Archive for 5月, 2009


 

 1993年7月。翔子とカナオの夫婦の部屋のカレンダーには×印がつけられている。妻が決めた週に3回の夫婦の「する日」。その日に限って、靴修理屋で働く夫の帰宅は遅い。女にだらしないカナオが遊び歩いているのではないかと、彼の手の甲をぺろりと舐め、浮気かどうかチェックする翔子。カナオは先輩の紹介で、新しく法廷画家の仕事を引き受けてきた。苛立った様子で寝室へ消える翔子。カナオは、渋々寝室へ入っていく。ふたりはどこにでもいるような夫婦。翔子は女性編集者として小さな出版社でバリバリ働き、カナオは法廷画家の仕事に戸惑いながらも次第に要領を掴んでいく。職を転々とするカナオを、翔子の母や、兄夫婦は好ましく思っていなかった。将来に不安を感じながら、小さな命を宿した翔子には喜びのほうが大きかった。夜道を歩くふたりの後姿には、幸せがあふれていた。1994年2月。カレンダーから×印が消えていた。寝室の隅には子どもの位牌と飴玉が置かれていた。初めての子どもを亡くした悲しみから、翔子は少しずつ心を病んでいく。一方、法廷でカナオはさまざまな事件を目撃していた。1995年7月、地下鉄毒ガス事件の初公判。翔子の方はひとりで決めて産婦人科で中絶手術を受ける。カナオにも秘密。しかし、その罪悪感が翔子をさらに追い詰めていった。1997年10月、翔子は仕事を辞め、心療内科に通院している。台風のある日、カナオが家へ急ぐと風雨が吹きこむ真っ暗な部屋で、翔子はびしょ濡れになってたたずんでいた。子どもをダメにした罪悪感から翔子は取り乱し、カナオを泣きながら何度も強く殴りつける。そんな彼女をカナオはやさしく抱きとめる。ふたりの間に固まっていた空気が溶け出していった。
 前作『ハッシュ!』が2002年カンヌ国際映画祭ほか数々の映画賞受賞と52ヶ国を超える世界公開で話題となった橋口亮輔監督。6年の歳月を経て辿り着いた脚本は、自身が『ハッシュ!』以降に経験したさまざまな出来事をもとに書かれている。人間の悪意が次々と露呈していった9・11以降の世界、うつになり闘った苦悩の日々。日本社会が大きく変質したバブル崩壊後の90年代初頭に立ち返り、自らの人生と世界を重ね合わせた。人はどうすれば希望を持てるのか、彼が出した答えは、希望は人と人との間にあるということだった。ささやかな日常の中にある希望の光を、ワンシーンごとを丁寧な演出で浮き上がらせる。6年ぶりの復活は、いとおしさにあふれた名作映画という形になった。映画は高崎映画祭、毎日映画コンクール日本映画優秀賞で作品賞、山路ふみ子映画賞で山路ふみ子映画賞、報知映画賞で監督賞、毎日映画コンクールで脚本賞、翔子を演じた木村多江は高崎映画祭、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞、日本インターネット映画大賞、東京スポーツ映画大賞で主演女優賞、カナオを演じたリリー・フランキーは、ブルーリボン賞、日本映画批評家大賞で新人俳優賞を受賞している。『おくりびと』一色の賞レースに一矢報いた感じだ。
 『ぐるりのこと。』の舞台となるのは、1993年から9・11テロに至るまでの10年間。翔子とカナオの再生のドラマを描きだす一方で、その社会的背景にも焦点を置く。カナオが法廷で目撃するのは、1990年代から2000年初めにかけて起きた実際の事件、そして犯罪者。連続幼女誘拐殺人事件、地下鉄サリン事件など、社会のネガティブな側面にも着目する。加瀬亮、新井浩文、片岡礼子らが登場する当時の事件を反映した法廷シーンも、リアル。倍賞美津子、柄本明、寺田農、寺島進、安藤玉恵、八嶋智人らが脇を固め個性的な演技を見せている。時代と家族それがすべて翔子の「ぐるり」だ。この映画では、そういった近くから世界までの周囲の取り巻きを「ぐるり」という言葉で表現している。その翔子をとりまく「ぐるり」を全面に受けて、精神のバランスを崩していく。ひとつずつ一緒に乗り越えていくふたりの10年にわたる足跡を、監督は、どこまでもやさしく、風刺を交えながら感動的に描きだす。人はひとりでは無力だ。しかし、誰かとつながることで希望を持てる。決して離れることのないふたりの絆を通じて、そんな希望の存在を浮き彫りにする。多分、ボクは、見なければならなかった作品だ。

◎作品データ◎
『ぐるりのこと。』
2008年日本映画/上映時間:2時間20分/ビターズエンド配給
監督・原作・脚本:橋口亮輔/製作総指揮:渡辺栄二/製作:山上徹二郎, 大和田廣樹, 定井勇二, 久松猛朗, 宮下昌幸, 安永義郎/音楽:Akeboshi/撮影:上野彰吾
出演:木村多江, リリー・フランキー, 倍賞美津子, 寺島進, 安藤玉恵

recommend★★★★★★★★★☆
favorite     ★★★★★★★★★☆

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No.0058『八日目』

 

 妻子に愛想をつかされるほど仕事一筋の新しい大銀行の社員教育担当重役アリーは妻と娘に家出され、一人苛立ちながら車を飛ばしていた。しかし、そこで犬を撥ねてしまい、その飼い主のジョルジュをジョルジュというダウン症の青年を拾う。ジョルジュは母親と会うために施設を抜け出してきたのだった。母親の元に向かう二人。翌朝、ジョルジュはチョコレート・アレルギーの発作を起こして倒れている。アリーはジョルジュの面倒を見る羽目に。だが、その母親は数年前に死んでいた。全く別の世界に住む二人。そこの住人から聞いた住所をたよりにジョルジュの姉を訪ねるが、彼女は夫と家族がいてとても弟は引き取れない。アリーは海辺に妻の実家を訪ねるが、彼女は拒絶し、娘たちも会いたがらない。絶望するアリーを慰めるジョルジュ。幸せと哀しみを素直に表現するジョルジュに、今まで知ることのない生きる喜びを感じるアリー。「施設には戻りたくない、アリーと一緒に暮らしたい」と願うジョルジュ。アリーにはかつての自信はない。そこへジョルジュが、施設の仲間たちとともにベンツのディーラーから“借りた"ミニバスで乗り込む。アリーは彼らと祝賀用の花火を持って会社を飛び出す。海辺の閉鎖された遊園地で遊ぶ彼ら。ジョルジュとアリーはアリスの誕生日のプレゼントに多量の花火で夜空を彩る。そこへ警察が来て、みんなは補導された。ジョルジュとアリーは町のベンチで抱き合って一夜を明かす。一緒に時を過ごすうち二人の心は次第に溶け合い、お互いの人生を大きく変えていく。銀行の設立式は娘アリスの誕生日の当日。朝起きるとジョルジュの姿がない。ジョルジュは街に戻り、アリーの銀行の屋上に登って、買ったチョコレートを頬張ると、宙に身を投げた。街角にたたずむルンペン姿のアリー、緑にあふれる精神病の療養施設。純真な子供に帰った父を訪ねるアリーの娘たちの姿があった。
 エリート・ビジネスマンがダウン症の青年との奇妙な友情を通じて人生の本当の意味を知ってゆく様子を描いたファンタジー。現代人に求められる他者への愛情をテーマとした感動作。『トト・ザ・ヒーロー』のジャコ・ヴァン・ドルマル監督が、脚本・台詞もこなし、旧約聖書の天地創造をもじったオープニングのファンタスティックな映像作りや叙情的な自然描写に手腕を発揮している。ジョルジュ役のパスカル・デュケンヌは実際にダウン症であり障害者の劇団で活躍、その感性豊かな演技はカンヌ映画祭でも絶賛された。主演のエリート会社員はダニエル・オートゥイユ、2人は1996年のカンヌ国際映画祭で、2人で主演男優賞をダブル受賞。
 「この世の初めは無だった。あったのは音楽だけ。一日目、神さまは太陽をつくった。二日目、神さまは海をつくった。三日目、神さまはレコードをつくった。四日目、神さまはテレビをつくった。五日目、神さまは草をつくった。六日目、神さまは人間をつくった。日曜日、神さまは休息なさった。ちょうど七日目だった。そして八日目……」この映画はこの根レーションから始まる。カンヌで本作の終演後に、観客が主題歌を合唱したという話がある。とても感覚的な作品で、作品自体の評価としては非常に難しい。実際感動したボクが施設介護士の知り合いに見せたところ、酷評を浴びた。この作品は、そしてボクには、彼らのことが何もわかってないらしい。でも素晴らしい作品だと思った。感動した。生きる歓びの原点を描いていると感じた。シンプルだが奥が深い。アリーとジョルジュの目的は違うが、ロードムービー的な要素もあり、その中で共感、リアリズム、生きるという基本的な本能と理想を感じさせてくれる。ジョルジュが最後に取った行動には賛否があると思う。そしてアリーがそれによって人生を取り戻したのかどうかも詳しく触れていない。しかし、この映画が感動をもたらすのは、2人のこの感情表現だろう。ジョルジュは素直に喜怒哀楽をぶつけてくる。それを次第にうけとめてゆくアリー。ジョルジュ役のパスカル・デュケンヌは30台になった今もダウン症のまま俳優を続けている。自信がもらえる。
 タイトルの「八日目」とは,天地創造を7日間かけてやった神様が8日目に作ったものは何か問うタイトル。答えは「ジョルジュ」だろうか。

◎作品データ◎
『八日目』
原題:Le Hutieme Jour(英語タイトル:The Eighth Day)
1996年ベルギー・フランス合作映画/上映時間:1時間58分/アスミック配給
監督・脚本:ジャコ・ヴァン・ドルマル/製作:フィリップ・ゴドー/音楽:ピエール・ヴァン・ドルマル/撮影:ウォルター・ヴァン・デン・エンデ
出演:ダニエル・オートゥイユ, パスカル・デュケンヌ, ミュウ・ミュウ, アンリ・ガルサン, イザベル・サドワイヤン

recommend★★★★★★☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★★☆☆☆

 南アフリカ、ヨハネスブルクのスラム街、ツォツィは自分の本名と過去を封印し、幼い頃からたった1人、社会の底辺で生きてきた。仲間とつるんで富裕階級の人間から暴力で窃盗をしたり、カージャックを繰り返していた。ある日、高級住宅街にやってきたツォツィは、黒人女性が運転するベンツを見かけ、女性を脅し撃って車を盗んで逃走。しかし、後部席に生後間もない赤ん坊がいることに気が付く。紙袋に赤ん坊を入れ、自分の部屋に連れ帰る。しかし、どうしていいかわからないツォツィは途方に暮れ、女手ひとつで子供を育てているミリアムと出会う。
 南アフリカの社会派作家アソル・フガードの原作での時代設定は1960年代。つまり元はアパルトヘイトノ時代の話これを現代に置き換え映画にしたのはギャヴィン・フッド。本作の成功により次回作でメジャーデビューを果たす予定の南アフリカ出身の新鋭。アパルトヘイト廃止から10数年経った今、アパルトヘイトは過去のものとなり、民主的な国家が誕生したものの、長年来続いた政治がもたらした差別や格差社会に苦しむスラム街は同じなのだろうと思う。主人公の名前「ツォツィ」は南部ソト語で「チンピラ」を意味するスラング。社会の底辺で暴力に明け暮れてきた少年ツォツィが、生後間もない赤ん坊と出会ったことで人間性に目覚めてゆく姿を描く。2005年のイギリスと南アフリカの合作映画。スラム街はヨハネスブルグの旧黒人居住区ソウェトを舞台に選ばれた。サウンドトラックでもそのソウェトで育った人気歌手Zolaを起用し注目を集めた。第78回アカデミー賞の外国語映画賞を始め、デンバー国際映画祭観客賞、エジンバラ国際映画祭最優秀作品賞・観客賞、トロント国際映画祭観客賞、アメリカ映画協会国際映画祭観客賞、セントルイス国際映画祭観客賞など多くの賞を受賞している。主人公の少年を演じて圧倒的な存在感を見せつけた新星プレスリー・チュエニヤハエに注目、彼も南アフリカの治安の悪い地域で育ち、息子の行く末を案じた母の勧めで演劇を始めたという経緯を持つ俳優だ。
 2007年アカデミー賞の外国語映画賞の受賞を受けて日本での配給が決定したが、未成年者による殺傷シーンがあるため、映倫の規定によりR-15指定を受けていた。配給会社の日活の再三のPG-12指定への変更の再審査要求の経緯を受けてか、DVD購入やレンタルは15歳未満でも視聴可能になっている。
 主人公の少年は、過去を封印し誰にもかつての自分を語らない。名前すらも。そしてチンピラを意味するツォツィと呼ばれている。主人公は、病気で寝たきりの状態にある母親と暴力的な父親のもとで育ち、家を飛び出してからもただただ冷酷に生き延びることだけを信条とし、本来の名前を捨てたというバックボーンがある。仲間とともに人を襲い、物を盗んで生活する、きっとそこには空虚な想いがあり、自分に対する憎しみや怒りの感情が見え隠れするのだ。だからピュアな部分が残されているのだろう。たまたま盗んだ自動車内に赤ん坊が取り残されているのを発見、なぜか自らの手で育て始めようとするのだ。この心情の経緯はちょっと解せない。だけど、愛情を受けずに育った少年は愛情を注ぐ対象を見出すことで初めて愛情を知るのかも知れないと知らされた気がする。原作の時代設定をあえて現代に変えたことで物語のリアリティは増しているのだろうか。現地を知らないからよくわからないが、違和感なく差別の存在を感じた。テーマ的には南アフリカの超格差社会が生み出している現状を、少年の瞳を通じて訴えているのだろう。しかし、ボクに伝わったのは少年の苛酷な状況と、赤ん坊という未来への希望。少年の過去・現在・未来を痛切に感じてならない。逮捕されはしたが、多分、失った自分の本質を取り戻していったと思う。ラスト、警官の呼びかけに対する少年の選択に、何かが見てとれた気がした。監督は、物語の結末を数パターン用意していたらしい。監督が最後に選んだ結末は用意していたものではなく、多くの問題を抱えながらも希望を持ち続ける、今の南アフリカを表している結末だ、と言っているそうだ。ツォツィが流した涙は、南アフリカの現在を洗い流し、将来に光をもたらす滴だったのだろう。

◎作品データ◎
『ツォツィ』
原題:Tsotsi
2005年イギリス・南アフリカ合作映画/上映時間:1時間35分/日活・インターフィルム配給
監督・脚本:ギャヴィン・フッド/原作:アソル・フガード/製作総指揮:ロビン・リトル/製作:ピーター・フダコウスキ, ポール・ラディ/音楽:ポール・ヘプカー, マーク・キリアン/撮影:ランス・ギューワー
出演:プレスリー・チュエニヤハエ, テリー・ペート, テネス・ンコースィ, モッスィ・マッハーノ, ゼンゾ・ンゴーベ

recommend★★★★★★★★☆☆
favorite     ★★★★★★★☆☆☆

 メルボルンに生まれたデイヴィッドは幼少の頃から厳格な音楽狂の父ピーターにピアノを仕込まれ、ピアニストになるべく英才教育を受け、天才少年として評判になった。だがアメリカへの留学の話、そして英国の王立音楽院に留学の話が持ち上がると、父は突然彼が家族から離れることを暴力的に拒否する。デイヴィッドはついに家を出る。ロンドンで彼はセシル・パーカーに師事し、パーカーは彼をわが子のようにデイビッドを愛し、ピアノ教育に全力を注いだ。彼はコンクールでの演奏曲に、幼年時代から父にいつか弾きこなすよう言われていたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を選ぶ。誰もが無理だと言った難局を、猛特訓で完璧に演奏したデイヴィッドだった。しかし直後、あまりのストレスに彼は発狂した。そして精神に異常をきたし始め、それから10数年を精神病院で過ごした。デイヴィッドはかつて自分のファンだったという女性に引き取られ、その後も引取り先を転々とするが、ある晩、激しい雨の晩、デイヴィッドはびしょ濡れでワイン・バーのドアを叩いた。そこで働くシルヴィアはデイヴィッドを家まで送ってやった。シルヴィアはデイヴィッドがピアノを弾くことを知り、彼はやがて店の専属ピアニストとして大人気になる。新聞にも記事が出て、父も訪ねてくるが、デイヴィッドは父を許せなかった。シルヴィアは星占い師のギリアンを紹介し、二人はやがて愛し合い、結婚した。そしてデイヴィッドはついにコンサート・ピアニストとして復帰する。だがその席に、父の姿はなかった。彼は妻とともに父の墓に参るのだった。
 ピアノの天才少年と呼ばれ、一度は精神を病みながら、ハンディキャップを越えて復帰した実在のピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴッドの半生を基に描く感動の音楽ドラマ。監督はテレビ出身のスコット・ヒックス。ヘルフゴッド夫妻に取材したヒックスの原案を基に、ジャン・サルディが脚本を執筆。ピアノ演奏はヘルフゴット自身によるものだ。出演は成人したデイヴィッド・ヘルフゴット役を舞台での長年のキャリアを持つジェフリー・ラッシュ、10代をのノア・テイラー、幼年期をアレックス・ラファロヴィッツが演じる。父親役のアーミン・ミューラー・スタールの存在感は強い。ジョン・ギールグッド、リン・レッドグレイヴなどが脇を固める。1997年のキネマ旬報外国映画ベスト・テン第3位のほか、本作品は各部門でオスカーにノミネートされ、ジェフリー・ラッシュは主演男優賞を獲得している。
 ユダヤ人家族、厳格な父、神童と呼ばれた才能、そこにスポットライトが当たると思った途端、さらに苦悩に満ちた日々が訪れることになる。幸いボクには天才的才能が何もないから、天性の才能の持ち主の苦悩はわからない。しかし、コンテストでのデイヴィッドの演奏は圧巻であり、手に汗を握る。このシーンは音楽がわからなくても魂で伝わってくるのだ。ここが、この映画の真骨頂と言える。ここでいつか壊れそうなプレッシャーとパワーが幼い彼を支配するのがわかる。人間模様の軋轢はわかるがその原因や経緯がはっきりしない、ある意味中途半端映画かも解らない。ただ、おそらく父親にはユダヤ人収納所での生活が家族の団結を崩せない強い思いに駆られてしまっていたのではないかと勝手な解釈をしてみた。正直、ジェフリー・ラッシュよりノア・テーラーの方が印象に残った。そこには単にピアノを弾きたいという欲求だけでなく、魂の注入があるのだ。
 苗字の“ヘルフゴッド”を本人は“ヘルプゴッド”という。神様が助けてくれるというのだ。なんとも意味合いの深い苗字だ。苦しみはどうでもいい。それで精神に異常をきたそうがどうでもいい。ここで、彼は最初追しつけられていたピアニストの夢を押し付けた父親と違う形で自分の夢にし、そして最終的に彼なりの夢を叶え、幸せを得る。ここに意味があるのだ。
 これこそ、旋律が人生を語っているというものだ。この経緯、精神壊れても、これが彼の人生、ピアノと愛する人との獲得、これこそが人生だ。そう思う。ボクは今のボクのパワー、精神状態なりの幸せと夢が待っているかもしれないと思わせてくれる感動的な映画だった。

◎作品データ◎
『シャイン』
原題:Shine
1995年オーストラリア映画/上映時間:1時間45分/KUZUIエンタープライズ配給
監督:スコット・ヒックス/原案:スコット・ヒックス/脚本:ジャン・サルディ/製作:ジェーン・スコット/音楽:デヴィッド・ハオフシェルダー/撮影:ジェフリー・シンプソン
出演:ジェフリー・ラッシュ, ノア・テイラー, アレックス・ラファロウィッツ, アーミン・ミュラー・スタール, リン・レドグレイブ

recommend★★★★★★★★★☆
favorite     ★★★★★★★☆☆☆

 プロのチェロ奏者として小林大悟は東京のオーケストラに所属していたが、ある日突然楽団が解散。自分の能力に限界を感じた大悟夢を諦め、1800万円かけて手に入れたチェロをも売り、妻とともに田舎の山形県酒田市へ帰ることにした。就職先を探していた大悟は、新聞で「旅のお手伝い」と書かれた求人を見つけ、旅行代理店の求人と思い込み、NKエージェントの面接に行く。履歴書を一瞥もしない社長の面接で即採用が決まり、慌てて詳細を聞く大悟は月給50万円という破格の条件に喜ぶ。しかし、業務内容が納棺であるとと知り、困惑した。妻には冠婚葬祭関係の仕事だとごまかし、妻は結婚式場に就職したものと勘違いしてしまった。出社しすぐに、それは厳しい仕事であることを実感する。少しずつ納棺師の仕事に充実感を見出し始めていた大悟に、町で噂が立ち始める。やがて妻も仕事の内容を知ってしまう。「汚らわしい」と実家に帰ってしまう妻。幼なじみとも疎遠になり絶望するが、社長のこの仕事を始めたきっかけや独特の死生観を聞き一旦決めた退職を思いとどまる。場数をこなしそろそろ一人前になったころ、妻は大悟の元に戻った。妊娠をしたのだ。そして、ひとり銭湯を切りもりしていたおさな馴染みの友人の母の納棺の仕事が急に入った。友人とその妻子、そして自らの妻の前で母親を納棺する大悟。その細やかで心のこもった仕事ぶりに友人とは和解し、妻の理解も得た。そんなある日、自宅に電報が届いた。大悟が子供の時に家庭を捨て出て行った父、淑希の死を伝えるものであった。
 自分の意図していたものとは全く違う仕事、遺体を棺に納める納棺師となった男の、仕事を通じて触れた人間模様と周りの影響を受けながら成長していく姿を描いた感動作。監督には滝田洋二郎があたり、放送作家の小山薫堂が初の映画脚本に挑戦した。一見偏見を持ってしまう理解の得られにくい職業、納棺師に焦点を当て、重くなりがちなテーマをユーモアも交えながら、しかも真摯で丁寧なタッチで綴られている。主人公の納棺師にはこの企画を持ち込んだ本木雅弘が扮し、広末涼子、山崎努、余貴美子、杉本哲太、吉行和子、笹野高史ら実力派が脇を固める。そしてそれにチェロを中心としたやさしい音色で色を添えるのが久石譲の音楽。
 納棺師、それは芸術とも言える素晴らしい仕事。本木雅弘や山崎努のスムースな所作に思わず魅了されてしまう。美しく厳かな旅立ちの儀式にふさわしいもの。かつて旅先で遭遇した納棺の儀式に感銘を受けた本木の発案だというユニークな題材を持つ本作。『僕らはみんな生きている』『病院へ行こう』などユーモアを交えながらヒューマンな感動を描くのが得意な滝田洋二郎監督だが、今回の演出は特に光るものがあった。誰もがいつかは迎える死、その日まできちんと生きる人々の姿を、夢への執着、仕事への誇り、親子や夫婦の絆を大事に描いたこの作品は誰の心にも深く残ると思う。
 日本国内では第32回日本アカデミー賞で作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞・助演男優賞・助演女優賞・撮影賞・照明賞・録音賞・編集賞をかっさらい、ブルーリボン賞、毎日映画コンクール、報知映画賞、日刊スポーツ映画大賞、ヨコハマ映画祭など今年の賞レースを総嘗めにした。しかし、なんといっても話題になったのは第81回アカデミー賞の外国語映画賞をはじめとする数々の国外での映画賞だ。こういう作品が外国で認められるのはとても嬉しい。我々日本人でも大半が知らなかった日本文化の、若しくは慣習の素晴らしいところだ。
 この映画で、故峰岸徹が死者の役で登場する。そこで使われた小道具「石」。ここには顔すらも忘れてしまった親子の絆を取り戻す力が隠されている。主人公はいろいろな愛や誇りを挫折を経験しながら体得し、そして、過去に置いて来たとても大事なものを、取り戻すことができたのだ。死をもってからしか思い出せなかったのが儚いが。
 本木雅弘はこのためにチェロと納棺師の手技を見事に体現した。凄まじい執念と努力だ。美学の極致にまで達していると思う。死という出来事を門をくぐる作業だとし、それを美しく送り出す役目、その人生を尊敬を持って彩る役目。決して穢れた人間でないことを、人の死という通過点を見守る視点で描き上げたことに賛辞を贈りたい。死ぬということ、今のボクには強く胸に突き刺さる感動の映画だった。

◎作品データ◎
『おくりびと』
英語タイトル:Departures
2008年日本映画/上映時間:2時間11分/松竹映画配給
監督:滝田洋二郎/原作:ゾーイ・ヘラー/脚本:小山薫堂/製作総指揮:間瀬泰宏/製作:信国一朗/音楽:久石譲/撮影:浜田毅
出演:本木雅弘, 広末涼子, 山崎務, 余貴美子, 笹野高史

recommend★★★★★★★★★★
favorite     ★★★★★★★★☆☆

 ロンドン郊外のセントジョージ総合中等学校で歴史を教える初老のバーバラ・コヴェットは、非常に厳格で生徒に知られているベテラン教師、何に対しても常に批判的な上、斜に構えた態度や単刀直入な物言いで周囲から疎んじられていた。孤立しているバーバラはある日、美術教師シーバ・ハートに目を留めた。家族も親しい友人もおらず、飼っている猫だけが心のよりどころだったバーバラは、シーバとの友情に固執するようになる。彼女こそ、私が待ち望んだ女性に違いないと、シーバの様子に執拗に目を配り、日記に彼女のことを夜毎書き綴る。ある日、シーバのクラスで騒動が起こる。偶然、通りかかったバーバラが殴り合う男子生徒を一喝し、騒ぎを収拾した。シーバは心からの感謝をバーバラに捧げ、バーバラを自宅に招くことになった。美容院で髪をセットし、花束を手にいそいそとシーバ宅を訪れたバーバラを出迎えたのは、シーバの夫と長女、ダウン症の長男。幸せを絵に描いたようなブルジョワ家族の休日を皮肉的に見つめるバーバラだったが、食後にシーバから人生の不満や夢を打ち明けられ、彼女との友情を勝手に再確認した。しかし、この友情には価値観の違いがあった。バーバラは神聖なものだと思い込んでいた。演芸会が行われた夜、シーバを探しに美術教室に向かったバーバラは、シーバが男子生徒とセックスしている姿を目撃する。その少年とは以前バーバラが叱った少年スディーヴン・コナリーだった。その関係に気づかなかった自分を呪ったバーバラは、シーバを呼び出し、すべてを告白させる。シーバはバーバラの強い厳命を聞き入れ、コナリーとの別離を決意した。秘密を握ったバーバラとシーバの間には、微妙で奇妙なバランスの友情が培われ始める。
 美しい美術教師と、彼女に執拗な関心を抱くオールドミスの教師とのスキャンダラスな関係を描く心理スリラー。これは実際にアメリカで事件。『アイリス』のリチャード・エアーが映像化した。オスカー女優のジュディ・デンチとケイト・ブランシェットが、火花散る演技対決を繰り広げる。孤独な年配女性教師の屈折した友情が、徐々に偏った愛情へと変化し明らかになっていくストーリー展開に引き込まれる。
 イギリスのブッカー賞で2003年の最終候補に残り、イギリスとアメリカ両方のベストセラー・リストに載ったゾーイ・ヘラーの「あるスキャンダルについての覚え書き」。激しい映画化権獲得の争いが繰り広げられた。スコット・ルーディンとロバート・フォックスのコンビが獲得し、原作を読んだルーディンは、バーバラを演じられるのはジュディ・デンチしかいないと確信していた。物語の非常に主観的なナレーターを含め、言動に悪意すらにじませる老女バーバラをデンチが貫祿たっぷりに演じている。平穏な家庭生活を営むなかで、子宝にも恵まれたが、人生に意義を感じることも自分に自信を持つこともできず、ふとしたきっかけでスタートした禁断の生徒とのセックスにのめりこみ、身動き取れなくなっていくキャラクターをケイト・ブランシェットも繊細さと大胆さを絶妙に配分した演技で人間の欲望をコントロールできない中年女を演じている。何かがバーバラの歪んだ感情を露呈させてしまった。急速にバーバラとシーバは親しくなっていくなか、誰ひとり自分を気に留めてくれなかったバーバラに、学校に行けば若く美しいシーバがほほ笑みかける。孤独なバーバラは友情とはほど遠い感情に翻弄されていく。シーバの抜け毛を偶然手に入れ、まるで宝物のように丁寧にハンカチに包み持ち帰り、大切な日記にスクラップ。シーバに自宅に招かれ社交辞令のつもりが、特別なことと思ってしまうバーバラ。シーバとの友情を美しいものだと信じて疑わないバーバラ。毎日、彼女とのささいな出来事を妄想とも言える表現で綴る。生徒と女教師のセックスを道徳的に考えて妥当な意見で喝するバーバラだが、本心は果たして……。どんどん友情の固執と嫉妬に異常な状態になっていくバーバラ。
 欲望むき出しのエゴイストな老女は、シーバとの関係ののち、ラストでまた同じ過ちを繰り返す。人間はこんなにも醜い生き物なのか。それとも、偏った愛情は人間の理性を打ち砕いてしまうのか。心苦しくなる映画でした。

◎作品データ◎
『あるスキャンダルの覚え書き』
原題:Notes on a Scandal
2006年イギリス映画/上映時間:1時間38分/20世紀フォックス配給
監督:リチャード・エア/原作:ゾーイ・ヘラー/脚本:パトリック・マーバー/製作総指揮:レイモンド・モリス/製作:ロバート・フォックス, アンドリュー・マクドナルド, アロン・ライヒ, スコット・ルーディン/音楽:フィリップ・グラス/撮影:クリス・メンゲス
出演:ジュディ・デンチ, ケイト・ブランシェット, ビル・ナイ, アンドリュー・シンプソン, トム・ジョージソン

recommend★★★★★★☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★★☆☆☆

 

 1950年代の南イタリアのナポリ、沖合いに浮かぶ小さな緑の島。ある日、チリの偉大な詩人で外交官のパブロ・ネルーダは祖国チリを追放されてイタリアに亡命してきた。島の貧しい若者マリオは、父の後を継ぎ漁師になるのを望んでおらず、ネルーダに世界中から届くファンレターを配達するためだけの臨時の配達人の職につく。彼はネルーダの温かみのある人柄に惹かれ、ささやかな交流の中、年の差も越えていつしか友情が芽生える。ネルーダは美しい砂浜で自作の詩をマリオに聞かせ、穏やかで不思議な感覚を与えた。彼はまた詩の隠喩について教わる。そんな時、彼は島の食堂で働く美しい娘、ベアトリーチェに一目惚れする。ネルーダはチリの同志たちが誕生日のお祝いに送ってきたテープをマリオに聞かせた。ネルーダは、坑夫たちの過酷な現実を知り、その深い悲しみの中から詩が生まれたことを語る。マリオは、ネルーダが現実の妻マチルデに送った詩をベアトリーチェに捧げた。しかし、彼女の親代わりのローザの逆鱗に触れた。他人の詩を使うことは感心せんと言うネルーダに、マリオは「詩は書いた人間のものではなく、必要としている人間のものだ」と詩の本質を突いた。やがて、2人は結婚し、ネルーダもマチルダと祝福した。追放令は解除され、夫妻は帰国することになった。空虚感にさいなまれたマリオの元に、詩人から味もそっけもない事務的な手紙しか届かず、彼の心は傷ついた。翌日、マリオは再び別荘で詩人が残したテープを再び聞いた。ネルーダによって人生の意味を知った今、マリオから彼に手紙を書くべきなのだ、と。彼は、自分の書くべき詩だと自然の音とそれを歌った詩を録音し始め、彼の自分の心の世界を広げた。数年後、ネルーダ夫妻が島を訪れた時、そこにマリオの姿はなかった。マリオは共産党の大会に参加し、暴動が起きてその混乱の中で死んだのだった。マリオはネルーダに捧げた詩を労働者の前で発表するために共産党の大会に参加したのだった。ネルーダは二人の思い出の海岸に足を運び、マリオとの日々を思い、そっと涙を流した。
 1950年代のある時期、ナポリ沖合の小さな小島の漁村を舞台に、貧しい純朴な青年が、島を訪れた詩人との友情を通して次第に自己に目覚め、愛を知り、人間として成長していく姿を、温かく描いた感動編。実在したチリの偉大な詩人パブロ・ネルーダをモデルに、同じチリの作家アントニオ・スカルメタが書いた小説「バーニング・ペイシェンス(燃える忍耐)」を『スプレンドール』などに主演したイタリアの喜劇俳優マッシモ・トロイージが製作に加わり映画化した作品。『白い炎の女』の親友であるイギリスのマイケル・ラドフォード監督に指揮を依頼し、予定していた心臓移植の手術を延期してまで撮影に臨んだ。クランク・アップの12時間後である1995年6月4日に41歳の若さで死去した。ロケの最中に倒れ「今度は僕の最高のものをあげるからね」とスタッフに言い残した。アカデミー主演男優賞にノミネートもされた。アメリカではジュリア・ロバーツ、スティング、マドンナら、この映画に感動した人々がサントラ盤用に、ネルーダの詩の朗読に参加したのも話題となった。脚本はトロイージと監督ほか5人。撮影は『サン・ロレンツォの夜』のフランコ・ディ・ジャコモが担当している。哀愁に満ちた印象的な音楽はルイス・エンリケ・バカロフ。もうひとりの主役『ニュー・シネマ・パラダイス』のフィリップ・ノワレの存在感ある演技も素晴らしい。第98回アカデミー賞オリジナル作曲賞受賞。1996年度キネマ旬報外国映画ベストテン第1位。
 “イル・ポスティーノ”とは郵便配達人のこと。知的な詩人と本来なら知りあうはずのない素朴な郵便配達人である青年との心の交流の中に、それぞれの生き方や考え方の美しさが、それぞれの心に響き合い、まるで寄せては返す波のように、感動してしまう。画面も実に美しかった。悪いところがひとつも見当たらない心に癒しを与える名作だ。ただ、正直、心臓移植をしなければ生きてゆけない持病を持つマッシモ・トロイージに、島の坂道を自転車を立ち漕がせる演出は死を導くようなもんではないかい?

◎作品データ◎
『イル・ポスティーノ』
原題:Il Postino(英語タイトル:The Postman)
1996年イタリア・フランス・ベルギー合作映画/上映時間:1時間48分/ブエナビスタインターナショナルジャパン配給
監督:マイケル・ラドフォード/原案:アントニオ・スカルメタ/脚本:アンナ・パビニャーノ, マイケル・ラドフォード, フリオ・スカルベッリ, ジャコモ・スカルベッリ, マッシモ・トロイージ/製作総指揮:アルベルト・バッソーネ/製作:マリオ&ヴィットリオ・チェッキ・ゴーリ, ガエターノ・ダニエル/音楽:ルイス・エンリケ・バカロフ/撮影:フランコ・ディ・ジャコモ
出演:フィリップ・ノワレ, マッシモ・トロイージ, マリア・グラッツィア・クチノッタ, リンダ・モレッティ, アンナ・ボナルート

recommend★★★★★★★★☆☆
favorite     ★★★★★★★★★☆

 ニューヨーク近郊の11歳のエヴァンは、両親が必ず迎えに来ると信じながら養護施設で暮らしていた。孤児院で育ったエヴァンには生まれつき類い希な音感を持つ豊かな音楽の才能が備わっていた。両親と自分は、心に聞こえてくる音を通じてつながっている。そう固く信じていたある日、不思議な音に導かれるように彼は施設を抜け出してしまった。たどり着いたマンハッタンで彼は、“ウィザード”と名乗る男にギターを習い、ストリート・ミュージシャンのグループと生活を共にしながら、両親探しの第一歩を歩み出す。そこでエヴァンは音楽の才能を開花させる。“僕が奏でるギターの音は、この世界のどこかにいる両親の耳にきっと届く”―その思いを胸に、街角で無心に演奏するエヴァン。同じころ、エヴァンは死んだと思っていた彼の母ライラ、そしてライラと結ばれることはなく一時は悲嘆にくれていた父ルイスも、音楽に導かれるかのように、それぞれの想いを胸に見えない運命の糸にたぐり寄せられるようにマンハッタンを目指していた。果たしてエヴァンは、彼ら両親に会い、愛を伝えるという夢をかなえることができるのだろうか?
 天才的な音楽の才能を持つ孤児の少年エヴァン、彼と意図せず離れ離れとなってしまったチェリストの母ライラと、元ミュージシャンの父ルイス。それぞれがそれぞれの想いを抱きながら、運命の再会を果たすために奔走し、音楽によって両親との絆を取り戻す感動のファンタジードラマ。音楽が人に与えてくれる不思議な力と親子愛が、感動の涙を誘う。壮大な狂誌曲と共に訪れるラストシーンは純粋な感動を与えてくれる。監督は父ジム・シェリダンの監督作『イン・アメリカ/三つの小さな願いごと』で脚本を手掛けたカーステン・シェリダン。『ネバーランド』『チャーリーとチョコレート工場』の子役フレディ・ハイモアが主人公の少年をピュアな演技で好演。ギターを弾くシーンは音楽の楽しさを全身で表していて、観ている側も心が躍る。ライラ役のケリー・ラッセル、ルイス役のジョナサン・リース=マイヤーズもそれぞれ見事な演奏シーンを披露。少年を音楽の世界へと導く元ストリート・ミュージシャンをロビン・ウィリアムズが演じる。また、映画の第2の主役とも言うべきテーマ音楽を手がけたのは、名匠のマーク・マンシーナと、『ライオン・キング』でオスカーを受賞したハンス・ジマー。ヴァン・モリソンの「ムーンダンス」から、クラシック、ゴスペルまで、様々なジャンルがクロスオーバーする劇中曲の音楽監修として、ジェフリー・ポラック、ジュリア・マイケルズ、アナスターシャ・ブラウンの3人のスーパーバイザーが担当している。彼らが監修したナンバーで、ハーレムのインパクト・レパートリー・シアターが本作のために書き下ろした「Raise It Up」は、第80回アカデミー賞の主題歌賞にノミネートされた。
 フレディ・ハイモアは、今度は、音楽のパワーを信じる心で夢をかなえていく少年の役に、健気な存在感を光らせる。誰からも理解されない悲しみを内に秘めた孤児だった彼が、人々との触れ合いを通じて自身の才能に目覚め、人間性を豊かにふくらませていく姿は、音が旋律となり、旋律が音楽になっていく音楽の出来上がる過程とよく似ている。そして、エヴァンの投げかけた単音が、母のライラ、父のルイスの魂と響きあい、家族というハーモニーに昇華していくドラマには、すがすがしい感動が満ちあふれている。
 冒頭、現在と回想が輻輳し、複雑な映画と思いきや、すぐに先が読めてしまう。こんな出来すぎた現実は絶対にあり得ない。しかし、こうなるだろうと予想される結末にまんまとはまってしまい、余りにもきれいなハッピーエンドになっている。現実にない、まさに奇跡です。映画だからこれでいいと思える。ラストシーンが、最高潮にじわじわと涙を誘い、感動的な結末が待っている。その後のあの家族の未来は全く必要ない。陳腐な作品になってしまうだろう。知りたい気はするが。子供の親を求め慕う想い、親が子供を疑わない信念、その親子の見えない絆、それが音楽で繋がっているこの音はパパとママがくれた才能、そう思い彼は自分の居場所を知らせる様に音楽を愛しながら演奏をする。途中に出会う子供たちのつながりや音楽の才能を知り金儲けを企む人々、ロビン・ウィリアムズ演じる不思議な人間の登場が、親子の絆を取り戻す救世主のような存在になっている。裏切られたような表情をするが、実は愛をもって送り出す。あり得ない事だらけの展開で、心をキレイにしてくれる映画らしい映画。映画に敷かできない技。出来としては、無茶な設定や展開に秀逸とは言い難い。しかし、出来なんて、関係ない。観る側を和ませる、それで充分だ。

◎作品データ◎
『奇跡のシンフォニー』
原題:August Rush
2007年アメリカ映画/上映時間:1時間54分/ワーナーブラザーズ映画・東宝東和配給
監督:カースティン・シェリダン/原案:ポール・カストロ, ニック・キャッスル/脚本:ニック・キャッスル, ジェームス・V・ハート/製作総指揮:ロバート・グリーンハット, ラルフ・カンプ, ルイーズ・グッドシル, マイキー・リー, ライオネル・ウィグラム/製作:リチャード・バートン・ルイス/音楽:マーク・マンシーナ, ハンス・ジマー/撮影:ジョン・マシソン
出演:フレディ・ハイモア, ケリー・ラッセル, ジョナサン・リース・マイヤーズ, テレンス・ハワード, ロビン・ウィリアムズ

recommend★★★★★★☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★★★☆☆

 漁業局で毎日、魚を数える仕事をしているアクセルの夢は、アラスカでオヒョウを釣り上げること。叔父レオの使いでポールがアクセルの前に現われ、故郷アリゾナからレオの結婚式の介添人を努めてくれと言ってきた。キャディラックのディーラーをしているレオは、アメリカン・ドリームを信じる男だ。彼はアクセルを仕事のパートナーにしようとしていた。ポールの夢は映画スターになることだ。彼は映画館で舞台に上がり、『レイジング・ブル』のデ・ニーロのセリフぴったりに喋ってみせた。そんな折り、そのままアリゾナに居座り、叔父の仕事である車のセールスを始めたアクセルの前に、未亡人のエレインと義娘のグレースが現われる。夫を射殺した過去のあるエレインの夢は空を飛ぶこと。そして、自殺願望のあるグレースの夢はカメになること。母娘は互いに愛しあい、憎みあった。エレインに一目惚れしたアクセルは、その日から彼女のために飛行機作りに没頭する。ある夜、レオの新妻ミリーの知らせでレオが自殺を遂げたことを知ったアクセルは駆けつけるが、レオは「夢は終わった。お前も大人になれ」と言い残して死んでしまう。アクセルはエレインの40歳の誕生日に飛行機を贈る。しかしアクセルの心はエレインとグレースの間で揺れ動いた。その夜、嵐の中を出ていったグレースは、2人の見ている前で拳銃で遂に自殺を決行した。アクセルはアメリカにはもう、夢など残っていないことに気づくのだった。
 アリゾナを舞台に奇妙な登場人物たちが織りなす、夢を題材にしたヒューマンな喜劇。サラエボ出身のエミール・クストリッツァ監督が初めてアメリカを舞台に、アメリカン・ドリームとその行方を、不思議な感覚で描いた作品。脚本は監督のコロンビア大学映画学科での教え子デイヴィッド・アトキンスのオリジナル。それに監督が手を加えた。出演者もジョニー・デップ、フェイ・ダナウェイ、リリ・テイラー、ヴィンセント・ガロ、ディーン・マーティンらが異様な芸達者ぶりを見せる。特にフェイ・ダナウェイの変人ぶりには恐れ入る。演技と思えない本当に変な、でもきれいなおばさんだ。
 ストーリーだけ見ると悲惨だが、これはたぶん喜劇。滑稽という言葉がぴったりくる。簡単に言うと、難解な作品かもしれない。いわゆるアメリカン・ドリームのような誰もが抱く理想を努力を持って切り開く映画ではなく、途轍もない夢を追い続ける変人たちの映画だ。しかし、滑稽に見えるその夢も本人たちにとっては真剣そのもので、自分の夢に跳ね返してみたりする。はたしてボクが抱く夢とは何で、それは努力すれば叶う可能性のある現実的な夢なのか、無謀な超現実的な理想なのか。しかし、それがなんであろうと夢は夢。理想や目標とは違う。諦めなければいけない時もあるし、変人扱いされながら成し遂げて大英雄になる人もいる。そこに自分のポリシーや信念や自信が存在するかしないかが、問題だと思う。宝くじを夢と思う人もいるだろう。でもそれは自分で手に入れるような夢ではない。他力本願でない夢への邁進こそが美しいのだと思う。
 ベルリン映画祭で銀熊賞を受賞している。ほかで言う監督賞にあたる。そこまで演出に秀でた感じがあるか微妙だが、ボクの好きな映画のひとつだ。わかりやすい映画が好きな方にはお勧めできない。この映画もどのジャンルに入れようか迷った。でも、やっぱり喜劇だと思う。これでもエミール・クストリッツァ監督の中では常識的でわかりやすい映画だと思うんだけどな。途中何度も挿入されるジョニー・デップのナレーションに言いたいことはすべて集約されている気がする。まあ、この登場人物5人は変人でいいのだと思う。ボクから見れば普通だ。

◎作品データ◎
『アリゾナ・ドリーム』
原題:Arizona Dream
1992年アメリカ・フランス合作映画/上映時間:2時間20分/ユーロスペース配給
監督:エミール・クストリッツァ/原作:デニス・ルヘイン/脚本:デイビッド・アトキンス, エミール・クストリッツァ/製作総指揮:ポール・R・グリアン/製作:クローディ・オサール, イヴ・マルミオン/音楽:ゴラン・ブレコヴィッチ/撮影:ヴィルコ・フィラチ
出演:ジョニー・デップ, ジェリー・ルイス, フェイ・ダナウェイ, リリ・テイラー, ヴィンセント・ギャロ

recommend★★★★★☆☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★★★☆☆