Category: Suspense


 1823年冬、ウィーンの精神病院でかつての宮廷音楽家アントニオ・サリエリは意外な告白を始める。「モーツァルトを殺したのは私だ」と。そして老人は自殺を図り、雪の降りしきる街を病院へと運ばれた。彼の名前はアントニオ・サリエリ。かつてウィーンで最も尊敬された皇帝ヨゼフ二世に仕える宮廷音楽家であった。やがて、彼の人生のすべてを変えてしまったひとりの天才の生涯、若くして世を去った天才音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトについてを語り始めた。神童としてその名がヨーロッパ中に轟いていたモーツァルトが彼の前に出現したときその運命が狂い出した。作曲の才能は比類なかったが女たらしのモーツァルトが、サリエリが思いよせるオベラ歌手カテリナ・カヴァリエリに手を出したことから、サリエリの憎悪は神に向けられた。皇帝が姪の音楽教師としてモーツァルトに白羽の矢を立てようとした時、選考の権限を持っていたサリエリはこれに反対した。そんな彼の許へ、モーツァルトの新妻コンスタンツェが、夫を音楽教師に推薦してもらうべく、音譜を携えて訪れた。コンスタンツェは苦しい家計を支えるために、何としても音楽教師の仕事が欲しかったのだ。譜面の中身は訂正・加筆の跡がない素晴らしい作品ばかりだった。ある夜の、仮面舞踏会。ザルツブルグから訪れた父レオポルド、コンスタンツェと共に陽気にはしゃぎ回るモーツァルトが、サリエリの神経を逆撫でし、天才への嫉妬と復讐心に燃えるサリエリは、若きメイドをスパイとしてモーツァルトの家にやった。皇帝が禁じていたオペラ「フィガロの結婚」の上演をモーツァルトが計画したのを機に復讐を実行に移そうとするサリエリ。サリエリがスパイから得た情報を皇帝に密告したとも知らず、モーツァルトはサリエリに助けを求める。それを放っておくサリエリ。やがて父レオポルドが死んだ。失意のモーツァルトは酒と下品なパーティにのめり込んでいく。そして金のために大衆劇場での「ドン・ジョバンニ」作曲に没頭していくモーツァルト。しかしサリエリは変装しモーツァルトにレクイエムの作曲を依頼し追い打ちをかける。金の力に負けて作曲を引き受けるモーツァルトの、精神と肉体の疲労は想像以上にすさまじく、「魔笛」上演中に倒れてしまう。コンスタンツェが夫のあまりの乱行に愛想をつかし旅に出てしまったために無人になった家に、モーツァルトを運び込むサリエリ。仮装した彼は衰弱したモーツァルトにレクイエムの引き渡しを迫る。サリエリは作曲の協力を申し出て、一晩かかってレクイエムを仕上げさせるが、翌朝、サリエリが強いた過酷な労働のためか、モーツァルトは息を引きとった。、1791年12月、モーツァルト35歳の若さだった。すべてを告白し、いまや老いさらばえたサリエリひとりが、惨めな生を生きるのだった。
 35歳の若さで逝った天才音楽家ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトと宮庭音楽家アントニオ・サリエリの対決を通してモーツァルトの謎にみちた生涯を描く。製作はソウル・ゼインツ、監督は名匠ミロシュ・フォアマン。ピーター・シェーファーが舞台のために書いた脚本を自ら映画のために書き直した。凡庸な者が天才に抱くねたみと憎悪の裏側を、見ごたえたっぷりに描出している。従来のモーツァルト像を一新するT・ハルスの演技が絶品。1984年度第57回アカデミー賞・作品賞、監督賞、主演男優賞、脚色賞、美術賞、衣裳デザイン賞、メイクアップ賞、音響賞のほかにも英国アカデミー賞4部門、ゴールデングローブ賞4部門、ロサンゼルス映画批評家協会賞4部門、日本アカデミー賞外国作品賞などを受賞している。2002年にディレクターズ・カット版が公開されている。
 溢れんばかりに流れる名曲群、舞台にはないミュージカル部分の追加、チェコのプラハでオールロケした美しい映像など、そのすばらしさは枚挙にいとまがない。2人の音楽家の精神的死闘は、見る者を極度に興奮させる。音楽にも負けず劣らず美しい撮影は、屋内はの数シーンに蝋燭の照明が使われ、ほとんどの屋外ロケは中世以来の古い町並みが現存するチェコの首都プラハで行われている。
 モーツァルトの才能を妬み殺害した、と語る年老いたサリエリの回想というスタイルをとっている。モーツァルト役のトム・ハルスはピアノを猛特訓し、多くの場面で代役や吹替え無しでピアノを弾いている。ネヴィル・マリナーのトレーニングを受け、マリナーに「彼が音楽映画の中で最もちゃんとした指揮をしていると思う」とまで言わしめた。参加を依頼されたマリナーは、「モーツァルトの原曲を変更しない事」を条件に音楽監修を引き受けた。
 「アマデゥス!」、ドラマの中でただ一度、ミドルネームを呼ばれたシーンが印象的。それまでの一般的なモーツァルト像からすれば、下品でイメージが損なわれ、多くの論争を呼んだ。サリエリの独白、神父様への告白を通じて繰り広げられた神童モーツァルトの華麗な宮廷へのデビューから、晩年の痛々しくも悲劇的な最後にいたるまで、克明に綴られる。ラストシーン、モーツアルトを殺したとして自殺を図ったサリエリが、施療院の回廊を歩き進む間のエンディングテーマ、ピアノコンチェルト20番第2楽章、ロマンツェ。無残なシーンの後に続いてのこのエンディグテーマは優美さの中に悲哀・情念が、深く刻まれたままエンドロールに。そして、このラストシーンでモーツァルトにまつわる謎はさらに深まるばかりにさせるのだ。

◎作品データ◎
『アマデウス』
原題:Amadeus
1984年アメリカ映画/上映時間:2間40分./ワーナーブラザーズ・松竹富士配給
監督:ミロス・フォアマン/原作・脚本:ピーター・シェイファー/製作総指揮:マイケル・ハウスマン, ベアティル・オールソン/製作:ソウル・ゼインツ/音楽:ネヴィル・マリナー/撮影:ミロスラフ・オンドリチェク
出演:F・マーリー・エイブラハム, トム・ハルス, エリザベス・ベリッジ, サイモン・キャロウ, ジェフリー・ジョーンズ

recommend★★★★★★★★★☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆

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 サンペドロ港に停泊中のコカイン取引現場で、コカイン密輸船が大爆発を起こし、27人が死亡し、大量のコカインと9100万ドルが消えた。捜査官クイヤンはただ一人無傷で生き残ったヴァーバルを尋問する。ヴァーバルは、事件を操っているのは、伝説の大物ギャング「カイザー・ソゼ」であることを告げる。ソゼが襲撃の実行犯ヴァーバルとして、別事件の容疑者5人を集めたというのだ。ある強盗事件の失敗によって、コバヤシという謎の弁護士に面会し、麻薬取引が行われる貨物船の現場を襲撃するよう依頼されたという。同じ頃、FBI捜査官のジャック・ベアは、もうひとりの生存者コバッシュを追って病院へ来ていた。生還したとはいえ、コバッシュは全身に大火傷を負い、虫の息だった。そんな彼が「カイザー・ソゼ」という名を口にした瞬間、ベアは驚きを隠せなかった。カイザー・ソゼとは、FBIが長年総力を挙げて追っている大物のギャングで、その正体を知っている者は誰もなく、その存在自体が伝説化している謎の人物だった。そんな彼を目撃したというコバッシュに対し、ベアはソゼの似顔絵作りに協力するよう指示した。また、ソゼがキートンであると確信を持ったクイヤンは、執拗にヴァーバルを問いつめていき、ヴァーバルもついには「全ての事件は、キートンが仕組んだこと」と漏らしてしまう。警察の保護下に置かれることを拒んだヴァーバルは去っていき、キートンの正体をつかんだクイヤンは満足した表情でコーヒーを飲んだ。ふとクイヤンが部屋の掲示板に目をやると、何とそこには、今までヴァーバルが話していた内容と同じものが載っていた.。ヴァーバルが今までクイヤンに語っていた内容は、掲示板の情報を基に巧みに作り上げられた、偽りの話だったのだ。そんな頃、ベアのいた病院では、カイザー・ソゼの似顔絵が完成していた。その絵に示されたソゼの人相とは思いがけない人物だった。
 アメリカ、日本で大ヒットした、当時、29歳だったB・シンガーの第2作。題名は「重要参考人」という意味。回想によって物語を錯綜させる手法で謎の事件を描く。計算された脚本が話題を呼んで、アカデミー脚本賞を受賞した。また、ケヴィン・スペイシーは本作でアカデミー助演男優賞を受賞した。5人の悪党が集まった犯罪計画の顛末を、トリッキーかつ巧緻な構成で描いたクライム・ミステリー。出演はのガブリエル・バーン、ケヴィン・スペイシー、スティーヴン・ボールドウィン、チャズ・パルミンテリ、ケヴィン・ポラック、ピート・ポスルスウェイト、スージー・エイミス、ダン・ヘダヤなど、当時は無名に近い名優たち。この作品からたくさんのスターが飛び出した。
 映画でも小説でも推理サスペンス、ミステリーってものは、ラスト近くで全然知らない人物が登場してきて、それが犯人では愉しみは半減する。この映画は全てケビン・スペイシーの独白によってストーリーが進行している。犯罪をめぐってどこか怪しい人物たちが次々と登場し、緻密な構成によって物語が二転三転し、最後に意外な真相が明らかにされるというような映画は必ずしも珍しいわけではない。この映画にずっと謎の人物として名前だけが連呼される「カイザー・ソゼ」とは、虚像だ。この映画が非常に魅力的なのは、実に緻密に検証されているところにある。つまりこの映画は、真相がわかればそれでおしまいの映画ではなく、すべてが明らかになったところから、 虚像のはずの実像をたどっていくところに本当の面白みがあると思う。人物を動かす者と動かされる者、操る者と操られる者との関係が皮肉な転倒を繰り返していくことになる。確信していく尋問の行く末が、彼らの結束を固める手助けまでしていることになる。そして次の犯罪に乗りだす常連容疑者たちも見事にはめられたことになる。すべての人間がソゼの本当の目的を知らずに命をはるところに、皮肉な運命が浮き彫りにされる。観る側も騙される。ソゼという虚像をめぐる人間ドラマは、犯罪映画のジャンルや設定を最大限に利用して、集団と個人をめぐる普遍的なテーマを掘り下げている。そんなシンガーのユニークな視点が、よく出来た犯罪映画に見えて、犯罪映画とは言いがたい異色で奥深い作品に仕上がった結果になっていると思う。1回観ると、2度目はつまらないサスペンスではない何度見ても「うーん」と唸らされる映画だ。

◎作品データ◎
『ユージュアル・サスペクツ』
原題:The Usual Suspects
1995年アメリカ映画/上映時間:1時間46分./アスミック配給
監督:ブライアン・シンガー/脚本:クリストファー・マッカリー/製作総指揮:ロバート・ジョーンズ, ハンス・ブロックマン, フランソワ・デュプラ, アート・ホーラン/製作:ブライアン・シンガー, マイケル・マクドネル/音楽:ジョン・オットマン/撮影:ニュートン・トーマス・シーゲル
出演:スティーヴン・ボールドウィン, チャズ・パルミンテリ, ケヴィン・スペイシー, ベニチオ・デルトロ, ガブリエル・バーン

recommend★★★★★★★★☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆

 ロシアのとある裁判所で、ある殺人事件に結論を下す瞬間が近づいていた。被告人はチェチェンの少年、ロシア軍将校だった養父を殺害した罪で第一級殺人の罪に問われていた。検察は最高刑を求刑。有罪となれば終身刑だ。3日間にわたる審議も終了し、市民から選ばれた12人の陪審員による評決を待つばかりになった。12人の男たちは指定された学校の体育館に通されて、全員一致の評決が出るまでの間、幽閉される。バスケットボールのゴールや格子の嵌められたピアノといった備品に囲まれた陪審員たち。審議中に聞いた証言や証拠品、さらには個人的な予定の思惑もある者もいて、短時間の話し合いで有罪の結論が出ると思われた。すぐに挙手による投票が行われた。しかし、陪審員1番が有罪に同意できないと言い出した。陪審員1番は結論を出すには早すぎるのではないかと他の11人に問いただした。話し合うために、再度投票を行おうと提案。その結果、無実を主張するのが自分ひとりであったなら有罪に同意をすると言いだした。無記名での投票の結果、無実票が2票に増えた。新たに無実票を投じたのは、穏やかな表情を浮かべる陪審員4番だった。ユダヤ人特有の美徳と思慮深さで考え直したと前置きし、裁判中の弁護士に疑問が湧いたと語る。被告についた弁護士にやる気がなかったと主張した。このひとりの翻意をきっかけに、陪審員たちは事件を吟味する中、自分の過去や経験を語りだし、裁判にのめりこんでいった。
 1957年に製作されたアメリカ映画の『十二人の怒れる男』は社会正義を謳いあげた法廷ドラマとしてアメリカ映画史に法廷映画の不朽の名作として燦然と輝いている。この法廷ドラマの原点に新たに挑んだのは、『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』や『黒い瞳』、『太陽に灼かれて』『シベリアの理髪師』などのロシア映画界の名匠、ニキータ・ミハルコフ。アメリカ版の脚本の骨子を忠実に再現しながらも、現代ロシア社会の抱える混乱、偏見を鋭く抉り出し、現代ならではのドラマに仕上げている。少年をチェチェン紛争の孤児にするなど、背景に現代ロシアが抱える社会問題を大きく取り上げているわけだ。目撃者もあり、容疑は明白。さまざまな分野から任意に選ばれた陪審員たちも審議は簡単に結末を迎えると思われた。もはやオリジナル作品の時代のようには、社会正義を強調するほど短絡ではなくなってしまった世界を前にしながら、ミハルコフはそれでも人間に対する希望を失わずに描き、演じる。ヘンリー・フォンダのような独壇場ではなく、全員の背景と主張を丁寧に描いている。そして12人の生活、偏見、固執が浮き彫りになっていく。表面的な自由主義体制になったあげく、経済至上の風潮からモラルを失ってしまったロシアの人々の失意が、緊迫のドラマに一貫して隠れている。コンパクトにまとめあげられたアメリカ映画と違うのは、ひとりひとりに丁寧に焦点を当て、人物像をきめやかに描いている点。そして、密室ではありながら、少年の映像が挿入されたり、チェチェンの実情のシーンが挿入されたり、深刻さを鮮烈に観る者に与えるように作られている。俳優それぞれも見事な演技力を披露してくれる。緊迫感のなかに、ロシアの希望を語りかける渾身のドラマだった。ヴェネツィア国際映画祭で監督のニキータ・ミハルコフは、特別銀獅子賞を受賞したほか、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。
 個人的には、アメリカ版の『十二人の怒れる男』の登場で度肝を抜かれたインパクトは見出せず、それをロシアに置き換えたときの違いを堪能する感じに終わった。『12人の優しい日本人』くらい設定を変えてしまえば、またそれはそれで違った印象になったろう。
 裁判員制度が騒がれる中、この映画には多くの暗示があり、多くの見解やテーマが混在している。我々がこの世界においてどのように生きるべきかという問いに対する答えも含まれているように思う。我々は何者なのか、我々は自分にどう向かい、また隣人にどのように向きあい、これからをどう生きてゆけばいいのか、それを少しは見出させてくれる映画だと思う。

◎作品データ◎
『12人の怒れる男』原題:12
2007年ロシア映画/上映時間:2時間39分/ヘキサゴンピクチャーズ・アニープラネット配給
監督:ニキータ・ミハルコフ/脚本:ニキータ・ミハルコフ, ウラジミール・モイセエンコ, アレクサンドル・ノヴォトツキー/製作:レオニド・ヴェレスチャギン/音楽:エドゥアルド・アルテミエフ/撮影:ブラディスラフ・オペリヤンツ
出演:ニキータ・ミハルコフ, セルゲイ・マコヴェツキー, セルゲイ・ガルマッシュ, アレクセイ・ペトレンコ, ヴィクトル・ヴェルズヴィッキー

recommend★★★★★★★★☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆

 ニューヨークの法廷で審理された事件。父親殺しの罪に問われた少年の裁判で、陪審員が評決に達するまで一室で議論する。法廷に提出された証拠や証言は被告である少年に圧倒的に不利なものであり、陪審員の大半は猛暑と個人的ストレスの影響があり、早く帰宅をしたかった。そして少年の有罪を確信していた。全陪審員一致でないと、有罪にはならない。大半の陪審員が有罪を確実視していたところ、ただ独り陪審員8番のみが少年の無罪を主張した。彼は他の陪審員たちに、固定観念に囚われずに証拠の疑わしい点をひとつひとつ再検証することを要求する。陪審員8番の熱意と理路整然とした推理によって、当初は少年の有罪を信じきっていた陪審員たちの心にも徐々にある変化が訪れる。
 既に法廷劇の代名詞となって久しい、アメリカ映画史に輝く傑作ドラマ。元々は高い評価を受けたTV作品で、その脚本・演出コンビによる映画版だが、そのいかにもTV向きの密室劇を上手くスクリーンに転化させた手腕は見事の一言。社会派ドラマを描かせたら天下一品の巨匠シドニー・ルメット監督作品。テレビドラマ版の原作者レジナルド・ローズが映画版でも脚本を執筆、主演男優のヘンリー・フォンダが映画のプロデュースも担当している。なんと本作品はシドニー・ルメットの監督デビュー作品。日本では監督第2作品目『女優志願』の方が先に公開された。ベルリン映画祭金熊賞と国際カトリック映画事務局賞を受賞した。同年度のアカデミー賞で作品賞を含む33部門にノミネートされたが、『戦場にかける橋』相手に敗れ受賞には至らなかった。俗に「法廷もの」に分類されるミステリ映画であり、密室劇の金字塔として高く評価されている。17歳の少年が起こした殺人事件に関する陪審員の討論が始まったが、誰が見ても有罪と思えたその状況下で、ひとりの陪審員が無罪を主張した事から物語は動き始める。
 ほとんどの出来事がたった一つの部屋を中心に繰り広げられており、「物語は脚本が面白ければ場所など関係ない」という説を体現する作品として引き合いに出されることも多い。はじめTVドラマ化のときも、一室での終始一貫撮影から、舞台での演出の方に向いているとされ、ドラマとしての必然性を問われていた。この映画化にあたり、やはり映画でないと表現できない部分に重きを置いている。制作費は約35万ドルという超低予算、撮影日数はわずか2週間ほどの短期間で製作された。
 この映画はヘンリー・フォンダ扮する陪審員第8番は「犯人は少年じゃない」と言っているのではなく、「有罪の証拠がない」ことを問い詰めている。そして、法廷ものでは必要不可欠な裁判シーンは一切なく、全編一室の中の出来事だ。この映画を観た時は度肝を抜かれた。96分という見やすさも相俟って、白黒の、ボクが生まれる前の作品がこんなに感動を与えてくれるとは。正義感、愚かさ、偏見、先入観、無関心、憎しみ、差別、さまざまな感情がとても丁寧に描かれている。8人の陪審員には、それぞれの生活があり、それぞれの人生があり、人種も収入も職業も価値観もさまざまだ。その価値感をひとつにまとめることは無理だ。それでも誰もが納得するイエスかノーかを決定しなければならない。中立はない。自分の信念を貫くことの重要さを、短気になることなく、周囲に流されることなく、丁寧に緻密に説得すれば、ことは好転するのだということを教えられた。アクションもので描かれる正義感と勇気はわかりやすいが、この映画のような状況で主人公が見せた正義感と勇気はまた全然違った特別な素晴らしさがある。ラスト、唯一、部屋から出たシーン、陪審員たちは、雨上がりの裁判所の階段を下り、ちりぢりに家路につく。その風景がとても満足したさわやかな表情に見えたのはボクだけだろうか。
 最近は日本の裁判員制度の導入に伴い、アメリカの陪審制度の長所と短所を説明するものとしてよく引用される。自分が呼ばれた時は、偏見に見ることなく、広い視野でじっくり考えてみたいと感じた。

◎作品データ◎
『十二人の怒れる男』
原題:12 Angry Men
1957年アメリカ映画/上映時間:1時間36分/ユナイテッドアーティスツ配給
監督:シドニー・ルメット/脚本:レジナルド・ローズ/製作:レジナルド・ローズ, ヘンリー・フォンダ/音楽:ケニヨン・ホプキンス/撮影:ボリス・カウフマン
出演:ヘンリー・フォンダ, リー・J・コップ, エド・ベグリー, マーティン・バルサム, E・G・マーシャル

recommend★★★★★★★★☆☆
favorite     ★★★★★★★☆☆☆

 ロンドン郊外のセントジョージ総合中等学校で歴史を教える初老のバーバラ・コヴェットは、非常に厳格で生徒に知られているベテラン教師、何に対しても常に批判的な上、斜に構えた態度や単刀直入な物言いで周囲から疎んじられていた。孤立しているバーバラはある日、美術教師シーバ・ハートに目を留めた。家族も親しい友人もおらず、飼っている猫だけが心のよりどころだったバーバラは、シーバとの友情に固執するようになる。彼女こそ、私が待ち望んだ女性に違いないと、シーバの様子に執拗に目を配り、日記に彼女のことを夜毎書き綴る。ある日、シーバのクラスで騒動が起こる。偶然、通りかかったバーバラが殴り合う男子生徒を一喝し、騒ぎを収拾した。シーバは心からの感謝をバーバラに捧げ、バーバラを自宅に招くことになった。美容院で髪をセットし、花束を手にいそいそとシーバ宅を訪れたバーバラを出迎えたのは、シーバの夫と長女、ダウン症の長男。幸せを絵に描いたようなブルジョワ家族の休日を皮肉的に見つめるバーバラだったが、食後にシーバから人生の不満や夢を打ち明けられ、彼女との友情を勝手に再確認した。しかし、この友情には価値観の違いがあった。バーバラは神聖なものだと思い込んでいた。演芸会が行われた夜、シーバを探しに美術教室に向かったバーバラは、シーバが男子生徒とセックスしている姿を目撃する。その少年とは以前バーバラが叱った少年スディーヴン・コナリーだった。その関係に気づかなかった自分を呪ったバーバラは、シーバを呼び出し、すべてを告白させる。シーバはバーバラの強い厳命を聞き入れ、コナリーとの別離を決意した。秘密を握ったバーバラとシーバの間には、微妙で奇妙なバランスの友情が培われ始める。
 美しい美術教師と、彼女に執拗な関心を抱くオールドミスの教師とのスキャンダラスな関係を描く心理スリラー。これは実際にアメリカで事件。『アイリス』のリチャード・エアーが映像化した。オスカー女優のジュディ・デンチとケイト・ブランシェットが、火花散る演技対決を繰り広げる。孤独な年配女性教師の屈折した友情が、徐々に偏った愛情へと変化し明らかになっていくストーリー展開に引き込まれる。
 イギリスのブッカー賞で2003年の最終候補に残り、イギリスとアメリカ両方のベストセラー・リストに載ったゾーイ・ヘラーの「あるスキャンダルについての覚え書き」。激しい映画化権獲得の争いが繰り広げられた。スコット・ルーディンとロバート・フォックスのコンビが獲得し、原作を読んだルーディンは、バーバラを演じられるのはジュディ・デンチしかいないと確信していた。物語の非常に主観的なナレーターを含め、言動に悪意すらにじませる老女バーバラをデンチが貫祿たっぷりに演じている。平穏な家庭生活を営むなかで、子宝にも恵まれたが、人生に意義を感じることも自分に自信を持つこともできず、ふとしたきっかけでスタートした禁断の生徒とのセックスにのめりこみ、身動き取れなくなっていくキャラクターをケイト・ブランシェットも繊細さと大胆さを絶妙に配分した演技で人間の欲望をコントロールできない中年女を演じている。何かがバーバラの歪んだ感情を露呈させてしまった。急速にバーバラとシーバは親しくなっていくなか、誰ひとり自分を気に留めてくれなかったバーバラに、学校に行けば若く美しいシーバがほほ笑みかける。孤独なバーバラは友情とはほど遠い感情に翻弄されていく。シーバの抜け毛を偶然手に入れ、まるで宝物のように丁寧にハンカチに包み持ち帰り、大切な日記にスクラップ。シーバに自宅に招かれ社交辞令のつもりが、特別なことと思ってしまうバーバラ。シーバとの友情を美しいものだと信じて疑わないバーバラ。毎日、彼女とのささいな出来事を妄想とも言える表現で綴る。生徒と女教師のセックスを道徳的に考えて妥当な意見で喝するバーバラだが、本心は果たして……。どんどん友情の固執と嫉妬に異常な状態になっていくバーバラ。
 欲望むき出しのエゴイストな老女は、シーバとの関係ののち、ラストでまた同じ過ちを繰り返す。人間はこんなにも醜い生き物なのか。それとも、偏った愛情は人間の理性を打ち砕いてしまうのか。心苦しくなる映画でした。

◎作品データ◎
『あるスキャンダルの覚え書き』
原題:Notes on a Scandal
2006年イギリス映画/上映時間:1時間38分/20世紀フォックス配給
監督:リチャード・エア/原作:ゾーイ・ヘラー/脚本:パトリック・マーバー/製作総指揮:レイモンド・モリス/製作:ロバート・フォックス, アンドリュー・マクドナルド, アロン・ライヒ, スコット・ルーディン/音楽:フィリップ・グラス/撮影:クリス・メンゲス
出演:ジュディ・デンチ, ケイト・ブランシェット, ビル・ナイ, アンドリュー・シンプソン, トム・ジョージソン

recommend★★★★★★☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★★☆☆☆
 innocent lies
  1996年11月22日、名古屋シティマラソンを翌日に控え、何を血迷ったかボクは、1日有給休暇を取り東京へ向かった。走りで練習の成果を出したかったのに、なぜそんな無謀な行動に出たかというと、映画を観るためだった。翌週には上映が打ち切られる、名古屋で公開される予定はない、休みはその日しか取れない、という理由によるもので、それほどまでにスティーブン・ドーフが観たかったのである。勿論、東京での前売券なんて持っているわけはないから、新幹線代と併せて映画1本のために2万2千円弱を費やしたことになる。結果、名古屋では公開されず、翌年1月にビデオ発売されるまで待たねばならなかったわけだから、無謀な行為には意味があったわけだけど。もし、マラソンで結果が出せず、この映画がクソだったら、ボクは未だに悔しい想いを引きずっていたことだろう。
 舞台は1938年のフランスの海辺。もと上司の訃報を聞きつけ、この地を訪れた刑事は、遺品から英国貴族の血を引くグレイブ家の数々の事件に遭遇する。グレイブ家の主人ヘレナ夫人はナチス信奉者、兄妹のジェレミーとセリアは事件の鍵を握ると思われるうえに幼児期に忌まわしい過去があった。これを機に再会したふたりは止められない戦慄の愛の深みへと嵌ってゆく。そして兄ジェレミーは10年前に双子の兄を殺している疑惑があった。ジェレミーの妻モードはユダヤ人でヘレナと関係悪くジェレミーとも喧嘩が絶えない。刑事は次第にセリアに惹かれてゆく。そんな矢先、ヘレナ夫人が殺される。ジェレミーとセリアが協力して殺したのだ。すべてを知った刑事はセリアをニューヨークへ帰す手筈を整える。駅で抱き合う兄妹。兄は妹の首に手をかけた。刑事が危険を察知して戻って目にしたのはジェレミーを殺し、指を咥えてうずくまるセリアの姿だった。
 多分、これは当初“Halcyon Days”というタイトルで製作されていた作品。“ハルシオン”とはかわせみのことで、おそらく“穏やかな日々”とでもいう意味なのだと思う。また睡眠薬に「ハルシオン」というのがある。媚薬的な意味合いも含めたかったのだろう。
 見た目穏やかな中に隠された一家族の秘密とも偽りとも言える感情や衝動は、非常識や不道徳として捉えられる。隠し続けたその理由はとても不気味でミステリアスに映る。大体、人間のモラルとか常識なんてあってないようなもので、時代と共に変わってゆく。しかし、近親相姦となると一般的には許される常識の範疇に収まることはまず考えにくい。この作品では、まさに“禁断の愛”という表現がぴったりだと感じる。兄妹が深夜庭でチョコレートクリームを嘗め合うシーンは直接的な行為の描写以上に隠微だ。
 『秘密と嘘』という映画があった。映画の主旨とは正反対の、人は知らなくていいことが沢山あるということを痛切に感じてしまった映画だった。質が違いすぎて較べるのもおかしいが、この『イノセント・ライズ』では嘘は追及されず、秘密は明かされず、ミステリアスなまま終わる。と言っても、事の真実は明かされるのだが、この兄妹の内的な世界は謎のままだ。特に衝撃的なラストシーンの後の妹がどうなっていったかは非常に興味深い。映画自体はそれには触れずに終わっている。そして全編にわたって伏線として引っ掛かっている、死に追いやった双子の弟の事件と残像が、謎に拍車をかける。
 そもそもスティーブン・ドーフ自身がミステリアスなのかもしれない。リバー・フェニックスも少しほかの同年代の俳優たちとは違った一種独特の雰囲気を持っていた。しかも、彼の人生の結末が薬物中毒死となれば不可解な部分はなおさら多く残る。ボクがリバー・フェニックスやスティーブン・ドーフに惹かれる理由はそういう部分に由来しているのかもしれない。ここでは妹のセリアを演じるガブリエル・アンウォーがまた影を含んだ表情を湛えているから、映画自体が独特の雰囲気に包まれている。どうしても当時のLAXのCMでのつんと抜けた美しさの彼女と同一人物とは思えない。
 ボクは、実は周囲のほとんどの人々が知らないある秘密を持っている。秘密だから今は明確には書かない。それに、一部の仲間が知っている、しかもほとんどの人がボクに対して疑ってかかっている、ある秘密に近い真実も隠し持っていたりする。そうでなくてもとても嘘つきではあるのだが…。その“一部の仲間が知っている秘密に近い真実”が、世間の常識からは少し外れているがために、普段隠さなければいけない必要性に駆られている。ボクは必要であると認識すれば結構ひどい嘘もつくことが出来る。その“秘密に近い真実”は、この先生きていく上で非常に重要な事柄であるから、一生ものの友人には打ち明けてきたことだ。ところが、それを知ってからの友人たちは、一部はボクに対して態度を変えてきた。と言うより、こちらが隠しごとをしなくなって本質が露呈してきたのだと思う。勿論、信頼して告白して去っていった友人もいる。大事な、本当は楽になりたい部分を見せないということは、普段の人づきあいで隠しごとをしているわけで、昔はボクが実際は何を考えているのかよく解らない、そう言われたものだ。告白をした一部の友人には今は解りやすいと言われる。嘘をつくことで人づきあいにシールドを張っていたのだ。告白したことでバリアが取れて解りやすくなったというわけだ。嘘や秘め事が多いということは、見た目、自然とミステリアスな、不可解な雰囲気を作ってしまう。リバー・フェニックスはクスリをやっていたことを隠さなければならなかった。周りが、あるいは彼自身がつくった菜食主義者、クリーンで健康体なイメージのせいだ。ゴシップや役柄が作り上げた虚像も、彼に弱い部分を見せさせない強さを強いてきたのだ。結果、彼は破綻してしまった。スティーブン・ドーフの私生活はまださほど暴露されていないが、あの視線や仕種から感じられる雰囲気には、やはり他の若者とは少し違う何かがあるように思う。
 まあ、ボクは嘘や隠しごとをそれ自体肯定も否定もしないし、真実の追究をいい事ともいけない事とも思わない。時と場合に因る。“イノセント・ライズ”とは“罪のない嘘”とでも訳せばよいか。本能的な感情や行動が、この映画では、“嘘”という言葉で表現される。この映画のサスペンスっぽい部分はどうでもいい。ここで“嘘”として描かれているものを見る側はどう感じるのだろうか。赦せない嘘かどうかなんて人それぞれ違う。どうしようもないことは、どうしようもないものな。少なくともボクには知ったら赦せないモラルだ。愛してしまってから妹と知ったら話は別だが。
 
◎作品データ◎
『イノセント・ライズ』
原題:Inocent Lies
1995年イギリス・フランス合作映画/上映時間:1時間23分/日本ビクター配給
監督:パトリック・ドゥヴォルフ/製作:サイモン・ベリー, フィリップ・グエス/脚本:ケリー・クラブ, パトリック・ドゥヴォルフ/音楽:アレクサンドル・デプラ/撮影:パトリック・ブロシェ
出演:スティーブン・ドーフ, ガブリエル・アンウォー, エイドリアン・ダンバー, ソフィー・オーブリー, ジョアンナ・ラムリー
 
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