギス, トム・ローゼンバーグ, アルバート・S・ルディ/撮影:トム・シュテルン
出演:クリント・イーストウッド, ヒラリー・スワンク, モーガン・フリーマン, アンソニー・マッキー, マイケル・ペーニャ

recommend★★★★★★★★★☆
favorite     ★★★★★★★☆☆☆

 1950年代のアメリカ。幼い頃から歌手として活躍していたジューン・カーターは、ジョニー・キャッシュにとって憧れの存在。そしてジューンもジョニーの才能を早くから認めていた。ジョニーは優秀な兄を持ち、父はろくでなしの方を持っていかなかったと神を罵る。ジョニーは深い傷を被いながらも、兵役に出てやがて家庭を持つ。しかし、生活は困窮を極め、ジョニーはレコード会社で飛び込みのオーディションを受け、合格、レコードを出せることになる。妻子を残し全米ツアーに出た彼は、憧れのカントリー歌手、ジュ-ンと運命的に出会う。音楽という共通の分野で尊敬し合っていた2人は、初めて言葉を交わした日から強い力で惹かれあっていく。何度かすれ違いで距離を置いた2人だが、さらに数年後に再会し、ジョニーの説得で2人は再びツアーを共にするようになる。レコード会社の移籍で100万ドルを手にする大スターとなっていたジョニーは、しかし、妻との関係もうまくいかずドラッグに溺れるようになっていた。そんなジョニーの精神的な支えになったジューンとジョニーはついに一夜を共にしてしまう。それでもジューンが恋愛関係を拒んだことで、ジョニーはますますドラッグに溺れていく。ステージ上で意識を失くす失態を演じ、ツアーは中止、さらにメキシコからドラッグを密輸して逮捕。そしてキャリアも家庭も失い、ひとりドラッグに溺れるジョニーだった。ジューンだけは決してジョニーを見捨てず、ただ独り、辛抱強く介抱を続けた。
 実在した1950年代のカリスマスター、ジョニー・キャッシュの半生に迫った真実の愛の軌跡。監督は『17歳のカルテ』や『アイデンティティ』のジェーム・マンゴールド。主演のジョニーを『グラディエーター』のホアキン・フェニックスが、ジューンをリース・ウィザースプーンが演じる。当時はアカデミー賞最有力候補作のひとつと騒がれた。
 栄光と挫折のはざまで、さまざまな困難を乗り越え結婚したジョニー・キャッシュとジューン・カーターとの十数年におよぶ愛のドラマを、魂の音楽とともにつズづる感動のラブ・ストーリーだ。注目すべきは歌のシーンをすべて吹替えなしで演じた主演のホアキン・フェニックスとリース・ウィザースプーン。プロ級の歌唱力(プロ級と言われたところには少し疑問が残るが)とその表現力が高く評価され、2人揃ってゴールデングローブ賞を受賞、アカデミー賞へはリース・ウィザースプーンのみ受賞し、ホアキン・フェニックスはノミネートにとどまった。ホアキン・フェニックスは体の奥深くから絞り出される魂の叫びのような低音ボイス。重厚で深みのあるキャッシュの歌と生きざまを魂のレベルで再現してみせた。闇に導かれる生き方を歌で表現したとも思える。実在のジョニー・キャッシュは2003年に他界している。ミュージシャンの栄光、ドラッグでの挫折、そして復活への道程、ありがちなミュージシャンの復活の物語に思えるが、最後まで印象的な、ジョニーの繊細さが後に残る。そしてこれもまた予想を超えるライブパフォーマンスをこなし、母として女としてのジューンの苦悩と強さを見事に演じ切ったリースウィザースプーン。ともに吹き替えなしで歌声を披露。2人の迫真の演技と真実のストーリーが観る者の心を打つ。ただのアイドルだと思っていたリース・ウィザースプーンの器用さには感服するが、ボク個人的には自分をも傷つけてしまうガラスの危うさと、周囲を強烈に惹きつける男性像の共存を魅せたホアキン・フェニックスの熱演が素晴らしい。
 兄が事故死して以来、キャッシュは自分が生きているのは何かの間違いだという悪夢に取り憑かれ、苦しみ続ける。誠実でナイーブで不器用な生き方と、苦しみから逃れたいという悲痛の叫びが、ホアキン・フェニックスの肉体と声を通して画面に炸裂する。優秀な兄リバー・フェニックスを持っていたホアキン・フェニックスは、兄に嫉妬しながらも、兄の死後、パニックに陥りながら、兄を今にも超えような俳優になった。そして、今回の役が兄を失って失意のどん底に落ちる男。しかもその男は、リバー・フェニックスと同じ、音楽を愛し、ドラッグに溺れたのだ。兄と自分を同時に体現したような映画。それが彼に熱演に火をつけたと思うのはボクだけだろうか。

◎作品データ◎
『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』
原題:Walk the Line
2005年アメリカ映画/上映時間:2時間16分/20世紀フォックス映画配給
監督:ジェームズ・マンゴールド/原作:ジョニー・キャッシュ/脚本:ギル・デニス, ジェームズ・マンゴールド/製作総指揮:ジョン・カーター・キャッシュ, アラン・C・ブロンクイスト/製作:キャシー・コンラッド, ジェームズ・キーチ/音楽:T・ボーン・バーネット/撮影:フェドン・パパマイケル
出演:ホアキン・フェニックス, リース・ウィザースプーン, ロバート・パトリック, ジェニファー・グッドウィン, ダラス・ロバーツ

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★★★☆☆

 1952年、アメリカ北東部メイン州の町グレイヴズタウンで驚くほど小さな赤ん坊サイモンが生まれた。医師は長くはもたないと判断したが、サイモンは1週間、1年と生き続けた。両親はそんなサイモンを恥じ無視した。サイモンは「神様が小さな身体をくれたのはなにか使命があるからだ」と信じるようになる。サイモンが12歳になったころ、私生児としていじめられているジョーと親友になった。ジョーは、母親のレベッカが高校3年生の時に産んだ子、しかし誰が父親かは頑として口を閉ざしていた。サイモンは、レベッカを慕い、レベッカもサイモンを慈しんでいた。夏の日にサイモンがピンチヒッターとして野球の試合に出た時に事件が起きた。サイモンが打ったホームランボールがレベッカを直撃、レベッカは急死してしまったのだ。冬になり、ジョーは日曜学校のキャンプに参加した。サイモンはふとしたことからジョーの本当の父親が町の牧師であることに気づいた。同じころジョーも父親である牧師の告白を受けていた。帰りのバスにキャンプの参加者と一緒に乗り込んだジョーとサイモン。しかし、バスは事故を起こし、川に突っ込んでしまう。沈むバスの中、サイモンは窓の隙間をくぐって子どもたちを救出、危篤状態に陥る。瀕死の床でサイモンはジョーに「僕の小さな身体に意味があっただろう?」とつぶやく。小さな窓の隙間から救出を出来得たのはサイモンしかいなかったのだ。サイモンの死後、ジョーは少年時代の思い出を胸に、強く生きていくのだった。
 ある少年の数奇な運命を描く感動ドラマ。「ガープの世界」「ホテル・ニューハンプシャー」で知られる現代米国文学の旗手、ジョン・アーヴィングのベストセラー「オーエンのために祈りを」を原作に同作の一部を初監督作となるマーク・スティーヴン・ジョンソンの監督・脚本で映画化したもの。主演はこの映画のために抜擢されたイアン・マイケル・スミスと「ロストワールド」のジョゼフ・マゼロ。脇を固める俳優陣は豪華でオリヴァー・プラット、デイヴィッド・ストラザーン、アシュレイ・ジャッドなどが主役の少年2人を引き立てるほか、ジム・キャリーがノー・クレジットでナレーターを兼ねて大人になったジョーとしてカメオ出演しているのが話題だった。
 ジョン・アーヴィングの小説は全体的に難解で映画化が困難とされている。「オウエンのために祈りを」もそのまま映画化できず、部分的に映像化したものだ。映画らしい独特の世界を持つ完成された作品となっているが、読んでいないけれどもきっと原作はもっと複雑なものだったように感じる。前半、自分の存在を理解するために、神様は計画があって自分を生かしているのだと言うサイモンの信心を尊重するレベッカと、ジョーのそれぞれ交錯している愛情の構図があり、それが崩壊したときの、バランスのずれを埋めるものと、ジョーの父親探し、サイモンに課せられた使命は何かを手繰りながらクライマックスへと話が展開してゆく。窓の大きさや潜っている時間の長さなどは出来すぎているが、見事な伏線として前半のテンポよいコメディタッチが活きてくる。この映画はいわゆる難病もの。しかし暗くなくウィットを利かせた作りになっているのがいい。ふたりの少年の好演も瞼に残る余韻を残してくれている。そして、物語半ばでいなくなってしまうレベッカを演じるアシュレイ・ジャットがとても美しい。またレベッカの恋人役のオリバ-・プラットもいい味を出している。滑稽さと悲哀さを混在させるアメリカの片田舎の風景がノスタルジックな記憶を呼び起こしてくれるような優しく美しい映画になっている。
 サイモンが自分のことを「神の道具」だと表現するくだりは、ちょっとコンプレックスなのかと感じたが、それは「英雄」へと繋がっていく実に力強い信念であって、「自分は生きていていいんだ」といちばん信じたいのはサイモン自身ではないかと感じた。少し宗教色が強く、理解のない人々や親の無関心など、理不尽な要素は多いものの、不自由な体を持つ主人公の映画にありがちな悲壮感はほとんどなく、むしろ、それを反発として自分の生きる意味を探し続けたサイモンの姿に感動できる。サイモンは死んでしまうのに見終わったあと、妙に爽快な気分にさせてくれる貴重な映画だと思う。

◎作品データ◎
『サイモン・バーチ』
原題:Simon Birch
1998年アメリカ映画/上映時間:1時間53分/ブエナビスタインターナショナルジャパン配給
監督・脚本:マーク・スティーヴン・ジョンソン/原作:ジョン・アーヴィング/製作:ローレンス・マーク, ロジャー・バーンバウム/音楽:マーク・シャイマン/撮影:アーロン・シュナイダー
出演:ジョセフ・マゼロ, イアン・マイケル・スミス, オリバープラット, デヴィッド・ストラザーン, ダナルヴェイ

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★★★☆☆

 1899年当時西プレインの州都だった自由都市ダンツィヒ、そのさらに郊外のカシュバイの荒れ果てた地で4枚のスカートを履いて芋を焼いていたアンナは逃げて来たコリャウチェクをスカートの中にかくまった。その時にできた子、アグネスは第一次世界大戦後、ドイツ人のアルフレードと結婚するが、いとこのポーランド人ヤンと愛し合い、オスカルという名の男の子を産んだ。1924年3歳になったオスカルにアグネスはブリキの太鼓をプレゼントする。その日に大人たちの醜態を耐えられないと思ったオスカルは大きくなるのを拒み、自ら階段から転落をして成長を止める。周囲は転落が原因だと信じた。このときオスカルには太鼓をたたきながら叫び声をあげるとガラスが割れるという力を身につけた。オスカルは、アグネスとヤンがいまだに逢い引きを続けているのを知った時市立劇場のガラスをその力を使って割った。そのとき第三帝国を成立させ、ダンツィヒを狙うヒットラーの声が町中のラジオに響いた。ある日両親といっしょにサーカス見物に出かけたオスカルは、そこで10歳で成長を止めた団長のベブラに会い、小さい人間の生き方を聞いた。アグネスは再び妊娠し、精神を病んだアグネスは魚ばかりを貪るようになり自殺してしまう。やがて、ナチ勢力は強くなり、1939年9月1日、ポーランド郵便局襲撃事件が起こる。ポーランド人のヤンは銃殺された。母親代わりに少女マリアが来て、オスカーはベッドを共にする。マリアはアルフレードと結婚してクルトという男の子を産むが、オスカーは自分の息子だと思いこむ。3歳になったらブリキの太鼓をあげると約束した。オスカーはベブラ団長と再会し、サーカス団員として慰問に出かける。団員のロスヴィーダと恋に落ちるが、連合軍の襲撃を受けて、ロスヴィーダも死んでしまう。オスカーはクルトの3歳の誕生日に家に帰った。それはドイツ敗戦の前夜。ソ連軍にアルフレードも射殺され、葬儀の日、ブリキの太鼓を棺の中に投げ、彼は成長することを決意するオスカル。その時、彼はクルトが投げた石で気絶する。アンナはオスカルを介抱しながらカシュバイ人の生き方を語る。そして成長をはじめたオスカルは、アンナに見送られ、汽事に乗ってカシュバイの野から西ヘと向かっていった。
 第一次大戦とニ次大戦の間のダンツィヒの町を舞台に3歳で大人になることを拒否し自らの成長をとめた少年オスカルと彼の目を通して見た大人の世界を描く。「ブリキの太鼓」はドイツの作家ギュンター・グラスが1959年に発表した長篇小説。続いて書いた「猫と鼠」と「犬の年」ともに、いわゆる「ダンツィヒ三部作」と言われていて、第二次世界大戦後のドイツ文学における最も重要な作品のひとつに数えられる。この映画はその原作を1979年にフォルカー・シュレンドルフによって映画化されたものである。1979年度カンヌ国際映画祭パルムドール、アカデミー外国語映画賞を受賞している。
 正直、この映画を理解するには自由都市の時代からのダンツィヒの町の歴史を知らないと難しいかもしれない。原作は、現実と幻と夢が交錯し、毒舌が過ぎ、そこにスラブ調の雰囲気が加わって寂しいらしい。この大作を映画化するのは無理だと言われ、映画は原作の途中までを映像化しているようだ。この映画はホラーというよりはオカルト映画の部類に入れたいが、シリアスドラマでも構わない。だが、エロチックでグロテスクな表現と少年の異様さからオカルト映画としてとらえることにした。いかにも悪魔的要素を湛えた少年をダーヴィット・ベンネントは本当に不気味に演じ、驚かされる。ブリキの太鼓、スカートの中、少年の超能力的力、小さな人々、歴史的背景、戦争と侵攻、ナチスの独裁、あまりにも多くの要素の中に、オスカルの強い意志や悪魔的思考、そしてその壊れやすさに引き込まれてしまう。何となくおぞましい映画だ。ボクらは同じく第二次世界大戦をおこしたドイツと日本でありながら、決定的な差異というものを感じると思う。ポーランドの激動史を描いた作品は稀有なだけにチェックしておきたい。

◎作品データ◎
『ブリキの太鼓』
原題:Die Blechtrommel(英語タイトル:Tin Drum)
1979年西ドイツ・フランス・ポーランド・ユーゴスラビア合作映画/上映時間:2時間22分/フランス映画社配給
監督:フォルカー・シュレンドルフ/原作:ギュンター・グラス/脚本:ジャン・クロード・カリエール, ギュンター・グラス, フォルカー・シュレンドルフ, フランツ・ザイツ/製作:アナトール・ドーマン, フランツ・ザイツ/音楽:モーリス・ジャール/撮影:スザンネ・バロン
出演:ダーフィト・ベンネント, マリオ・アドルフ, アンゲラ・ヴィンクラー, カタリーナ・タールバッハ, ダニエル・オルブリフスキ

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆

 ロシアのとある裁判所で、ある殺人事件に結論を下す瞬間が近づいていた。被告人はチェチェンの少年、ロシア軍将校だった養父を殺害した罪で第一級殺人の罪に問われていた。検察は最高刑を求刑。有罪となれば終身刑だ。3日間にわたる審議も終了し、市民から選ばれた12人の陪審員による評決を待つばかりになった。12人の男たちは指定された学校の体育館に通されて、全員一致の評決が出るまでの間、幽閉される。バスケットボールのゴールや格子の嵌められたピアノといった備品に囲まれた陪審員たち。審議中に聞いた証言や証拠品、さらには個人的な予定の思惑もある者もいて、短時間の話し合いで有罪の結論が出ると思われた。すぐに挙手による投票が行われた。しかし、陪審員1番が有罪に同意できないと言い出した。陪審員1番は結論を出すには早すぎるのではないかと他の11人に問いただした。話し合うために、再度投票を行おうと提案。その結果、無実を主張するのが自分ひとりであったなら有罪に同意をすると言いだした。無記名での投票の結果、無実票が2票に増えた。新たに無実票を投じたのは、穏やかな表情を浮かべる陪審員4番だった。ユダヤ人特有の美徳と思慮深さで考え直したと前置きし、裁判中の弁護士に疑問が湧いたと語る。被告についた弁護士にやる気がなかったと主張した。このひとりの翻意をきっかけに、陪審員たちは事件を吟味する中、自分の過去や経験を語りだし、裁判にのめりこんでいった。
 1957年に製作されたアメリカ映画の『十二人の怒れる男』は社会正義を謳いあげた法廷ドラマとしてアメリカ映画史に法廷映画の不朽の名作として燦然と輝いている。この法廷ドラマの原点に新たに挑んだのは、『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』や『黒い瞳』、『太陽に灼かれて』『シベリアの理髪師』などのロシア映画界の名匠、ニキータ・ミハルコフ。アメリカ版の脚本の骨子を忠実に再現しながらも、現代ロシア社会の抱える混乱、偏見を鋭く抉り出し、現代ならではのドラマに仕上げている。少年をチェチェン紛争の孤児にするなど、背景に現代ロシアが抱える社会問題を大きく取り上げているわけだ。目撃者もあり、容疑は明白。さまざまな分野から任意に選ばれた陪審員たちも審議は簡単に結末を迎えると思われた。もはやオリジナル作品の時代のようには、社会正義を強調するほど短絡ではなくなってしまった世界を前にしながら、ミハルコフはそれでも人間に対する希望を失わずに描き、演じる。ヘンリー・フォンダのような独壇場ではなく、全員の背景と主張を丁寧に描いている。そして12人の生活、偏見、固執が浮き彫りになっていく。表面的な自由主義体制になったあげく、経済至上の風潮からモラルを失ってしまったロシアの人々の失意が、緊迫のドラマに一貫して隠れている。コンパクトにまとめあげられたアメリカ映画と違うのは、ひとりひとりに丁寧に焦点を当て、人物像をきめやかに描いている点。そして、密室ではありながら、少年の映像が挿入されたり、チェチェンの実情のシーンが挿入されたり、深刻さを鮮烈に観る者に与えるように作られている。俳優それぞれも見事な演技力を披露してくれる。緊迫感のなかに、ロシアの希望を語りかける渾身のドラマだった。ヴェネツィア国際映画祭で監督のニキータ・ミハルコフは、特別銀獅子賞を受賞したほか、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。
 個人的には、アメリカ版の『十二人の怒れる男』の登場で度肝を抜かれたインパクトは見出せず、それをロシアに置き換えたときの違いを堪能する感じに終わった。『12人の優しい日本人』くらい設定を変えてしまえば、またそれはそれで違った印象になったろう。
 裁判員制度が騒がれる中、この映画には多くの暗示があり、多くの見解やテーマが混在している。我々がこの世界においてどのように生きるべきかという問いに対する答えも含まれているように思う。我々は何者なのか、我々は自分にどう向かい、また隣人にどのように向きあい、これからをどう生きてゆけばいいのか、それを少しは見出させてくれる映画だと思う。

◎作品データ◎
『12人の怒れる男』原題:12
2007年ロシア映画/上映時間:2時間39分/ヘキサゴンピクチャーズ・アニープラネット配給
監督:ニキータ・ミハルコフ/脚本:ニキータ・ミハルコフ, ウラジミール・モイセエンコ, アレクサンドル・ノヴォトツキー/製作:レオニド・ヴェレスチャギン/音楽:エドゥアルド・アルテミエフ/撮影:ブラディスラフ・オペリヤンツ
出演:ニキータ・ミハルコフ, セルゲイ・マコヴェツキー, セルゲイ・ガルマッシュ, アレクセイ・ペトレンコ, ヴィクトル・ヴェルズヴィッキー

recommend★★★★★★★★☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆

 ある殺人事件の審議のために12人の陪審員が集められた。12人は、職業も年齢もバラバラで無作為に選ばれた人たち。陪審委員長を努める40歳の体育教師の1号、28歳会社員の2号、49歳の喫茶店オーナーの3号、61歳の元信用金庫職員の4号、37歳の会社員で庶務をしているOLの5号、34歳のセールスマンの6号、33歳タイル職人の7号、29歳主婦の8号、51歳歯科医師の9号、50歳のクリーニング屋店長の妻の10号、30歳役者の11号、30歳の大手スーパー課長補佐の12号。被告人が若くて美人だったことから審議は概ね無罪で始まる。すぐ全員一致で無罪が決定するかに思われたが、討論がしたくてたまらない2号が無罪の根拠をおのおのに詰め寄ったことから、審議は意外な展開を迎える。有罪派と無罪派に分裂、陪審員の感情が入り乱れ、被告人の有罪の線が濃くなっていく。しかし、中で独り存在の浮いていた11号が事件の謎解きを始め、事件の新たなる真実が判明、事態はまたまた逆転し、被告人は無罪となるのだった。
 『十二人の怒れる男』を元に、「日本にも陪審員制度があったら?」という架空の設定で描かれる法廷劇・密室劇。いまをときめく三谷幸喜が当時所属の劇団東京サンシャインボーイズのために書き下ろした戯曲。1990年にシアターサンモールで舞台として初演された。このときは三谷幸喜も一橋壮太郎という名前で出演していた。もし日本にも陪審員制度があったらという仮定に基づいて、12人の陪審員の姿をユーモラスに描いている。この好演がきっかけで映画化され、三谷幸喜は映画でも脚本を執筆、脚本だけに専念した。この成功がなければ、今の三谷ワールドはないだろう。監督は「櫻の園」の中原俊。
 この内容のせいでメディアなどで裁判員制度の話題になると、この作品が取り上げられることが多い。しかし、これが製作された頃は制度のかけらもない。今、作られれば、社会問題を茶化しているととらえられてしまうだろう。この辺の環境にこの映画の面白さがある。
 結論が導かれるまで、12人がそれぞれにちゃんと重要な役割を果たしていて、ヒントとなる見解を随所で言っている。それがラスト近くで明確な答えとしてつまびらかになっていくが、何のつながりも無さそうな伏線が巧妙に交錯しあってゆく経緯は三谷幸喜の脚本のなせる技だと思う。当時、だれも無名だった12人の作品として、秀逸な作品だったと思ったものだった。塩見三省、豊川悦司、相島一之の出演が今の活躍を導いたと言っても過言ではない。
 無作為に集められた12人の見ず知らずの日本人が、気を遣いながら、罵り合いながら、妥協して、また固執して、有罪か無罪かを二転三転させながら話を進ませるユーモア溢れる内容はアメリカの『十二人の怒れる男』のように1人の無罪主張から全員を説得するまでのやりとりではなく、二転三転するどんでん返しの連続。先が読めない。そして突拍子もない発想。それがなぜか討論の中で自然に流れていく。唐突でも何でもない。アメリカ版と違うのは、演劇的な要素が多く入っているように思う点。ストーリーの構築、結末の付け方、確かに面白おかしくは書いてあるが、ユーモアの中に人が人を裁けるのかという心理や社会的風刺を盛り込むやり方は演まさに三谷幸喜マジック。でも、ストーリー展開の面白さでは今もなお輝いているが、ここまで、セリフの面白さ、社会風刺の毒舌さはこの映画が最高なのではないだろうか。
 前回アメリカの『十二人の怒れる男』をアップしたとき、最近は日本の裁判員制度の導入に伴って、アメリカの陪審制度と比較されている書いたけれど、むしろ、この映画を参考にする方が適切かもしれない。シリアスでなければいけないということはない。コメディだから垣間見える本性もある。でも、「死んじゃえ」と「ジンジャエール」を聞き間違えるなんて、三谷幸喜はどういう頭の構造をしていて思いつくのだろう。これは、きっと、笑って観ればいい。

◎作品データ◎
『12人の優しい日本人』
1991年日本映画/上映時間:1時間56分/アルゴプロジェクト配給
監督:中原俊/脚本:三谷幸喜/製作:岡田裕/音楽:エリザベータ・スツファンスカ/撮影:高間賢治
出演:塩見三省, 相島一之, 上田耕一, 豊川悦司, 梶原善

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