Archive for 10月, 2009


 非行少年による暴力が横行する近未来のロンドン。そのころのロンドンは共産主義政権にあり、国民は「時計じかけのオレンジ」のように統制され、管理されている。アレックスは仲間と毎日のように暴力、輪姦、強盗、殺人あらゆる悪事を重ねてきた。ある夜、中年女性を死に至らしめた彼は仲間に裏切られ刑務所行きに。刑期は14年。しかし刑期を待ち続けるのが嫌な彼は2年後、政府が打ち出した、反犯罪性人格の治療法「ルドヴィコ治療」の実験の被験者になることを条件に、社会に戻ることを許される。実験は成功し、はれて自由の身となったアレックスは、ほんのわずかな暴力や大好きな第九にも吐き気を覚えるほどの嫌悪感を強制的に植え付けられた。更正したアレックスを待ち受けていたのは、彼のその特性を利用しようとする反政府の人々であり、彼らは政府を批判しようと、アレックスを自殺に追いこんだ。命は助かったが、アレックスの洗脳は解けてしまう。入院をしていると、この「ルドヴィコ治療」を実施させた政府が、マスコミに非難されたため、和解の証にアレックスの大好きだった第九をプレゼントする。その音の中でアレックスは、より大きな悪に生まれ変わってしまう。
 アンソニー・バージェスの同名小説を映画化した作品。原作者自身が「危険な本」と語っている。アレックスは原作では15歳という設定になっているが、映画ではもう少し年上の学生。アレックスが麻薬入りのミルクを飲むミルクバーでたむろしステレオで心酔するベートーベンの「交響曲第9番」や、レイプシーンに流れる「雨に唄えば」など、音楽による効果的な演出が随所に見られる。その音楽を担当したのはウォルター・カーロスで、シンセサイザーを用いたベートーヴェンの「交響曲第9番」に加工した合唱が加わる斬新なものと、オーケストラの演奏による同曲、エルガーの「威風堂々」、ロッシーニの「泥棒かささぎ」など贅沢にクラシックが使われている。タイトル音楽として使われている楽曲は、ヘンリー・パーセルの「メアリー女王の葬送音楽」。暴力やセックスなど、欲望の限りを尽くす荒廃した自由放任と、管理された全体主義社会とのジレンマを描いた、風刺的な作品。監督スタンリー・キューブリックの大胆さと繊細さによって、人間の持つ非人間性を悪の舞踊劇ともいうべき作品に昇華させている。原作同様、ロシア語と英語のスラングで組み合わされた「ナッドサット言葉」なるものが使用されている。 皮肉の利いた鮮烈な風刺だが、一部には暴力を誘発する作品であるという見解もある。
 1971年に製作された映画だけど、いまだに新鮮さを失わない。この映画に描かれている暴力は変わることのない社会への反動的な抵抗なのだと思う。「ルドヴィコ治療」の、アレックスを椅子に縛りつけ、まぶたにクリップをつけて目をつぶることができない状態にし、けんかや暴力や殺しの映画を見せ続けさせるシーンが実にセンセーショナルだ。犯罪性反射神経を抹殺し、悪人を善人に矯正できると主張する設定。監督は雑誌のインタビューに「結局、人間は地球上に現れた最も冷酷な殺し屋だ。暴力に関するわれわれの関心は、われらが原始時代の先祖と、潜在意識のレヴェルでは少しも変わっていない」と言っている。自分自身で考えることができるという人間の最大の特性である選択の自由は、どんな悪人からであっても決して奪ってはいけない、ということだろうか。当時、この作品を見て犯罪を犯した者がいた。この映画が公開された年、アラバマ州知事ジョージ・ウォレスの暗殺を図り、逮捕された。彼は『時計じかけのオレンジ』を見てずっとウォレスを殺すことを考えていたというのだ。暴力を暴力で風刺したこの作品は、新たな暴力を生んでしまった。しかし、事件連鎖は起こるもので、この映画のせいではない。この時代、この政府によるロボット化が更生には導かれず、自殺に追いやってしまったということが、モチーフだ。う~ん、ボクは賛同も批判もできないが、とにかく戦慄を覚えた。

◎作品データ◎
『時計じかけのオレンジ』
原題:Clockwork Orange
1971年イギリス映画/上映時間:2時間17分/ワーナーブラザーズ映画配給
監督・脚本・製作:スタンリー・キューブリック/原作:アンソニー・バージェス/音楽:ウォルター・カーロス/撮影:ジョン・オルコット
出演:マルコム・マクダウェル, パトリック・マギー, マイケル・ベイツ, アドリエンヌ・コリ, ウォーレン・クラーク

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆

 ノルウェー船のクルーとして、世界中を旅して回ったラモン・サンペドロは25歳の夏、岩場から海へのダイブに失敗して頭を強打し、首から下が不随の身となってしまう。それ以来、実家のベッドで寝たきりの生活になったラモン。農場で懸命に働く兄のホセ、母親のような愛情でラモンに接するホセの妻マヌエラなど、家族は献身的にラモンの世話をしていたが事故から26年目を迎えた時、ラモンは自らの選択で人生に終止符を打ちたいという希望を出した。ラモンは、尊厳死を法的に支援する団体のジュネに出会い、その決断を重く受け止めた彼女は、彼の死を合法化するために女性弁護士フリアの援助を求めた。フリアは2年前に不治の病を宣告されており、ラモンの人柄と明晰さに感銘を受けた。フリアは無料で弁護し住み込みでラモンとコミュニケーションを取り、情報を集めた。そしてラモンとフリアは想いを寄せ合い始めていく。そしてもうひとり、テレビのドキュメンタリー番組を見てラモンに会いにやってきた子持ちの女性、ロサ。彼女も、彼の元をたびたび訪れるようになった。そうして尊厳死を求める闘いの準備を進める中、フリアが発作で倒れてしまう。やがてフリアが回復し、ラモンの家に戻ってきた時、深い絆を感じた2人は口づけを交わし、フリアは自分も植物状態になる前に自らも尊厳死を迎える決意をし、ラモンとともに誰も犯罪にならずに済むよう死の計画を立てる。約束の日はラモンの著作の初版が出版される日と決めていたが、フリアは夫の説得によって死の決意を翻してしまった。そしてラモンは、結局ロサの助けを借りて、海の見える彼女の部屋で尊厳死を選ぶ。一方フリアは、出版社が見つかりラモンの自伝が製本された頃、痴呆症の進行によって、ラモンの記憶を失くしてしまうのだった。ラモンに思いを寄せていたロサの協力の下、遠く離れた郊外で誰の殺人の罪にもならないように綿密に計画した、自殺計画をロサの手伝いのもと行うことにする。ビデオカメラをまわし、最後のメッセージを残し、硫酸カリを飲み死亡するのだった。
 “海を飛ぶ夢”とはスペイン語では“内なる海”というタイトルで映画化された。25歳の時に頸椎を損傷し、以来30年近くものあいだ全身の不随と闘った実在の人物、ラモン・サンペドロの手記「レターズ・フロム・ヘル」をもとに、尊厳死を求めて闘う主人公を描いたドラマだ。ハビエル・バルデムのメイクアップも話題になった。自らの死を望み、尊厳死を遂げるべく様々な問題や葛藤を描いたヒューマンドラマ。アカデミー外国語映画賞、ゴールデングローブ賞外国語映画賞、ヨーロッパ映画賞監督賞・男優賞受賞、インディペンデントスピリット賞外国映画賞、ゴヤ賞作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞・主演女優賞など14部門、放送映画批評家協会賞外国語映画賞を受賞している。
 若手ながらスペイン屈指の監督として認められるアレハンドロ・アメナーバル。スペインが誇るトップ男優のオスカー俳優ハビエル・バルデム。しかし、テーマは“尊厳死”。バルデムは老け役に挑戦。アメナーバルはこれまでのようなオリジナルのストーリーと違い、実在の人物と出来事を基に映画化。この3つの難題により、平坦な感動作に陥らずに物語を描くことはとても難しいだろうとも思った。主人公の仕種や表情を思い出すだけで胸が痛くなる。首から上だけの演技、頭髪を薄くし、皺を加えた変貌ぶりは『ノーカントリー』の兇悪犯と同一人物とは思えない。彼が演じるラモンは首の骨を折って20年以上も寝たきり生活を送り、自ら尊厳死を選ぼうとする。その表情は、壮絶な体験をした者しかわからない、どん底にたどり着いた末に得た純真さを湛える。家族に怒鳴りもするし、初対面の女性に鋭い言葉を発して泣かせたりもするが、彼の言葉は芸術的で洞察力に優れており、辛辣だがユーモアにあふれている。ベッドの上の彼と、窓から外へ飛び立って海辺にたどり着く空想の彼、海に飛び込んだ若き日の彼の対比は、詩的なリズムを伴って豊穣なイメージをわかせる。

◎作品データ◎
『海を飛ぶ夢』
原題:Mar Adentro(英語タイトル:The Sea Inside)
2004年スペイン・フランス・イタリア合作映画/上映時間:2時間05分/東宝東和配給
監督・音楽:アレハンドロ・アメナバール/脚本:アレハンドロ・アメナバール, マテオ・ヒル/原作:ラモン・サンペドロ/製作:アレハンドロ・アメナバール, フェルナド・ボバイラ/撮影:ハビエル・アギーレサロベ
出演:ハビエル・バルデム, ベレン・エルダ, ロラ・デュエナス, クララ・セグネ, マヴェル・リヴェラ

recommend★★★★★★★★★☆
favorite     ★★★★★★★☆☆☆

 1823年冬、ウィーンの精神病院でかつての宮廷音楽家アントニオ・サリエリは意外な告白を始める。「モーツァルトを殺したのは私だ」と。そして老人は自殺を図り、雪の降りしきる街を病院へと運ばれた。彼の名前はアントニオ・サリエリ。かつてウィーンで最も尊敬された皇帝ヨゼフ二世に仕える宮廷音楽家であった。やがて、彼の人生のすべてを変えてしまったひとりの天才の生涯、若くして世を去った天才音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトについてを語り始めた。神童としてその名がヨーロッパ中に轟いていたモーツァルトが彼の前に出現したときその運命が狂い出した。作曲の才能は比類なかったが女たらしのモーツァルトが、サリエリが思いよせるオベラ歌手カテリナ・カヴァリエリに手を出したことから、サリエリの憎悪は神に向けられた。皇帝が姪の音楽教師としてモーツァルトに白羽の矢を立てようとした時、選考の権限を持っていたサリエリはこれに反対した。そんな彼の許へ、モーツァルトの新妻コンスタンツェが、夫を音楽教師に推薦してもらうべく、音譜を携えて訪れた。コンスタンツェは苦しい家計を支えるために、何としても音楽教師の仕事が欲しかったのだ。譜面の中身は訂正・加筆の跡がない素晴らしい作品ばかりだった。ある夜の、仮面舞踏会。ザルツブルグから訪れた父レオポルド、コンスタンツェと共に陽気にはしゃぎ回るモーツァルトが、サリエリの神経を逆撫でし、天才への嫉妬と復讐心に燃えるサリエリは、若きメイドをスパイとしてモーツァルトの家にやった。皇帝が禁じていたオペラ「フィガロの結婚」の上演をモーツァルトが計画したのを機に復讐を実行に移そうとするサリエリ。サリエリがスパイから得た情報を皇帝に密告したとも知らず、モーツァルトはサリエリに助けを求める。それを放っておくサリエリ。やがて父レオポルドが死んだ。失意のモーツァルトは酒と下品なパーティにのめり込んでいく。そして金のために大衆劇場での「ドン・ジョバンニ」作曲に没頭していくモーツァルト。しかしサリエリは変装しモーツァルトにレクイエムの作曲を依頼し追い打ちをかける。金の力に負けて作曲を引き受けるモーツァルトの、精神と肉体の疲労は想像以上にすさまじく、「魔笛」上演中に倒れてしまう。コンスタンツェが夫のあまりの乱行に愛想をつかし旅に出てしまったために無人になった家に、モーツァルトを運び込むサリエリ。仮装した彼は衰弱したモーツァルトにレクイエムの引き渡しを迫る。サリエリは作曲の協力を申し出て、一晩かかってレクイエムを仕上げさせるが、翌朝、サリエリが強いた過酷な労働のためか、モーツァルトは息を引きとった。、1791年12月、モーツァルト35歳の若さだった。すべてを告白し、いまや老いさらばえたサリエリひとりが、惨めな生を生きるのだった。
 35歳の若さで逝った天才音楽家ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトと宮庭音楽家アントニオ・サリエリの対決を通してモーツァルトの謎にみちた生涯を描く。製作はソウル・ゼインツ、監督は名匠ミロシュ・フォアマン。ピーター・シェーファーが舞台のために書いた脚本を自ら映画のために書き直した。凡庸な者が天才に抱くねたみと憎悪の裏側を、見ごたえたっぷりに描出している。従来のモーツァルト像を一新するT・ハルスの演技が絶品。1984年度第57回アカデミー賞・作品賞、監督賞、主演男優賞、脚色賞、美術賞、衣裳デザイン賞、メイクアップ賞、音響賞のほかにも英国アカデミー賞4部門、ゴールデングローブ賞4部門、ロサンゼルス映画批評家協会賞4部門、日本アカデミー賞外国作品賞などを受賞している。2002年にディレクターズ・カット版が公開されている。
 溢れんばかりに流れる名曲群、舞台にはないミュージカル部分の追加、チェコのプラハでオールロケした美しい映像など、そのすばらしさは枚挙にいとまがない。2人の音楽家の精神的死闘は、見る者を極度に興奮させる。音楽にも負けず劣らず美しい撮影は、屋内はの数シーンに蝋燭の照明が使われ、ほとんどの屋外ロケは中世以来の古い町並みが現存するチェコの首都プラハで行われている。
 モーツァルトの才能を妬み殺害した、と語る年老いたサリエリの回想というスタイルをとっている。モーツァルト役のトム・ハルスはピアノを猛特訓し、多くの場面で代役や吹替え無しでピアノを弾いている。ネヴィル・マリナーのトレーニングを受け、マリナーに「彼が音楽映画の中で最もちゃんとした指揮をしていると思う」とまで言わしめた。参加を依頼されたマリナーは、「モーツァルトの原曲を変更しない事」を条件に音楽監修を引き受けた。
 「アマデゥス!」、ドラマの中でただ一度、ミドルネームを呼ばれたシーンが印象的。それまでの一般的なモーツァルト像からすれば、下品でイメージが損なわれ、多くの論争を呼んだ。サリエリの独白、神父様への告白を通じて繰り広げられた神童モーツァルトの華麗な宮廷へのデビューから、晩年の痛々しくも悲劇的な最後にいたるまで、克明に綴られる。ラストシーン、モーツアルトを殺したとして自殺を図ったサリエリが、施療院の回廊を歩き進む間のエンディングテーマ、ピアノコンチェルト20番第2楽章、ロマンツェ。無残なシーンの後に続いてのこのエンディグテーマは優美さの中に悲哀・情念が、深く刻まれたままエンドロールに。そして、このラストシーンでモーツァルトにまつわる謎はさらに深まるばかりにさせるのだ。

◎作品データ◎
『アマデウス』
原題:Amadeus
1984年アメリカ映画/上映時間:2間40分./ワーナーブラザーズ・松竹富士配給
監督:ミロス・フォアマン/原作・脚本:ピーター・シェイファー/製作総指揮:マイケル・ハウスマン, ベアティル・オールソン/製作:ソウル・ゼインツ/音楽:ネヴィル・マリナー/撮影:ミロスラフ・オンドリチェク
出演:F・マーリー・エイブラハム, トム・ハルス, エリザベス・ベリッジ, サイモン・キャロウ, ジェフリー・ジョーンズ

recommend★★★★★★★★★☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆

 華北の美しい村。都会で働く青年ルオ・ユーシェンは、父の訃報を聞いてこの村に戻ってきた。母は、伝統の葬儀をすると言って周囲を困らせる。石のように頑なな母の真意とはなんだろう。その様子を見ながら息子は村の伝説となった父母の恋物語を思い出していた。移ろいゆく季節の中で「食」が伝え育む人間の絆。都会からやってきた青年に少女は言葉にできない想いをこめてお料理をつくっていた。青い小花の碗だけが恋人たちの気持ちを知っているのだ。男たちが選ぶ料理。少女は別な人に食べてもらいたくて、その人が青い小花のワンを手にしてくれることを望む。都会からやってきた若い教師ルオ・チャンユーに恋して、その想いを伝えようとする18歳の少女チャオ・ディ。手作りの料理の数々に込めた少女の恋心は、やがて彼のもとへと届くのだが、時代の波が押し寄せふたりは離れ離れになってしまう。少女は町へと続く一本道で、来る日も来る日も愛する人を待ち続けた。そして、その二人の一途な想いが様々な人々の人生を切り拓いたことが母があれほどこだわった葬儀の日に明かになるのだった。
 監督は『あの子を探して』でヴェネチア映画祭グランプリ受賞に輝き、3大映画祭を制したチャン・イーモウ。『紅いコーリャン』『菊豆』など、情念とも見える原色の濃い映像美で衝撃を巻き起こした監督が、『あの子を探して』と本作で打ち出したのは全く新しい爽やかな人間賛歌。既に高い評価を得てきた自らの作風を打ち砕く出来栄えにヴェネチア映画祭とベルリン映画祭で惜しみない拍手と涙で賛辞を得た。主演は本作がデビューとなったチャン・ツィイー。この成功で、アン・リー監督作『グリーン・デスティニー』主演を射止めた。すでにファッション雑誌などの表紙を飾り、ポスト・コン・リー」として目覚しい躍進を遂げた。チャン・イーモウ監督のこだわりが感じられ、またコン・リーに代わってコンビを組める主演女優を発掘した作品といえる。
 料理で初恋を伝える少女とその想いに教壇の声で応える青年教師とが織り成す懐かしく、清廉な感動を運ぶラブストーリー。料理が伝えたその想いが、恋するふたりの、また多くの観客の切ない明日を拓いてくれた・。移ろいゆく四季の中に、都会と村をつなぐ一本の道を通して語られる親子2代の愛の物語。真心とはなにか、誠実とは何か、切々と瑞々しい映像美で描き出している。華やかで壮大な愛の物語が、大自然と風土に包まれて、厳しく胸に迫るものを感じる。
 監督によると、これは「中国の伝統である詩的な愛について、家族について、そして家族の間の絆についての物語」。監督はこの純粋なラブストーリーを語るに当たって、今までになくロマンティックな方法論を選んだ。原題をカラー、過去をモノクロにはせず、現在をモノクロ、過去をカラーで撮影し、クローズ・アップやスローモーション、オーバーラップといった技巧と音楽を駆使しながら叙情性を盛り上げている。やがて、シンプルな物語からは、恋人たちの熱い思いが立ちのぼってくる。少女の顔のみずみずしい表情が、けなげで一途な思いを雄弁に私達に伝え、素直な感動を呼び覚ます。そして、中国の悠久の大地。真っ白な雪原、黄金色の麦畑、青々とした森と白樺の林、丘陵に続く一本道。何気なくて懐かしい情景が、見る者の胸を打ち、涙を誘う。
 たくさんの映画を見てきてその素晴らしさを語るうち、このシンプルで単純な物語に打ちのめされた。村にやってきた20才の教師をひたすら愛する18才のディ。ただ、純粋なだけなのだ。それを100分近くにわたって表現し続ける。けれど、チャン・ツィイーの演じる無垢な純粋さに深く感どうするのだ。これほどの思いがあるだろうか。心を揺さぶる確かなものがある。そこには緻密な舞台、人選、演出、撮影手法があるのだが、それをこれ見よがしにしないただただ純粋な恋愛、これにとにかく脱帽した。

◎作品データ◎
『初恋のきた道』原題:我的父親母親(英語タイトル:The Road Home)
2000年アメリカ・中国合作映画/上映時間:1時間28分/ソニーピクチャーズ配給
監督:チャン・イーモウ/脚本・原作:パオ・シー/製作総指揮:チャン・ウェイピン/製作:ツァオ・ユー/音楽:サン・パオ/撮影:ホウ・ヨン
出演:チャン・ツィイー, チョン・ハオ, スン・ホンレイ, ルオ・ユーシェン, チャオ・ユエリン

recommend★★★★★★☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆

 サンペドロ港に停泊中のコカイン取引現場で、コカイン密輸船が大爆発を起こし、27人が死亡し、大量のコカインと9100万ドルが消えた。捜査官クイヤンはただ一人無傷で生き残ったヴァーバルを尋問する。ヴァーバルは、事件を操っているのは、伝説の大物ギャング「カイザー・ソゼ」であることを告げる。ソゼが襲撃の実行犯ヴァーバルとして、別事件の容疑者5人を集めたというのだ。ある強盗事件の失敗によって、コバヤシという謎の弁護士に面会し、麻薬取引が行われる貨物船の現場を襲撃するよう依頼されたという。同じ頃、FBI捜査官のジャック・ベアは、もうひとりの生存者コバッシュを追って病院へ来ていた。生還したとはいえ、コバッシュは全身に大火傷を負い、虫の息だった。そんな彼が「カイザー・ソゼ」という名を口にした瞬間、ベアは驚きを隠せなかった。カイザー・ソゼとは、FBIが長年総力を挙げて追っている大物のギャングで、その正体を知っている者は誰もなく、その存在自体が伝説化している謎の人物だった。そんな彼を目撃したというコバッシュに対し、ベアはソゼの似顔絵作りに協力するよう指示した。また、ソゼがキートンであると確信を持ったクイヤンは、執拗にヴァーバルを問いつめていき、ヴァーバルもついには「全ての事件は、キートンが仕組んだこと」と漏らしてしまう。警察の保護下に置かれることを拒んだヴァーバルは去っていき、キートンの正体をつかんだクイヤンは満足した表情でコーヒーを飲んだ。ふとクイヤンが部屋の掲示板に目をやると、何とそこには、今までヴァーバルが話していた内容と同じものが載っていた.。ヴァーバルが今までクイヤンに語っていた内容は、掲示板の情報を基に巧みに作り上げられた、偽りの話だったのだ。そんな頃、ベアのいた病院では、カイザー・ソゼの似顔絵が完成していた。その絵に示されたソゼの人相とは思いがけない人物だった。
 アメリカ、日本で大ヒットした、当時、29歳だったB・シンガーの第2作。題名は「重要参考人」という意味。回想によって物語を錯綜させる手法で謎の事件を描く。計算された脚本が話題を呼んで、アカデミー脚本賞を受賞した。また、ケヴィン・スペイシーは本作でアカデミー助演男優賞を受賞した。5人の悪党が集まった犯罪計画の顛末を、トリッキーかつ巧緻な構成で描いたクライム・ミステリー。出演はのガブリエル・バーン、ケヴィン・スペイシー、スティーヴン・ボールドウィン、チャズ・パルミンテリ、ケヴィン・ポラック、ピート・ポスルスウェイト、スージー・エイミス、ダン・ヘダヤなど、当時は無名に近い名優たち。この作品からたくさんのスターが飛び出した。
 映画でも小説でも推理サスペンス、ミステリーってものは、ラスト近くで全然知らない人物が登場してきて、それが犯人では愉しみは半減する。この映画は全てケビン・スペイシーの独白によってストーリーが進行している。犯罪をめぐってどこか怪しい人物たちが次々と登場し、緻密な構成によって物語が二転三転し、最後に意外な真相が明らかにされるというような映画は必ずしも珍しいわけではない。この映画にずっと謎の人物として名前だけが連呼される「カイザー・ソゼ」とは、虚像だ。この映画が非常に魅力的なのは、実に緻密に検証されているところにある。つまりこの映画は、真相がわかればそれでおしまいの映画ではなく、すべてが明らかになったところから、 虚像のはずの実像をたどっていくところに本当の面白みがあると思う。人物を動かす者と動かされる者、操る者と操られる者との関係が皮肉な転倒を繰り返していくことになる。確信していく尋問の行く末が、彼らの結束を固める手助けまでしていることになる。そして次の犯罪に乗りだす常連容疑者たちも見事にはめられたことになる。すべての人間がソゼの本当の目的を知らずに命をはるところに、皮肉な運命が浮き彫りにされる。観る側も騙される。ソゼという虚像をめぐる人間ドラマは、犯罪映画のジャンルや設定を最大限に利用して、集団と個人をめぐる普遍的なテーマを掘り下げている。そんなシンガーのユニークな視点が、よく出来た犯罪映画に見えて、犯罪映画とは言いがたい異色で奥深い作品に仕上がった結果になっていると思う。1回観ると、2度目はつまらないサスペンスではない何度見ても「うーん」と唸らされる映画だ。

◎作品データ◎
『ユージュアル・サスペクツ』
原題:The Usual Suspects
1995年アメリカ映画/上映時間:1時間46分./アスミック配給
監督:ブライアン・シンガー/脚本:クリストファー・マッカリー/製作総指揮:ロバート・ジョーンズ, ハンス・ブロックマン, フランソワ・デュプラ, アート・ホーラン/製作:ブライアン・シンガー, マイケル・マクドネル/音楽:ジョン・オットマン/撮影:ニュートン・トーマス・シーゲル
出演:スティーヴン・ボールドウィン, チャズ・パルミンテリ, ケヴィン・スペイシー, ベニチオ・デルトロ, ガブリエル・バーン

recommend★★★★★★★★☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆

 近未来。遺伝子工学の進歩で胎児の間に劣性遺伝子を排除することが出来るようになった。自然出産により産まれた「不適正者」との間で厳格な社会的差別がそこにはあった。自然分娩で生まれたビンセントは、宇宙飛行士を夢見る普通の青年、しかし劣性の遺伝子を持つ希望の無い生活を送っていた。劣勢遺伝子排除されて生まれた弟アントンと比べ、自分を遺伝子的に劣った「不適正者」であると思っていたヴィンセントだが、遠泳でアントンに勝った彼は家を出る決心をする。そんなある日、ビンセントは闇業者の手配により、事故により下半身不随になって夢を絶たれた優秀な遺伝子をもつ元エリートであり「適性者」のジェロームに成りすます偽装の契約を結ぶ。ジェロームの遺伝子を借りてエリートとなったビンセントは、宇宙飛行施設“ガタカ”に潜り込む。頻繁に行われる化学検査をくぐり抜け、彼はついに探査船の航海士の座を射止めるが、そんな中、彼の正体に疑いを持っていた上司の殺人事件が起こった。事件現場で「不適正者」ビンセントのまつ毛が発見された事から正体発覚の危機が訪れる。ビンセントの素性に疑いを抱く「適正者」の女性局員アイリーンと、今やエリート捜査官になった「適正者」の弟アントンの登場で状況は変化。結局、犯人は別にいたが、ビンセントに好意を抱き始めていた真実を知ったアイリーンは嘆き悲しむ。打ち上げ決行の前日、ヴィンセントはアントンと再び遠泳で対決した。その闘いに勝ったヴィンセントはユージーンに別れを告げて探査船に乗り込んだ。ユージーンは自らの命を絶った。
 遺伝子が全てを決定する未来社会を舞台に人間の尊厳を問うサスペンスタッチのSFドラマ。「トゥルーマン・ショー」の脚本家としても注目されたニュージーランドの新鋭アンドリュー・ニコルの監督デビュー作。製作は「マチルダ」など俳優・監督として知られ、自身の製作会社ジャージー・フィルムズで「危険な動物たち」などを手掛けるダニー・デヴィート、同社の共同設立者であるマイケル・シャンバーグとステイシー・シェール。撮影は近年アメリカに進出したスワヴォミル・イジャック。音楽は名匠マイケル・ナイマン。主演はのイーサン・ホーク。共演はユマ・サーマン、ジュード・ロウ、ローレン・ディーン、ゴア・ヴィダルほか、芸達者な若手からベテランまでが脇を固める。
 ちょっと設定が突飛過ぎ。個人認証の皮膚の貼り付けや、尿の取り換え、脚を切断して骨を延ばすなんて、無理がある。でも、近未来って、本当にあり得そうにも感じる。個人よりもDNAを優先する未来社会。しかしそこで夢を追い続ける主人公の苦悩と恋の行方は、青春映画のみずみずしさが斬新で鮮烈。マイケル・ナイマンの哀愁あふれる音楽や青を基調にしたスラヴォミール・イジャックの映像も独特の雰囲気を醸し出している。
 "Gattaca"の語源、クレジットで強調されるGとAとTとCは、DNAの基本分子であるguanine(グアニン)、adenine(アデニン)、thymine(チミン)、cytosine(シトシン)の頭文字である。人間の成し売る限界は、遺伝子だけではなく劣性遺伝子を持つ「不適正社」でもド廬行くにより希望があり、「適正者」であっても運命で左右されてしまうという人間味とその苦悩を描いたSF作品であり、ドラマだ。
 母親の胎内に居る時既に子供の死因と推定寿命が判明するほど遺伝子工学が発達した未来では、両親の愛の結晶として生れたとしても、遺伝子レベルで操作されていない限り不幸な人生のスタートを強いられる。誕生時の遺伝子検査で心臓疾患の可能性を指摘されたことから、高等教育を受けるチャンスを奪われ、一流企業に入社することもできない。彼は宇宙飛行士になる夢を叶えるため、彼のエゴイズムと緻密な違法な契約へと考えを転換してゆく。しかし、そこに古臭い学歴社会は現実に近いリアル感を受け、感情移入しやすい部分もある。不適正者のヴィンセントと適正者のアントンが海での遠泳の競争をするシーンは人間味を感じる。それからジェロームとの関係。ジェロームは金メダルを取れなかったうえに将来がないから自殺へと決心をしたのだと思う。銀メダルを胸にしていた理由は、金メダルを取れなかった屈辱と、銀メダルを獲得した誇りではないだろうか。ここにも深い人間味を感じる。SFでありながら、またハッピーエンドでないにもかかわらず、この映画がいとおしいのはこの辺の人間味あふれるドラマのせいかもしれない。
 もうひとつ、最後にボクが印象的だったのはオープニングの映像、切った爪が水の中にスローモーションで沈んでいく映像。いかにも、この物語の全体像を映像にした不可思議なオープニングだ。華はないけど秀逸な、また大好きな作品だ。

◎作品データ◎
『ガタカ』
原題:Gattaca
1997年アメリカ映画/上映時間:1間46分./コロンビア映画配給
監督・脚本:アンドリュー・ニコル/製作:ダニー・デヴィート, マイケル・シャンバーグ, ステイシー・シェール/音楽:マイケル・ナイマン/撮影:スラヴォミール・イジャック
出演:イーサン・ホーク, ユマ・サーマン, ジュード・ロウ, アラン・アーキン, ローレンディーン

recommend★★★★★★★☆☆☆
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 1936年の晩冬、スペインのガリシア地方の小さな村に、学校が恐くて仕方ない少年モンチョがいた。少年は喘息持ちで皆と一緒に一年生になれなかった。8歳のモンチョ少年はようやく学校に行く日を迎えた。しかし、初日に緊張のあまりお漏らしをしてしまう。しかし担当の老教師グレゴリオ先生の包み込むようなやさしさに触れ、モンチョは次第に学校に馴染んでいく。モンチョは、先生と森へ繰り出し、蝶に渦巻き状の長い舌があることや、鳥の求愛行動を学んでいく。ところが、そんな平和な生活も束の間。時代はスペイン内戦を迎えてしまう。広場に集まった群衆の前に、ファシズムに反対する共和派の人々が、両手を縛られて一人ずつ姿を現わす。罵声が飛び交うその中には、共和派だったグレゴリオ先生の姿もあった。モンチョは母のローサに、皆と同じように先生を大声で罵るように言いつけられる。よく意味もわからず口を開いたモンチョだが、先生たちを乗せた車が走り出すと同時に、それを必死で追いかけて、こう叫んだ。「アテオ(不信心者)! アカ! 犯罪者!ティロノリンコ! 蝶の舌!」。
 『蝶の舌』は、8歳の少年モンチョが大好きな先生と出会い、大自然の驚異に触れながら成長し、やがてスペイン内戦という悲劇的な時代に直面するまでを描いた運命の物語である。穏やかそうなタイトルには深い意味があり、辛辣で残酷な物語だ。スペイン国民文学賞に輝いたマヌエル・リバスの原作を、名匠ホセ・ルイス・クエルダ監督が映画化。戦争によって人々の平和がいかに崩されていくかが、牧歌的な映像美とともに痛切につづられていく傑作。見終わって、しばらくは誰とも何も語れなくなるほど心を揺さぶられること必至だろう。痛ましく哀しい。1999年サン・セバスチャン映画祭で上映されると、映画のラストで少年の叫びに激しく胸を打たれ、観客たちの拍手は鳴り止むことなく続き「芸術の飛翔!」「涙なしには観られない」とマスコミを熱狂させた。さらに、同年スペインのアカデミー賞と言われるゴヤ賞では、13部門ノミネートという快挙を成し遂げ、脚本賞においては受賞もしている。音楽は「オープン・ユア・アイズ」の監督としても知られるアレハンドロ・アメナバル。出演はフェルナンド・フェルナン・ゴメス、新人の子役マヌエル・ロサノなど。1999年スペイン・アカデミー〈ゴヤ〉賞脚色賞を受賞。
 病弱の少年が心優しい先生との交流を通じて成長していく姿を、そして2人がスペイン内戦という荒波にもまれて迎える悲劇のときを描いた感動のドラマ。最初は少年の不遇の待遇から成長へと繋がる子弟愛を予想させる心温まる映画だと思った。ところが、この映画の本質は全く違うところにあった。戦争が与えた少年へのギフトは人を愛することではなく、残酷さだった。森のこと、虫のこと、花のこと、あるいは友情のこと、教室で押しつける知識だけではなく、グレゴリオ先生は自分の知っている本当のことを丁寧にわかりやすくモンチョに教え、モンチョも吸収してゆく。恋愛や人間関係の酸い甘いも少しだけ学んでいく。子供時代を描く映画に人は決まってそれぞれの記憶や思い出、あるいはわが子の姿を投影する。監督はセンチメンタリズムにある距離を置いた。忍び寄る不吉なファシズムの足音。そして、少年と教師の別れのクライマックス。幼い心には辛すぎる初めての大きな決断のとき、モンチョの無垢な心はは終わりを迎え、生まれて初めて現世界の無常を学ぶ。脆いセンチメンタリズムなどは皆無、ストーリー展開から豆鉄砲を食らった鳩のように虚無感に苛まれる。涙は出ず、絶望感でいっぱいになったところでエンドロールに切り替わる。
 原作者マヌエル・リバスは、誰にも見えないような小さなものに輝きを与えること、傷口に適切な香油を塗ること、真実を語ることにおいて達人かもしれない。最初は絵はがきのように美しい。ラストは、残酷であり、難問を観客に突き付ける。果たして、自分にモンチョ少年のような勇気ある行動がとれるであろうかと。他ファ弑勇気かどうかはわからない。しかし、生きてゆくのに必要な勇気だと思う。本当に叫びたかったのは先生が生徒に伝えた「ありがとう」のお返しの言葉だったはず。先生はモンチョの最後に叫んだ言葉を聞いたのだろうか。辛い映画だが、必見だ。

◎作品データ◎
『蝶の舌』
原題:La Lengua de las Mariposas(英語タイトル:Butterfly Tongues)
1999年スペイン映画/上映時間:1間35分./アスミックエース配給
監督:ホセ・ルイス・クルエダ/脚本:ラファエル・アズコーナ/原作:マヌエル・リヴァス/製作総指揮:フェルナンド・ボヴァイラ, ホセ・ルイス・クルエダ/音楽:アレハンドロ・アメナーバル/撮影:ハヴィエ・サルモネス
出演:フェルナンド・フェルナン・ゴメス, ヌマエル・ロサノ, ウシア・ブランコ, ゴンサロ・ウリアルテ, アレクシス・デ・ロス・サントス

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