現代、クリスティーズでのゴッホの絵画オークション風景。一転、映画は過去に遡る。19世紀後期、オランダ・アムステルダム。画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは貧困と自らの画風の確立に向けての苛立ちに苦しみながらも、創造意欲に苛まれるように独特のタッチで自分の世界を描いていた。娼婦シーンへの想いゆえに均衡を欠いた熱愛弟テオはそんな彼を支え続けた。光と影、正と反のように互いに他の分身であるヴィンセントとテオの深い精神的連帯に余人の立ち入る隙はない。兄ビンセントはテオ宛ての手紙にあらゆることを綴る。一方、兄の存在は、テオの恋愛や結婚にも影響を及ぼす。一方、この頃、ヴィンセントは自分の魂の兄弟としてポール・ゴーギャン(ウラジミール・ヨルダノフ)を知る。二人はテオが画策して作った資金で南プロヴァンス地方へ旅行、絵画製作に励むが、ヴィンセントは生来的不安意識からか段々と奇行を繰り返すようになる。或る晩、娼婦の顔に黒の絵の具を塗りまくって興じていたヴィンセントをゴーギャンは止めに入るが、心を病んだビンセントは自らの耳を切り落としてしまう。ヴィンセントは病院に収容され、テオは彼を見舞う。退院後、ゴッホは再び絵画作りに没頭する。そして草の生い茂る黄金色の草原の真っただ中に画布を置いたヴィンセント。彼はしかし、画布には手をつけず、その場を立ち去ろうとした。一発の銃声。死を悼む葬列が、郊外に向けて歩みをたどる。墓の前で読み上げられる弔辞の不躾さ、偽善ぶりに傷ついたテオは、ひとりその場を脱け出した。彼の辿り着いた先もヴィンセントの絵の中のような草原だった。一年後、彼を追うようにテオも逝去したのだった。
ロバート・アルトマン監督による、ゴッホの生涯を描いた作品。ゴッホの若き日々から、貧困と困窮の中で創作活動を続けつつなかなか世に認められないゴッホと、そんな兄を何かと励ます画商の弟テオとの、お互いへの思いやりと不思議な連帯を細やかに描き、そしてその死に至るまでを語ってゆく伝記映画だ。脚本はジュリアン・ミッチェル、撮影はジャン・ルピーヌ、音楽はガブリエル・ヤーレが担当している。ゴッホを演じるティム・ロスのほか、ポール・リース、ウラジミール・ヨルダノフなどが出演している。
噂によるとこの映画でゴッホ役を演じたティム・ロスが、実際にのめり込み過ぎて精神病寸前まで行ったらしい。同じゴッホを描いた作品に、『炎の人ゴッホ』 があるが、こちらは未見。こちらはカーク・ダグラスがゴッホを演じ、ゴーギャンをアンソニー・クインが演じている。また観賞してみようと思っているが、『ゴッホ』の方は初めはゴッホ没後100年後の1900年にテレビドラマ用に製作、好評だったため改めて映画として公開された。ボクは本にもなっている兄弟の手紙のやり取りを読んでいたし、ゴッホ展も開催されるたびに見に行っているから余計に興味津々だった。邦題は『ゴッホ』だが、原題は“ヴィンセントとテオ”となっていて、兄弟を主軸にしている。ヴィンセントだけでなく弟の最期も描かれている。兄の死後、同じように精神を患い命を落とす最期は悲痛。そこに割って入るようにヴィンセントにかかわってくるゴーギャンの存在は、また興味深い。このゴッホ役を見事に演じぬいたティム・ロスの迫力は見事。耳を切り落とすくだりは特に衝撃的だ。
兄弟の墓がオヴェールに並んで存在する。なんとも哀しい風景に見える。映画は全体を通し、色彩が印象派の絵画のようだ。生前、ゴッホの作品はほとんど評価されなかった。あまりにも悲劇的な兄弟の人生だ。永遠に残る芸術を生み出した功績の替わりに払った代償は大きすぎる。天国で、何の気兼ねもなく自由に絵を描いてくれているといいのだけれど。
◎作品データ◎
『ゴッホ』
原題:Vincent and Theo
1990年イギリス・フランス・オランダ合作映画/上映時間:2間20分./松竹富士・アルシネテラン配給
監督:ロバート・アルトマン/脚本:ジュリアン・ミッチェル/製作総指揮:デイヴィッド・コンロイ/製作:ルディ・ベーケ, エマ・ハイター/音楽:ガブリエル・ヤーレ/撮影:ジャン・ルピーヌ
出演:ティム・ロス, ポール・リース, ウラジミール・ヨルダノフ, イプ・ヴィンガールデン・ナン, アドリアン・ブリン