Archive for 11月, 2009


 インドの大都市ムンバイの中にある世界最大規模のスラム、ダーラーヴィー地区で生まれ育った少年ジャマール。テレビの人気クイズ番組「コウン・バネーガー・カロールパティ」(クイズ$ミリオネア)に出演し、数々の問題を正解、ついに最後の1問にまで到達した。しかし、無学であるはずの彼がクイズに勝ち進んでいったために、不正の疑いがかけられ、警察に連行されてしまう。そこで彼が生い立ちとその背景を語り始める。
 インド人作家のヴィカス・スワラップの小説「ぼくと1ルピーの神様」を『トレインスポッティング』の斬新で粗雑な印象を受けたダニー・ボイルが映画化。最初に昨年第33回トロント国際映画祭観客賞を受賞してから、第66回ゴールデングローブ賞作品賞を経て、第81回アカデミー賞では作品賞を含む8部門を受賞した。最多部門ノミネートの『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』の最多ノミネートを圧倒する結果となった。結果、作品賞だけでも14以上、監督賞で20以上、演技賞こそほとんどないが、スタッフ関係は数えだしたらきりがない。
 映画版は原作と比べると、ストーリーが大幅に変わっている。主人公の名前は原作ではラム・ムハンマド・トーマスとなっており、キリスト教徒、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒の名前が全部入った不思議な名前となっている。彼は孤児でイギリス人神父に育てられており、彼が半生を語る相手は警察ではなく、彼を警察から救出した女弁護士になっている。孤児である設定なので兄はいないため、映画版にある兄サリムが関わるギャングにまつわる部分は全て映画オリジナルである。原作に登場するサリムはラム・ムハンマド・トーマスの親友のイスラム教徒で、宗教的迫害によって家族が殺害されたのはこのサリムである。また、主人公が恋に落ちる少女の名前はニータで、彼女は主人公が大人になってから娼館で出会った娼婦である。また、ラム・ムハンマド・トーマスが英語を流暢に話せるようになった経緯、列車強盗の話、往年の女優の家で働いた話などは映画版ではカットされている。
 この映画に出演した2人の子役ルビーナー・アリーとアズハルッディーン・イスマーイールの両親が「十分な出演料を受け取っていない」と発言しており、2人の出演料はアズハルッディーンは年間約24万円、ルビーナーは年間約7万円だという。これに対し製作側は、彼らの出演料は同地区の大人が受け取る平均年収の3倍であり、彼らの教育費、生活費、医療費などをまかなうためのファンドもあると反論している。それに加え高校卒業後にファンドとは別に約1300万円が支給されるとしている。ギャラを一括で支払で起こりうる様々なリスクに配慮したためと説明しており、子役の報酬が周囲の大人に搾取されないためだとみられている。またイギリスの大衆紙は、ルビーナー・アリーの父親がアラブ人富豪に扮する記者に約2900万円で彼女の養子縁組を持ちかけたと報じている。父親はこの疑惑を否定したが、別居中の母親が警察に訴えたため同日逮捕されたという経緯があり、人身売買の嫌疑もかけられたりしている。人気クイズ番組という華やかな舞台を借り、ひとりの少年を通して、近代化を遂げるインドで今なお子どもたちを苦しめ続けている社会問題をあぶり出した本作。そのなかで、クイズの出題者を演じている俳優アニル・カプールが、自身が親善大使として支援する国際NGOプランの出生登録プロジェクトに出演料の全額を寄付した、という美談もある。
 様々な苦難を乗り越えてのオスカー受賞だったわけだ。そんなエピソードは関係なく、我々は単に映画としての出来を楽しめばいいわけだ。この映画の舞台となっているクイズ番組の1問1問に彼の過去・背景が関係している。その1問ごとと過去の映像が錯綜して展開してゆく。その裏に隠された人生模様には社会問題があぶり出され、感動を超えた戦慄を覚える。たかが、クイズ、みのもんたとの駆け引きを想像していたとしたら大間違いだ。ラスト、インド映画らしさも醸し出して、何とも悲惨だが痛快で素晴らしい映画だと思う。最初、オスカーで主題歌賞のノミネートを知ったとき、この映画の何とも滑稽なサウンドが2曲もノミネートされ、『レスラー』のブルース・スプリングスティーンの名曲が外れて驚いたが、映画の中に溶け込むとなんて映画を引き立たせる音楽なんだと感心した。ま、とにかく作品賞に当然だと思わせる作り、必見だ。

 
◎作品データ◎
『スラムドッグ$ミリオネア』
原題:Slumdog Millionair
2008年イギリス映画/上映時間:2時間0分/ギャガコミュニケーションズ配給
監督:ダニー・ボイル/原作:ヴィカス・スワラップ/脚本:サイモン・ビューフォイ/製作:クリスチャン・コルソン/音楽:A・R・ラフーマン/撮影:アンソニー・ドッド・マントル
出演:デーヴ・パテール, マドゥル・ミッタル, フリーダ・ピントー, アニル・カプール, イルファーン・カーン
 
 recommend★★★★★★★★☆☆
 favorite     ★★★★★★★★☆☆

広告

 

 マヌエラは38歳の移植コーディネーター。女手ひとつで育ててきた息子のエステバンとマドリッドで暮らしていた。息子は作家志望で、母親のことを書こうとしていた。しかし母のすべてを書くには、大事なことが欠けていた。彼は父親について母から何も聞かされていなかったのである。エステバンの17歳の誕生日、ふたりは大女優ウマ・ロッホが主演する「欲望という名の電車」の舞台を観に行く。それは20年前にアマチュア劇団にいたマヌエラが夫と共演した思い出の芝居だった。彼女はこれまで触れずにきた父親のことを遂に息子に話そうと心に決めていたのだ。だが終演後、ウマ・ロッホにサインをしてもらおうとして彼女の車を追いかけたエステバンは、脇から飛び出した車にはねられてしまう。目の前で息子を失い、絶望するマヌエラは作家を志していたエステバンが肌身はなさず持ち歩いていたノートに書かれた彼の最期の言葉を読むのだった。「昨晩、ママがはじめてぼくに昔の写真を見せてくれた。芝居をやっていた頃の写真だ。ところが、写真の全ては半分に切られていた。切られた半分はお父さんにちがいない。僕の人生が同じように半分失われている気がする。お父さんに会いたい。たとえお父さんがママにどんなひどい仕打ちをしたのだとしても。」マヌエラは、息子に父親が誰であるかをとうとう言い出せなかった。彼女は失った息子の最期の想いを伝えるため、仕事を辞め、かつて青春時代を過ごしたバルセロナへ旅立つ決意をする。マドリッドからバルセロナへ。息子の死を別れた夫に知らせようとマドリードからバルセロナへ来たマヌエラは、ふとしたことからウマの付き人になる。同時に、妊娠したシスター・ロサと同居を始める。ロサは実はマヌエラの元夫の子どもを妊娠していたのだ。赤ん坊が生まれるが、エイズに感染していたロサは死ぬ。葬式の席で、すっかりゲイになった夫に再会し、息子のことを話すマヌエラ。ロサの母親が赤ん坊がエイズ感染していることを恐れるので、新しい息子を守るため彼女は再びマドリードに戻る。数年後、エイズウイルスを克服した子どもを連れ、またバルセロナへやってくるマヌエラ。今度の旅は希望に満ちた旅だった。息子の死の原因となった女優、性転換した売春婦、エイズを抱えて妊娠した尼僧、女性となった元夫など、様々な人々との関係を通して、人生への希望を取り戻していく。
 最愛の息子を事故で失ってしまった母親の、死を乗り越える魂の軌跡を中心に、様々な人生を生きる女たちの姿を描く人間ドラマ。監督・脚本はのペドロ・アルモドバル。アカデミー外国語映画賞、カンヌ国際映画祭監督賞、ゴールデングローブ賞外国語映画賞、ニューヨーク映画批評家協会賞外国映画賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞外国映画賞、英国アカデミー賞監督賞・外国語映画賞、ヨーロッパ映画賞作品賞・女優賞、放送映画批評家協会賞外国語映画賞、セザール賞外国映画賞、ゴヤ賞最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀主演女優賞・最優秀編集賞・優秀音楽賞・最優秀音響賞・最優秀制作チーフ賞、ゴールデン・サテライツ賞最優秀外国語映画賞、ニューヨーク映画批評家賞最優秀外国語映画賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞最優秀外国語映画賞、ナショナル・ボード・オブ・レビュー外国語映画賞、ボストン映画批評家協会賞外国語映画賞、ヨーロッパ映画賞最優秀作品賞・最優秀主演女優賞・最優秀観客賞監督部門、サン・セバスティアン国際映画祭国際映画批評家連盟賞、ブリティッシュ・インディペンデント映画賞最優秀外国語映画賞、全米ブロードキャスト・フィルム批評家協会賞最優秀外国語映画賞、TIME誌年間映画ベストテン 第1位、年エンターテイメント・ウィークリー誌年間映画ベストテン第1位と、数々の賞を総なめにしている。世界中のマスコミから“キャリアの集大成、文句なしの最高傑作”と絶賛を浴びた本作は、愛し、傷つき、悩みながらたくましく生きていく女たちを、独特のユーモアと洗練された映像で描き続けている。全女性に贈られた人生賛歌だ。主役の母マヌエラにアルゼンチンを代表するトップ女優セシリア・ロス、往年の大スター、ベティ・デイビスを彷彿とさせる大女優役にスペインの名花マリサ・パレデス。そして黒い瞳の修道女にペネロペ・クルスなど新旧のラテン諸国を代表する3人の女優が競演。至高の映画『イヴの総て』や、『欲望という名の電車』が劇中に巧みに引用している。タイトルの“All about My Mother”は劇中に出てくる映画『イヴの総て』の原題“All about Eve”を文字ったものでもある。
 マヌエラは、かつてアマチュア劇団に所属していた過去を持ち、映画の冒頭、移植セミナーのシュミレーションのシーンで、息子の死を知らされる母の役を見事に演じる。また後には代役としてプロの舞台にも立ってみせる。俳優ではないが演じる能力を持った人々についての映画を作ろうというのが最初のアイディアだっと監督は語っており、演じる存在としての女性が重要なテーマのひとつになっている。このテーマのルーツは、アルモドバルの子供時代の想い出にまで遡る。『オープニング・ナイト』のジーナ・ローランズ、前述の『イヴの総て』のベティ・デイビス、『L’important c’est d’aimer』のロミー・シュナイダーの3つの映画の女優たちの役どころの精神が、『オール・アバウト・マイ・マザー』の登場人物たちに、煙草、酒、絶望、狂気、欲望、無力感、葛藤、孤立、活力、理解を染みこませている。途中親友のアグラードが公演中止を観客に告げた後、身の上話をする感動的な場面は、昔実際に起きたアルゼンチンの女優ロラ・メンビブレスの出来事に基づいている。
 マヌエラはいつも逃げていた。列車に乗って、数え切れないトンネルを抜けて、最初はバルセロナからマドリッドへ、17年後にはマドリッドからバルセロナへ。そしてその数ヶ月後には再びバルセロナからマドリッドへ。最初の逃亡の時は息子のエステバンをみごもって、息子の父親から逃げていた。父親の名もエステバン。2回目は彼女は息子のエステバンの写真とノートを持っていく。父のエステバンを探し、息子の死を告げるつもりだった。父は息子の存在を知らない。マヌエラは妊娠を知るとすぐに彼から逃げ2度と会いに行かなかったからだ。息子に父は母よりも大きな胸を持ち、ロラという名で呼ばれていたなどと、どうして息子に話せようか。長年の沈黙が犯罪のように女の良心に重くのしかかる。マヌエラはエステバンの父を探すことを自分に命じる。それが彼女の救いになる。彼女はマドリッドには居られない。息子が生き、死んだ街だから。彼女は人々と出会い、バルセロナに住む理由ができる。だが、人々のことを知り過ぎた彼女には逃げる理由もできている。再びバルセロナからマドリッド行きの列車に乗る彼女。その胸には、生後数ヶ月の3番目のエステバンがしっかり抱かれている。彼女はその子を祖母の敵意から守らなくてはならない。赤ん坊はHIVに感染している。祖母はその子に引っ掻かれるだけで感染させられると思っているのだ。2年後、第3のエステバンはウイルスを抑制する力を持っており、マヌエラは彼を調べてもらうためカン・ルチでの会議に彼を連れていくことにする。こうして彼女は第3のエステバンを膝に乗せ、再びバルセロナへ向かう。彼女は子供にパンを与えながら、自分の逃亡の物語を語る。子供は理解しているかのように聞いている。彼女は子供の名前がなぜエステバンなのか、両親はどんな人でどんな風に亡くなり、なぜ彼女が母親となったのかを説明する。バルセロナの祖母も今では心を改めた。エステバンは祖母を愛さなくてはならない。彼女は彼が生まれる前にいたふたりのエステバンのことも教える。この子が大きくなって好奇心が膨らんだら、どんな質問にも答えよう。答えを知らないときは思いつきを話そう。だって即興は得意だもの、と彼女は誇らしげに言う。なろうと思えば女優にだってなれた。でも彼女の唯一の天職は子供たちの世話をすることだった。彼女は子供をしっかり抱きしめる。この映画の持っている魅力はあまりにも多すぎて、上手く整理して語れない。これが100分の中に凝縮されている。是非みんなに観てほしい映画のひとつだ。

◎作品データ◎
『オール・アバウト・マイ・マザー』
原題:Todo sobre mi madre(英語タイトル:All about My Mother)
1999年スペイン映画/上映時間:1時間41分/ギャガコミュニケーションズ・東京テアトル配給
監督・脚本:ペドロ・アルモドバル/製作総指揮:アグスティン・アルモドバル/製作:エステル・ガルシア/音楽:アルベルト・イグレシアス/撮影:アフォンソ・ビアト
出演:セシリア・ロス, マリサ・パレデス, ペネロペ・クルス, エロイ・アソリン, アントニア・ファン・フアン 
  

recommend★★★★★★★★☆☆
favorite     ★★★★★★★★☆☆
  

  ロンドンで働くセバスチャンは、父親レミが癌を患っているとの知らせを聞き、故郷のカナダのモントリオールに帰国した。歴史学教授であったレミは頑固で酒好き、更に女癖が悪い父をセバスチャンは反面教師として育ち、自分はあんな人間にはなるまいと生きてきたのだった。しかしセバスチャンは母に頼まれ、父親の最期の日々を楽しいものにしようと手を尽くした。憎まれ口ばかり叩くレミだが、世界中から集まった友人たちに会い、笑顔を取り戻す。痛みを和らげるため、医者に秘密でヘロイン治療を始めたレミだが、病状は次第に悪化し、セバスチャンは、レミを湖畔の別荘に移すことに。そして遂に、別れの時がやってきた。
 残り少ない人生を謳歌する男と、彼を支える家族や友人達の交流が胸を打つ感動作。監督はカナダの巨匠、ドゥニ・アルカン。ベテラン俳優、レミー・ジラールが偏屈な病人に扮し、シリアスな題材を笑い飛ばす。彼の息子役の人気コメディアン、ステファン・ルソーの熱演も光る。カデミー賞外国語映画賞を受賞し、他にもセザール賞作品賞・監督賞・脚本賞、カンヌ国際映画祭女優賞(マリ・ジョゼ・クローズ)・脚本賞などを受賞。1986年の『アメリカ帝国の滅亡』の続編にあたる。映画解説パンフレットによれば、原題の直訳「蛮族の侵入」が意味するものは、病気であり、新大陸を侵略した白人であり、イスラム教徒を敵視するアメリカ人であるそうだ。
 末期癌で死を目前に控えた父と息子の物語である。享楽的社会主義者を自任する大学教師レミは、父を反面教師に育ち、自分の10倍の年収を稼ぐ息子を「資本主義の申し子」と罵るが、実情はすっかり頼り切りだ。息子は金の力ですべて解決する。病院の買収や鎮痛剤としてのヘロイン調達も仕切り、世界中にいる父の友人や愛人たちを枕元へ呼び寄せる。再会を果たした左翼のインテリ学者たちはシニカルな軽口を叩き、ダンテからプリモ・レヴィまでさまざまな名を口にしつつ、会話は際限のない自嘲に終始する。真理を求め続けながら何も見つけられず、子供っぽさを内包したまま老境を迎えた彼らと、社会人としてはるかに有能な息子との対比には、監督の複雑な思いが見てとれる。日忙しく暮らしている現代人には、「自分の最期をどう生きるか?」とは、疎遠な疑問かもしれない。しかし、最後の瞬間は誰にでもやってくる。どうせなら、大好きな人たちに囲まれて笑顔で過ごしたい。できれば、「愛している」と言ってほしい。『みなさん、さようなら』は、死の瞬間まで生きる喜びを感じさせてくれる、笑いと機知にあふれたコメディ作品。彼らのスマートでユニークな会話は、病気など忘れさせる明るさだが、ふと本音を漏らすレミの姿に、誰もが自分の人生を振り返らずにいられなくなる。レミ役のレミー・ジラールの外見が健康的すぎるのはさておき、泣きと笑いのエピソードを交互に積み重ねる手法は凡庸、しかし、観る側はあらゆる立場から別れを見つめ直す機会が与えられる。「怖いんだ」「死ぬ意味を見つけなければ」というレミのつぶやきに、なんの悔いもなく満ち足りた死とは、実はひどく寂しい最期なのではないか、と思った。2002年以降の多くの作品同様、本作も9・11について触れている。ニュース映像や政治色の強いせりふもあるが、それとは別に歴史学者としてのレミと時代を控えめに重ねた扱いには独自の視点を感じた。登場人物たちはドゥニ監督の作品『アメリカ帝国の滅亡』と同じで、続きとされているが、予め観ておく必要はない。むしろ、『みなさん、さようなら』を見た後で『アメリカ帝国の滅亡』を観ると17年の月日を遡った彼らの姿に、時の流れというものを強く感じるはずだ。先日取り上げた『海を飛ぶ夢』に似た印象を受けるが、こちらの方がユーモラスで風刺の効いた往生物語という感じだ。金の力で友と愛人たちに囲まれ、息子に世話されて苦しみを除去して死んでいく、この無痛文明の極地をいくかのような死に方は果たしてよいことなのか。ここが問題提起となる映画だが、まず日本ではありえない最期、誰もが避けて通れない「死」を観て目てみると、鑑賞後、涙が溢れそうになる。病と闘わなかったレミ。どちらがいいか悪いかではなく、これもまたひとつの選択だと思いながら観終えた。ラストシーンはさわやか。レミが最後まで愛着をもった知的世界が若い世代に引き継がれ、同時にヘロイン中毒の若者を再生させることを予感させる。

◎作品データ◎
『みなさん、さようなら』
原題:Les Invasions barbares(英語タイトル:The Barbarian Invasions)
2003年カナダ・フランス合作映画/上映時間:1時間39分/コムストック配給
監督・脚本:ドゥニ・アルカン/製作:ドゥニ・ロベール, ダニエル・ルイ/音楽:ピエール・アヴィア/撮影:ギイ・デュホー
出演:レミー・ジラール, ステファン・ルソー, ドロテ・レミマン, マリナ・ハンズ, マリ・ジョゼ・クローズ
 
recommend★★★★★★★★☆☆
favorite     ★★★★★★★☆☆☆
  

 1863年、南北戦争で分裂したアメリカに南部の独立を支持したイギリスは、カナダのハリファックスに軍隊を送り込んだ。そこに商船で渡航した乗客たちが上陸する。その中に若く美しい女性の姿があった。検問をすり抜けて馬車の乗った彼女は、御者のオブライエンにサンダース家の下宿を紹介される。彼女はミス・ルーリーと名乗って下宿した。彼女はパリの医師ルノルマンの妻と名乗って公証人ルノワールを訪れる。姪の婚約者ピンソン中尉について内密に調査してほしいというのだ。本屋でピンソン中尉を見かけた彼女は、店主のホイスラーから借金が多いなどピンソンに良くない噂が多いことを聞かされる。ビンソンにはその気もないのに恋文を出したり追い回したりする彼女。彼女の本名はアデル。そして両親からの送金で食いつないでいる。アデルの行動は、日増しに狂的になっていく。心労のたまったアデルは手紙用の紙を購入する本屋の前で倒れてしまう。病床でアデルは両親にピンソンと婚約したと手紙を書く。サンダース夫人に手紙の投函を頼まれた医師は、宛先が文豪ヴィクトル・ユーゴーであることに気づく。アデルはユーゴーの次女だった。ピンソンが宿舎にもどると上着のあちこちに恋文が入れられていたりする。ある日、父からの結婚同意書が届いた。同意書を見てもピンソンに結婚の意志はないので、アデルは、これでお別れだからと涙ながらに訴えピンソンにキスさせる。それでもアデルは両親にピンソンとの結婚を報告した。ピンソンからの手紙で結婚が偽りであり可能性もないことを知ったユーゴーは、アデルに帰国するよう連絡する。だがアデルにピンソンから離れる意思はなかった。奇矯な行動をエスカレートさせるアデルは、売春婦をピンソンの元に行かせる。アデルは帰国の準備を始め、サンダース家を出ても実際に去ることはできず浮浪者向けの無料宿泊所を紹介してもらう。服装もボロボロになったアデルに、父から母が病気療養に移転してひとりぼっちだから帰って来てほしいと手紙が届く。それでも彼女はカナダの町をうろつき続ける。やがて母親の訃報が新聞に掲載された。ピンソンの隊はバルバドス島に移動。後を追ったアデルは黒人地区で倒れ、地元の黒人女性に助けられれる。ピンソンは倒れて看病されているアデルがピンソン夫人と名乗っていることを知らされた。やがて街を徘徊するアデルの姿を見つけたピンソンは後を追う。だが、アデルはピンソンが目の前に立って声をかけても、彼を見止めることはなく歩んでいってしまう。精神を病んだアデルは黒人女性に連れられて帰国し、約40年を精神病院で暗号による日記を書いて過ごす。父ヴィクトル・ユーゴーは1885年に「黒い光が見える」と言い残して死んだ。誰よりも長く生きたアデルが死んだのは1915年4月のことだった。
 フランセス・ヴァーノア・ギール著の「アデル・ユーゴーの日記」をもとに、文豪ヴィクトル・ユーゴーの次女アデルの狂おしい愛情を描いた力作。イザベル・アジャーニの出世作。製作・監督は名匠フランソワ・トリュフォー。彼にとっても、代表作のひとつとなった。
 ハリフォックスのシーンはガーンジー島で、バルバドス島のシーンはアフリカのセネガルの首都ダカールの真向かいにあるゴレー島で、それぞれ撮影されている。トリュフォーは本作の企画を6年間温めていたが、テレビでイザベル・アジャーニを見て、すぐさま彼女のために脚本を書き上げたという。のちに、アジャーニは「この映画のおかげで今の私がある」と語った。実際にアデルがカナダに渡ったときの年齢は33歳であり、当時18歳のイザベル・アジャーニとは年齢にひらきがある。が、そのことについてトリュフォー監督は「誰もそんなことは考えないだろうよ」と答えただけだったという。しかし、恋に取り憑かれた女性の執念は怖い。自分の精神まで狂わせてしまうのだから。その後のイザベル・アジャーニの活躍や役選びを観てもこの作品が原点にあることは明らかだ。とにかく女性は怖いと思い知らされた作品だ。

◎作品データ◎
『アデルの恋の物語』
原題:L’Histoire d’Adèle H.(英語タイトル:The Story of Adele H.)
1975年フランス映画/上映時間:1時間36分/ユナイト配給
監督・製作:フランソワ・トリュフォー/原作:フランセス・ヴァーノア・ギール/脚本:フランソワ・トリュフォー, ジャン・グリュオー, シュザンヌ・シフマン/音楽:モーリス・ジョベール/撮影:ネストール・アルメンドロス
出演:イザベル・アジャーニ, ブルース・ロビンソン, シルヴィア・マリオット, ジョセフ・ブラッチリー, イヴリー・ギトリス

recommend★★★★★★☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆
 
 

 離れ小島の町シーヘブンで生まれ育ったトゥルーマン・バーバンクは看護婦でしっかり者の妻メリルや親友のマーロンたちに囲まれ、保険会社のセールスマンとして何不自由ない平穏な暮らしを平凡に過ごしていた。明るい性格の彼だったが、彼は生まれてから一度も島から出たことがない。ボート事故で父親を亡くしたというトラウマで水が怖くなってしまったからである。だが、大学時代に出会った忘れられない女性、ローレンに会うためフィジー島へ行くというささやかな夢があった。ある日、いつものようにキヨスクで新聞を買おうとした時に、目の前をホームレスの老人が通り過ぎた。それは幼い頃、海に沈み亡くなったはずの父親だった。しかし、その老人は間も無く何者かに連れ去られてしまう。彼は自分の周囲を不審に感じ始める。トゥルーマンがいつもと違う行動を取るとまわりの様子が落ち着かなくなることを発見。ある日、不安と疑問がつのり、妻のメリルに怒りをぶつけた末、メリルは家を出て行ってしまう。トゥルーマンは意を決し、地下室で寝ているふりをして海にボートで漕ぎ出して行く。実は彼の生活は生まれた時から24時間年中無休で全世界にテレビで放送されており、シーヘブンは作り物で彼以外の人間は全員、プロデューサーのクリストフの指示で動く役者であった。彼はアメリカ合衆国公民ですらなく、人生がそのままリアリティ番組として世界220ヶ国に放送されていた。徐々にこの秘密に気付き始めたトゥルーマンはクリストフと会話を交わし、本当の人生を歩みたいを訴えた。だが、虚構の世界へ戻るよう説得するクリストフは、装置を使って嵐を起こす。荒れ狂う波をくぐりぬけた果てに、トゥルーマンは虚構の世界であるロケセットの終端部にたどり着く。そこには外への出口があった。クリストフの呼びかけを無視し、トゥルーマンは出口から出て行った。そしてテレビでその一部始終を見ていた観客たちはトゥルーマンの勇気に拍手を送るのだった。
 “もし、自分の人生が演出されたものだったら?”という破天荒なオリジナリティーあふれる脚本を執筆したのは『ガタカ』で監督デビューも果たしたアンドリュー・ニコル。当初は彼が監督をする予定であった。1200万ドルという巨額のギャラのジム・キャリーが主演することになったため、それをピーター・ウィアーが叙情性とブラック・ユーモアあふれる人間ドラマとして映像化した。ユニークであり、かつ心温まる作品だ。秘密を知ったことから自分の運命を自らの手で切り開こうとする主人公をジム・キャリーが好演し、ゴールデン・グローブ主演男優賞を受賞した。またディレクターを演じたエド・ハリスもいい味を出して同じくゴールデングローブ賞の助演男優賞を受賞している。ゴールデングローブ賞ではさらに音楽賞を獲得したほか、ヒューゴー賞の最優秀映像作品賞、サターン・アウォーズ最の優秀ファンタジー映画作品賞・脚本賞を獲得している。キネマ旬報ベスト・テンの第3位にもなっている。プロットはフィリップ・K・ディックの小説「時は乱れて」からたくさんのアイデアを拝借しているらしい。もちろん死んでしまったという父は本当の父ではなく俳優であり、また実際は前述の通り死んでおらず、のちに感動の再会を果たすことになる。
 これはこれまでに観たことのない全く新しい映画だった。ジム・キャリーは今回、トゥルーマンをお得意のただのおバカを演じるのではなく、優しくナイーブでしかしガッツのある男を演じ、大成功を収めた。観る側はいやでもトゥルーマンに感情移入してしまう。いつも通りのコミカルさにシリアスさを少し加えた彼の演技は、確実に俳優としてレベルアップしていることを示した。社会派で知られるピーター・ウィアー監督も全く新しい作品作りをした。面白いのは、この番組は広告がCMではなく番組中で宣伝されている点。トゥルーマンの親友マーロンがいつも缶ビールをカメラに向けていて宣伝したり、妻メリルが草刈機や万能ナイフなどを日常会話の中で宣伝している。不自然にココアの宣伝をしてしまったりもするのも面白い。自然に違和感をトゥルーマンと観る側に与えているのだ。トゥルーマンが全てに気付き、必死の逃避を開始すると、ただ笑っていられる映画ではなくなる。そして最後のジム・キャリーの笑顔が与えてくれる感動は、従来のコメディから得られるようなものではなかった。新しい社会風刺であり、新しいコメディだ。トゥルーマンは、セットの世界から出た後、今までの人生はすべて無駄だったと思うのだろうか、陽気なトゥルーマンにもどれるのだろうか、人を心の底から信じることができるのだろうか。とても気がかりだ。

◎作品データ◎
『トゥルーマン・ショー』
原題:The Truman Show
1998年アメリカ映画/上映時間:1時間43分/UIP配給
監督:ピーター・ウィアー/脚本:アンドリュー・ニコル/製作総指揮:リン・プレシェット/製作:スコット・ルーディン, エドワード・S・フェルドマン, アダム・シュローダー, アンドリュー・ニコル/音楽:フィリップ・グラス, ブルグハルト・ダルウィッツ/撮影:ペーター・ヴィゾウ
出演:ジム・キャリー, エド・ハリス, ローラ・リニー, ノア・エメリッヒ, ナターシャ・マケルホーン

recommend★★★★★★☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆
 

 20世紀初めのアメリカのモンタナの牧場。元騎兵隊の大佐じゃったウィリアム・ラドローは、殺戮を繰り返す。政府のインディアン政策に嫌気がさし、戦いの記憶から逃れるため、軍隊を引退してモンタナに牧場を持ち、この地に定住して3人の息子たちの成長を見守る。ウィリアムは中でも狩りを好む野性児の次男トリスタンに、ことのほか愛情を注いだ。ウィリアムはインディアン人の牧童を使って、広い牧場を維持していたが、ウィリアムの妻はモンタナの冬の厳しさにまいってしまい、3人の息子を置いて、ひとりだけ街に住む事になり別居生活を始める。厳しい父に躾けられた、長男アルフレッド、次男トリスタン、三男サミュエルの3人兄弟は大変仲が良く、特に末っ子のサミュエルは2人の兄からも、非常にかわいがられて育つ。サミュエルは東部の大学に進学し、大学で知り合ったスザンナと婚約し、スザンナを連れて帰郷する。両親を早くに亡くしたスザンナの清楚な美しさと知性あふれた魅力に、アルフレッドとトリスタンも強く惹かれる。家族4人の男所帯にスザンナが加わり、暖かで静かな生活がしばらく続くが、第一次世界大戦がヨーロッパで始まり、世界の情勢を憂うサミュエルは、戦争嫌いな父の猛反対を無視し、スザンナを家に残したままイギリス軍に志願し、ヨーロッパの戦場に赴く。サミュエルを守る為、アルフレッドとトリスタンもイギリス軍に志願し、3人は同じ部隊で、いつも一緒にいた。しかし、トリスタンがちょっと目を離した隙に、兄に内緒で斥候に出掛けたサミュエルが戦死してしまう。アルフレッドとトリスタンは除隊し、家に帰るがトリスタンはサミュエルの戦死の責任を感じ、落ち込む。そんなときトリスタンとスザンナは、互いに惹かれ合い、ふたりの間に愛が燃え上がる。秘かにスザンナを思い続けとった長男のアルフレッドは、ふたり関係を知り、家を出て町で事業を始め、それが成功し、やがて政治家になるまでに出世する。トリスタンは突然スザンナとの穏やかな生活を捨て、家を飛び出し、船乗りになり消息を絶つ。スザンナはトリスタンの帰りを待ち続けるが、トリスタンからの別れの手紙で、以前から求婚されていたアルフレッドと結婚して町で暮らすようになる。何年かして、トリスタンは突然フラリと帰って来て、牧童頭の娘で小さな時から妹の様にして育ったネイティヴ・アメリカンとの混血で使用人の娘であるイザベラと結婚し、子供をもうける。トリスタンの永年の留守の間に父ウィリアムも老い、牧場は寂れてしまった。そこでトリスタンは、禁酒法に目をつけ、カナダから酒を密輸入して、もぐり酒場に売って儲けるが、町を縄張りにしとるギャング兄弟に目をつけられる。ある日、警察の待ち伏せに遇い、威嚇射撃の流れ弾でイザベルが命を落とす。刑務所に入ったトリスタンをスザンナが訪ね、いまだ消せぬ彼への思いを告白する。だが、彼は拒絶し、その夜、スザンナは自殺した。トリスタンは、銃を撃った警官に復讐を遂げた。スザンナの遺体はモンタナに運ばれ、再会したアルフレッドはトリスタンに、「私は神と人間のルールに従ってきた。お前は何事にも従わなかったが、皆はお前を愛した」と言った。トリスタンは、兄に子供を預かってくれるよう頼み、現れた警察は彼に銃を向けるが、父と兄が危機を救った。トリスタンはまた野の人となり、長年の宿敵だった熊と戦って、1963年に死ぬのだった。
 遙かなるオールド・ウエストを舞台に、愛に素直に生きられない青年と、彼を想い続けた女性の悲しい愛の軌跡を描いた大河ロマン。現代アメリカ文学の人気作家ジム・ハリソンの中編小説を、エドワード・ズウィックの監督で映画化。脚本はスーザン・シリディとビル・ウィトリフ。カナダ・ロケで美しい自然をとらえた撮影はのジョン・トール。
 大河ドラマという意味で、しっかり観せてくれる。自然豊かな田舎の牧場を舞台にして、ある一家の波瀾万丈の歴史を描き出し、丁寧な構成と描写で、2時間以上の長さを感じずに、観れてしまう。この監督のこだわりであるカメラの綺麗さ。ロケ地の選び方もよかったが、シャープさと構図の良さで、空気が澄んでいる感じがする。主演のブラッド・ピットはインディアンの風習にひかれ、野性を内に秘めながら、父の躾により、その野性味を抑制し、弟のためにもそれを表に出さない青年を好演している。アンソニー・ホプキンスの一徹な父親も彼の持ち味を実に自然に表現している。ストリー展開はは全体的に内容がぎっしり詰まっており、最後まで気が抜けないん。腰を据えて集中して観たい作品だ。

◎作品データ◎
『レジェンド・オブ・フォール 果てしなき想い』
原題:Legend of the Fall
1995年アメリカ映画/上映時間:2時間12分/コロンビアトライスター配給
監督:エドワード・ズウィック/脚本:スーザン・シリディ, ビル・ウィトリフ/原作:ジム・ハリソン/製作総指揮:パトリック・クロウリー/製作:エデオワード・ズウィック, ビル・ウィリトフ, マーシャル・ハースコヴィッツ/音楽:ジェームズ・ホーナー/撮影:ジョン・トール
出演:ブラッド・ピット, アンソニー・ホプキンス, エイダン・クイン, ジュリア・オーモンド, ヘンリー・トーマス

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆
 
 

 ハロウィン・タウンの住人達は怖いことや、人を驚かせることが大好き。待ちに待ったハロウィンのお祭りの夜。今年もカボチャ大王ジャック・スケリントンの采配で、万事そつなく事が運び、ハロウィン・タウンは大盛り上がり。けれど、当のジャックの心は弾まない。毎年毎年、ハロウィンの準備に明け暮れることに嫌気がさしていた。浮かない気持ちで親友の幽霊犬ゼロとともに散歩に出たジャックは、森の中で奇妙なクリスマスツリーの形の扉を開く。すると、そこは真っ白な雪と明るいデコレーションに光り輝くクリスマス・タウンだった。初めて見る光景に心奪われたジャックは、早速、自分がサンタに成り代わり、とびきり楽しいハロウィン風クリスマスの準備を始める。しかし、サリーはそんなジャックが心配でならなかった。ジャックはサンタに休暇を取ってもらおうと、ロック、ショック、バレルの悪戯っ子3人組を派遣するが、3人はボスのウーギー・ブーギーに引き渡してしまう。そしてクリスマス・イヴ。棺桶型のソリに乗ったジャックが人間界を訪れてプレゼントを配る。しかし、ハロウィンタウンの住民たちが作った不気味なプレゼントに被害が続出し、ジャックはにせサンタとして軍隊に攻撃される。ようやく自分の愚かさに気づいた彼は、捕らわれのサンタを救い、クリスマスは無事に行われた。沈む彼の側にサリーが寄り添い、ジャックは今まで気にも留めなかった彼女の優しさ、美しさに気づいたのだった。
 原案・原作・キャラクター設定がティム・バートンによるミュージカルアニメーション映画。製作にも携わっている。同じタイトルの絵本や漫画も日本で出版されている。クリスマスの国に憧れるハロウィンの王様ジャック、彼に密かに想いを寄せるツギハギ人形のサリー、彼らを取り巻くちょっと不気味でユニークな仲間たち。美しい映像と音楽でつづられる究極のラブ・ファンタジーだ。公開当時は短編『ヴィンセント』『フランケンウィニー』も同時上映された。バートン・ワールドの原点とも言うべき傑作。
 モデルアニメ、フランケンシュタイン、ハロウィン、オモチャ、ホラー、犬、そしてはみ出し者。これらはティム・バートンが大好きなモノ。彼はそのすべてを注ぎ込んでこの作品を製作した。ダークでマイナーな要素にもかかわらず、明るくポジティヴな作品でもある。ハロウィンのノリでクリスマスをやろうとする主人公ジャックははみ出し者の街でわが道を行き、他人が困惑しようとお構いなしで、その姿はおちゃめなティム・バートンと重なり、彼こそがきっとバートンの理想なのだろうと思えてくる。作る映画のほとんどがプライベート・フィルムであるバートンは、本作以前の作品では、悩みながらの映画作りだったが、ここに来てある種の開き直りを見せ、以来、そのスタンスは変わっていない。これは彼がアイデンティティを確立した映画でもある。全編ストップモーション・アニメーションを使用した意欲作で、モーション・コントロール・カメラの導入やコンピュータでキャラクターの表情の変化をシミュレーションするなど、最新のデジタル技術を駆使し、従来の人形アニメにない大胆で斬新な映像が実現した。ティム・バートンがディズニー・スタジオ在籍中から温めていた企画で、監督はバートンのディズニー時代からの盟友でMTVやCMで活躍するヘンリー・セリック。バートン作品には欠かせないダニー・エルフマンが作詞・作曲、主人公ジャックの歌を手掛け、さらに端役で声の出演も果たしている。主人公の歌うシーンの歌声はダニー・エルフマンだったりする。
 恐怖と怪奇に彩られた異世界で愛や優しさと無縁に育った青年が本当の愛に目覚めるまでを、美しい音楽と映像でグロテスクかつメルヘンチックに描いており、たファンタジー。伝統的なストップアニメーション、人形たちの素晴らしい造形と表情は見事だった。手足が針のように長いジャック・スケリントンの愛らしいこと請け合い。つぎはぎ人形の特性を生かしたサリーのシチュエーションも楽しい。普遍的な日常に対する不満からの脱却を、自分とは対照的な物に求めるが、人々に理解されない悲しさを体験する。そしてやっぱり自分は自分であることの大切さをそっと教えてくれる。大人のための心温まる絵本のような映画だ。

◎作品データ◎
『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』
原題:The Nightmare before Christmas
1993年アメリカ合作映画/上映時間:1時間16分/ブエナヴィスタインターナショナルジャパン配給
監督:ヘンリー・セリック/原作:ティム・バートン/脚本:キャロライン・トンプソン/製作:ティム・バートン, デニーズ・ディ・・ノーヴィ/音楽:ダニー・エルフマン/撮影:ピート・コザチク
声の出演:クリス・サランドン, キャサリン・オハラ, ウィリアム・ヒッキー, グレン・シャディックス, ポール・ルーヴェンス

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★★☆☆☆
 

 1970年代初頭、北海に面したスコットランド北西部の寒村。戒律の厳しいカルヴィン主義が支配するこの村で、敬虔な信者のベス・マクニールは、よそ者のヤンと結婚する。北海油田の採掘現場で働く彼が留守になると、独り、神と対話を繰り返すベスだった。ベスの義姉ドドやヤンの同僚たちは心から祝福するが、ここは厳格なプロテスタント信仰が根強い排他的な土地。教会の長老たちなどは白い眼を向ける。幸福に満ちた新婚生活も束の間、ヤンは油田に戻らねばならず、残されたベスは彼からの電話だけを楽しみに生きる。ところが、ある日、ヤンは現場で頭に重傷を負い、全身麻痺となってしまう。命だけは取り留めたが、全身麻痺のまま回復の見込みはない。神は「お前の望み通りヤンを返した。これからお前の愛が試されるのだ」と告げる。ベスと看護婦であるドドは献身的に介護するが、ヤンは絶望して自殺さえ図る。「もうお前を抱くことはできない。愛人を見つけて、その時のことを話してくれ」というヤンは言った。ベスは夫の言葉を信じ込んで、男たちと関係を持ちはじめ、ついに娼婦に身を落とす。ベスは「お前の愛の証をみせよ」という神の命令に従い、ドドとヤンの主治医リチャードソンの忠告も、このままでは教会から追放されるという母の嘆きも耳に入らない。リチャードソンはベスを救うには精神病院に入れるしかないと判断し、自分の言葉が妻を破滅させつつあると悟ったヤンも同意書に署名する。ベスは病院に向かう車から逃げ出すが、家には受け入れられず、教会からは追放され、子供たちに石を投げられて追われる。疲れ果てたベスはドドにヤンが危篤だと知らされ、沖合に停泊する不気味な大型船に向かう。やがてその船長らにナイフで滅多刺しにされたベスが病院に担ぎ込まれる。ベスはヤンの病状がまったく好転していないと聞き、では自分が間違っていたのだと言い遺して死ぬ。ヤンは奇跡的に回復する。ベスを教会に埋葬すれば葬儀も行えず、地獄へ行くと宣告される。ヤンは妻の遺体を密かに盗み出し、海上油田で海葬に付した。翌朝、遙か天空高くの雲のなかに鐘が顕現し、その音色が海上一面に響き渡った。
 全8章、2時間38分からなる、濃密な愛の物語。手持ちのカメラで撮影された映像は絶えず不安定に揺れ、あたかもドキュメンタリーを見ているかのような生々しさを放っている。監督・脚本はのデンマークの映画作家ラース・フォン・トリアー。各章の冒頭には、プロコル・ハルム、エルトン・ジョン、ディープ・パープル、レナード・コーエン、デイヴィッド・ボウイら、映画の舞台となる1970年代のロックが画面を彩る。各章冒頭のタイトルにはペル・キルケビーのデザインによる、現実の風景ショットにデジタル加工を加えた動く風景画のような象徴的なパノラマが挿入されている。主演は本作が映画デビューとなる舞台俳優だったエミリー・ワトソン、ストックホルム王立劇団メンバーであるステラン・スカルスゲールド。カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを、ヨーロッパ映画賞で3部門を受賞した。また新人エミリー・ワトソンの鬼気迫る演技には高い評価が寄せられ、ヨーロッパ映画賞年間女優賞、全米映画批評家協会賞、ニューヨーク批評家協会賞、英国アカデミー賞女優賞などを受賞したほか、アカデミー主演女優賞にもノミネートされた。
 厚い雲がたれこめるどんよりとしたスコットランドの片田舎を舞台に、信仰心は厚いが少し頭の弱いベスと、油田夫ヤンの究極の愛の物語。日本人には判りづらい、犠牲と貞操観念と信仰の物語。愛しすぎて、幸せなことが怖いベスと、ヤンの新婚夫婦。出稼ぎでヤンのいない淋しさから、どんな形でもいいからヤンを戻してくださいと神に祈るベスに対して、事故により全身麻痺となったヤンの帰還という形で叶えられる。夫の、愛人を作り、その行為を俺に話してきかせろという要求に、始めは嫌がりながらも、それに従う妻。売春婦まがいのベスの行動は村の教会の逆鱗に触れ彼女は村八分。問題の行為も、暴力的な男たちに出会うことによって精神的にも肉体的にも追い詰められてゆくベス。ここでいう犠牲とは、自分がいちばん大事にしているものを捧げること。このベスの場合、愛する男がいながら不本意にも他人とセックスをしなければならない、いわば肉体ではなく尊厳すら投げ捨てなければならないという行為こそが生贄なのであり、ヤンを助けるための究極の試練なのである。どれだけ不徳な行為も、夫の狂った指示も、神の言葉に置き換え、狂信的でさえある。ベスは頭の弱い女性として描かれているが、決してバカではない。自分で神の言葉を語ることによって、常識を得ようとする立派な女性だ。最後、彼女は死が待つ場所へ、知りながらも向かっていく。奇跡を完遂させるために。愛する男の命を守るべく、自分の魂を捧げるベス。それはあまりにも無垢な彼女だからできた、究極の奇跡だと思う。この彼女の行為が果たしてただの狂信なのか、奇跡なのか、それはわからない。しかしこのエミリー・ワトソンという女優のデビュー映画とは思えない舞台で鍛え上げられた演技力。薄い上唇をへの字に曲げてだたをこねる姿やいかにも精神薄弱と思えるような笑い方、彼女の微妙な動きと、愛らしくてつぶらな瞳が、動きがどこか奇矯で、怖くさえ見える。エミリー・ワトソンの映画であるとも言える。
 ヒロインのベスの頭に難があること。舞台となる村落が宗教的に厳格であること。そして、事故にあって不随となる夫の無茶な要求のこと。それらが総て描かれ、全体が纏まっている。これは究極のラヴストーリーであり、酷すぎるトラジディだ。

◎作品データ◎
『奇跡の海』
原題:Amor Omnie(英語タイトル:Breaking the Waves)
1996年デンマーク・スウェーデン合作映画/上映時間:2時間38分/ユーロスペース配給
監督・脚本:ラース・フォン・トリアー/製作総指揮:ラーシュ・ヨンソン/製作:ヴィベケ・ウィンデルフ, ペーター・アールベック・ヤンセン/音楽:レイ・ウィリアムズ/撮影:ロビー・ミューラー
出演:エミリー・ワトソン, ステラン・スカルスガルド, カトリン・カートリッジ, エイドリアン・ローリンズ, ウド・キアー

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★★★☆☆

 

 インディアナ大学の動物学の助教授であるアルフレッド・C・キンゼイは、父親との確執があった。エンジニアであり、教会の日曜学校で講師を勤めていた父はあまりに厳格で、性に対して極めて禁欲的だった。アルフレッドと弟ロバートとを自分と同じエンジニアにするため工科大学への進学を勧めるが、幼いころから単独で生物の観察に勤しんでいたアルフレッドは生物学への傾倒を抑えがたく、密かにた貯め込んでいた奨学金でボードン大学に再入学、父と訣別した。生物学と心理学を修め、更にハーバード大学で分類学博士号を取得すると、インディアナ大学で教鞭を執るようになったアルフレッド・キンゼイ博士は、タマバチ研究に全精力を傾注する。最終的に10万匹に及ぶ個体を標本として採集し、その多種多様な生態を分析した博士は、タマバチ研究における第一人者としての地位を確立する。変人であったが学生と親しく付き合った博士は、“Professor Kinsey”を略した愛称“プロック”の名で呼ばれ、学生達から慕われていた。そんな教え子のひとり、クララと恋に落ち結婚。だが、そんなふたりに立ちはだかった最初の障害は、父の存在ではなく、セックスの問題だった。どうしても痛みを伴うクララに無理強いは出来ず、遂にキンゼイは専門家に相談するという、単純なようでいて、当時の価値観からすると革命的な発想に辿りついた。そうして性に関する問題を克服したふたりは、より深い絆で結ばれることとなる。同時に妻との新婚当時の経験から、キンゼイは大学で性の悩みを持つ同僚や学生達の相談に乗っているうちに、結婚講座を開講するが、セックスをもっと科学的に研究する必要があると感じ、各地を旅しながら様々な1万8千人もの人々に350の質問を投げかけ、にインタビューを試みる。助手たちにも、個別面接で「性」のデーターを収集するよう命じる。助手たちはキンゼイと面接の方法を試行錯誤する。1948年出版の「キンゼイ・レポート」は世界中にセンセーションを巻き起こすと同時に、キンゼイの人生を変えてしまう。数々の苦難を乗り越え、キンゼイは“愛”の真実を見出すことができるのか。
 1万8千人にインタビューを行い、「性」の実態のリサーチに生涯をかけた実在の学者、キンゼイ博士の生涯を描いた感動作。『シンドラーのリスト』のリーアム・ニーソンがキンゼイ博士を演じる。本作でゴールデン・グローブ賞にノミネートされた。監督は『ゴット・アンド・モンスター』のビル・コンドン。製作総指揮にフランシス・フォード・コッポラが名を連ねている。本作でゴールデン・グローブ賞、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされたローラ・リニーの熱演に注目。
 今でこそ、赤裸々な“SEXレポート”が普通の女性誌に登場する時代だが、この映画の舞台となる今から50年前のアメリカは、そんな話はとんでもなく御法度。そんな時代に、性の実態のリサーチに本気で取り組み、生涯を捧げた実在の学者・キンゼイ博士の波乱の生涯を描いた伝記映画だ。本業は動物学者のアルフレッド・キンゼイ博士が、自身のSEXの悩みで医者の門を叩いたことから、「性」体験の実態に興味を持ち始める。その心は、人は千差万別、人と違って当たり前。それを知らずに悩める人々の助けになれば、と始まった調査。独自のインタビュー方法を編み出し、多くの男女から様々な性の実体験、人には言いづらい秘密を調べ上げ、まとめた「キンゼイ・レポート」は驚異の大ベストセラーに。ところがあることがきっかけで、彼の栄光は失墜する。研究にのめりこむあまり、人間社会の倫理を踏み越え、夫婦間以外のセックスを是としたりする研究員らの関係は、やはり衝撃的だ。特に驚くのが、アメリカ社会の、セックスに対する閉鎖性だ。男性の性意識調査を拍手で迎えた社会が、女性版になるとバッシングの嵐に変わる。自由の国アメリカは、同時にセックスを罪悪視するピューリタンの国でもあったと、今さらながら痛感させられた。どんなセックスにも偏見を持たなかったキンゼイを、今、描く意味がある。それにしても、興味や疑問を持つと追跡調査&実験してみないと気がすまない、キンゼイの学者キャラが面白い。元々彼には同性愛の志向もあったらしいのだが、助手の一人がゲイと知り、さっそく実験に及んでしまうシーンもある。しかし物語は、博士と妻クララの強い絆と愛、それゆえの葛藤を軸に、研究に没頭する彼が行き着く先まで、追いかけていく。そこに真実の愛の重みと感動がある。リーアム・ニーソンとローラ・リニーの芸達者が、若年から老年までを演じ切り、魅せる。
 結果、辿り着いたのは、人間は一人一人違うのが当たり前だということだった。性行為の分析を通して、人間には"多数派と少数派"が存在するだけで、"ノーマルとアブノーマル"という分け方はないと主張したのだ。それは、"自分らしく生きたい"という、現代社会では誰もが抱く願いを持つ人々に、勇気と希望を与えたのだ。そしてさらに、結局人間にとっていちばん大切なものは、科学では測定不可能の“愛”だという、たったひとつの答えにたどり着いたのだ。依然困難の予想される未来を前にしながら、穏やかな境地に辿りついた彼の姿を遠く追って物語は幕を引く。

◎作品データ◎
『愛についてのキンゼイ・レポート』
原題:Kinsey
2004年アメリカ・ドイツ合作映画/上映時間:1時間58分/松竹配給
監督・脚本:ビル・コンドン/製作総指揮:フランシス・フォード・コッポラ, マイケル・カーン, ボビー・ロック, カーク・ダミコ/製作:ゲイル・マトラックス/音楽:カーター・バーウェル/撮影:フレデリイク・エルムズ出演:リーアム・ニーソン, ローラ・リニー, クリス・オドネル, ティモシー・ハットン, ジョン・リスゴー

recommend★★★★★☆☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆

 愛する妻のメイと、3人の子供たち、それはジム・ブラドックの何ものにも代えがたい大切なもの。前途有望な若きボクサーとして、強力な右ストレートを武器に栄光への階段を駆け上る彼が、タイトルを奪取するのは時間の問題といわれていた。しかし、1929年、右手の負傷がきっかけとなり、すべてを失った彼は、怪我をしたまま対戦しては負けを重ね、怪我と敗戦と貧困の悪循環へと陥っていった。それから4年。その夜も、完治していない腕で試合に臨み、結果、右手を骨折し惨敗。マネージャーのジョーの嘆願も虚しく、ついにボクサーのライセンスを剥奪されてしまう。失業者のひとりとなったジムは、怪我を隠して、過酷な肉体労働で日銭を稼ぐが、その仕事にすらありつけない日の方が多かった。しかしメイにとっては愛する夫の生死を案じて心乱すことなく、傷だらけで帰宅する彼も見ずにすむ、心の平安を得た初めての日々だった。だが、次男が病に倒れ、メイは家族を守るために子供たちを親類の家に預けることを決意する。それは彼女の苦渋の選択だった。しかしジムにとって、子供を手放すことは、すべてをあきらめることだった。彼は家族を失うよりは、自分の最後のプライドを捨てることを選び、ついに生活保護の列に並ぶ。それでもまだ子供たちを連れ戻すには足りず、かつて彼を見捨てたボクシング委員会へ赴き、援助を求めた。そんな彼の前に、かつてのマネージャー、ジョーが試合の話を持ってきた。世界ランキング2位、今最も勢いのある若手成長株との試合だった。対戦相手が見つからず、リングに上がって彼に打ちのめされてくれるならば、誰でも良い、そんな試合だった。ジョーはすまなそうに申し出るが、その報酬はジムにとって大金だった。彼にとって、家族を救う最後の手段だった試合、運命の一夜、奇跡は起こった。利き腕をかばっての過酷な肉体労働は、いつしか彼に強烈な左パンチを与えていたのだ。そして、まさかの逆転劇が起こる。それは、これからアメリカ中が目撃することになる伝説の幕開けだった。ジョーは彼のために奔走して試合を取り付け、ジムは次々と強敵を倒していった。そしてついに、ヘビー級世界チャンピオン、マックス・ベアへの挑戦権を得る。一度は夢破れながらも、家族のために、決してあきらめずに不可能を可能に変えてゆく父親の姿は、暗い時代に絶望した人々の心を打ち、彼は“シンデレラマン”と呼ばれた。ジムはいまや人々の希望と再生の象徴だった。だが、世界チャンピオンのベアは、リング上でふたりの選手を殺したことのある選手だった。
 家族のために戦った、実際に存在した英雄の物語。大恐慌時代のアメリカで、絶望的な貧困の中で家族のために必死にチャンスをつかもうとし、どん底の生活から一夜にして栄光をつかんだ伝説のプロボクサー、ジェームス・J・ブラドックの実話を基に描いた感動の人間ドラマだ。彼の姿は絶望の淵に立つ多くの人々に“希望”という言葉を思い出させた。ラッセル・クロウ、レニー・ゼルウィガーの2大アカデミー俳優が熱演を見せる。監督は『ビューティフル・マインド』のロン・ハワード。
 映画ではクライマックスの対戦相手マックス・ベアーが試合で2人殺していると描写されているが、実際は1人である。そして、ベアーは被害者の家族に慰謝料を払い、被害者の子供を学校に通わせている。また、傲慢な悪役として描かれているが、実際にはユーモアに富んだ人物だったそうである。それはさておき、ロン・ハワード、ラッセル・クロウ、レニー・ゼルウィガーの3人のオスカー受賞者が紡ぎだす至高の人間ドラマが、世界中をかつてない熱い涙で包み込む映画だ。“シンデレラマン”がアメリカの伝説として人々の心に刻まれたあの日、ボクシングの殿堂であるマディソン・スクエア・ガーデンを埋め尽くした観客たちの歓声は、ジムの耳にどれだけ届いていただろうか。彼が本当に聞きたかったのは、家族からの「おかえりなさい」という一言だけだったのだから。ボクシング映画は本当はあまり好きではない。目を覆いたくなるから。この拳闘シーンの撮影は出色の出来で、カメラのフラッシュの光、血しぶき、汗が交錯するリングでの熱い火花は、奥歯を噛みしめたくなる。不屈のボクサー役のラッセル・クロウ、マネージャー兼トレイナー役のポール・ジアマッティの名演がすばらしい。大恐慌時代の極貧生活は悲惨で、父は“ミルク”を求めて闘う。こうした苛酷な現実がクライマックスの感動への伏線となる。妻を演じるレニー・ゼルウィガーの演技が素晴らしい分、貧しさをみじめに強調するばかりなのは気になる。

◎作品データ◎
『シンデレラマン』
原題:Cinderella Man
2005年アメリカ映画/上映時間:2時間24分/ウォルトディズニースタジオ配給
監督:ロン・ハワード/脚本:アキヴァ・ゴールズマン, クリフ・ホリングワース/製作総指揮:トッド・ハロウェル/製作:ブライアン・グレイザー, ロン・ハワード, ペニー・マーシャル/音楽:トーマス・ニューマン/撮影:サルヴァトーレ・トチノ
出演:ラッセル・クロウ, レニー・ゼルウィガー, ポール・ジアマッティ, クレイグ・ビアーコ, ブルース・マッギル

recommend★★★★★★☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆