Archive for 7月, 2008


みなさんこんにちは。管理人の豆腐でございます。
ただいま肝機能障害と反復性うつ病性障害で入院中です。退院までしばらくお休みしますのでご容赦ください。
忘れないでね。
なお、ジオログは携帯から毎日更新しておりますので、寄ってやってください。
では。
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love letter

 神戸に住む渡辺博子。彼女は山の遭難事故で死んでしまった恋人藤井樹の三回忌の帰り道に彼の母に誘われ、中学の卒業アルバムを見せてもらった。その中に樹の昔の住所を発見した博子は、今は国道になってしまったはずの住所に手紙を出してみることを思い付いた。数日後、博子の手紙は小樽に住む藤井樹という同姓同名の女性のもとに届いていた。手紙の差出人に心当たりのない樹は、好奇心から返事を書いてみることにした。来るはずのない返事が届いたのに驚いた博子は、樹の登山仲間で今はガラス工房で働いている秋葉茂に事情を打ち明ける。秋葉は博子に秘かな恋心を抱いていた。天国の樹から返事が来たと喜んでいる博子に心を痛める秋葉。二人の間で何度かの手紙のやり取りが続き、樹が気味悪く思い始めた頃、秋葉は藤井樹本人であると証明できるものを送れという手紙を博子の名を騙って書いた手紙を送った。怒った樹は免許証の拡大コピーを送りつけ、奇妙な文通を終わらせると宣言する。同姓同名で性別の違う藤井樹の存在を知った博子は、嘘でもいいから信じていたかったと落胆する。それを見た秋葉は博子に樹への思いをふっきらせるために、小樽へ行こうと誘う。小樽に着いた博子と秋葉は樹の家を訪ねるが、彼女は留守にしていた。博子は恋人の樹が死んだことだけを隠して、ありのままに事情を説明した置き手紙を残して帰って行く。博子の手紙を読んだ樹は、中学の時に同級生に同姓同名の藤井樹という男子生徒がいたことを想い出した。しばらくして、博子と樹の間で新たな文通が始まり、樹は博子に請われるままに少年・樹との中学時代の想い出を綴っていった。その頃、博子は秋葉とともに樹が遭難した山に登ろうとしていた。博子は山に近づくにつれて次第に勇気を無くしていく。秋葉から樹が遭難した山を指し示された博子は、「お元気ですか? 私は元気です」と何度も何度も山に向かって叫び、号泣した。数日後、樹の中学の後輩たちが一冊の本を持って彼女の家を訪れた。それは、少年のころの樹が転校する前に彼女に託した本だった。後輩たちに促されて図書カードの裏に目を移した樹は、そこに鉛筆で中学の頃の自分の顔が描かれているのに気付いた。
 『Love Letter』は、1995年公開された岩井俊二監督の日本映画。 中山美穂、豊川悦司主演。誤配された恋文からはじまる、雪の小樽と神戸を舞台にしたラブストーリーだ。岩井俊二の劇場用長編映画第1作である。第19回日本アカデミー賞でも最高賞こそ問っていないが各部門で評価され、一人二役を演じた中山美穂は、ブルーリボン賞、報知映画賞、ヨコハマ映画祭、高崎映画祭などで主演女優賞を受賞した。1995年度キネマ旬報ベストテン第3位、同読者選出ベストテン第1位である。しかしこの評価よりもすごいのは1999年に韓国や台湾でも公開され、韓国ではとりわけ大人気を博し、中に仲山美穂が叫んでいた「お元気ですか?」という言葉が流行語となったり、豊川悦司がバラエティ番組でモノマネされるなどの話題沸騰、舞台となった小樽に韓国人観光客が大勢押し掛けたりした。なお、どうでもいいことだが、藤井樹の自宅という設定だった小樽市の旧坂別邸は、2007年5月26日に火災で焼失している。このロマンティックでミステリアスなラブストーリーは独特の雰囲気を醸し出し、特に中山美穂の二役はとてもムードがあり、アイドル歌手から女優としても藤井樹という珍しい名前が同一人物で存在するという設定はリアリティにかけるし、若き日の二人の樹を演じた柏原崇と酒井美紀があまりに中山美穂に似ていないのでその辺は違和感があるが、若き樹ふたりのノスタルジックで淡い恋のやりとりは、新鮮でほのぼのして好ましい。ハンドカメラを多用し、いろいろな小道具を効果的に用いて、淡いトーンで、メロディアスな音楽で飾った岩井俊二独特の演出やスタッフワークは新鮮で斬新で心洗われる。以降一貫してこだわる岩井俊二ワールドの原点として観てほしい気がする。博子と秋葉が小樽を発つ日、博子が街角で自分と良く似た女性と擦れ違うシーンがある。何かを感じた博子は「藤井さん」と声をかけるが、一瞬振り向いた彼女の姿はすぐに雑踏の中に消えていく。ここがとても印象的で美しい。角の取れた中山美穂の美しさにこの映画で惚れたと言っていいかも。

◎作品データ◎
『Love Letter』
1995年日本映画/上映時間:1時間53分/ヘラルドエース=日本ヘラルド映画配給
監督・脚本:岩井俊二/製作総指揮:松下千秋, 阿部秀司/製作:村上光一/音楽:REMEDIOS/撮影:篠田昇
出演:中山美穂, 豊川悦司, 酒井美紀, 柏原崇, 加賀まり子

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★★★☆☆

sling blade 2

 母親とその不倫の相手とのセックスシーンを見てしまったことで母とその相手を殺害したために、施設に収容されていた知的障害を持つカール。25年間の精神病院での生活を終え、退院する日が来た。故郷へ戻ったカールは仕事も口利きをしてもらい少しずつ慣れ始めていた。そんなカールに声をかけたのは、母親と二人で暮らすフランク少年だった。父親を亡くしているフランクは、カールと過す時間に安らぎを感じるようになり、カールもフランクには心を開き、町の人々とも触れ合いを深めていった。しかし、母親の恋人である乱暴者ドイルは二人の交流を快く思わず、カールを家から追い払おうとする。ドイルを疎うフランクだったが、カールは家を出ていかなければならなかった。フランクの母親に暴力をふるうドイルを見て、カールにある決意が芽生えるのだった。
 1997年のアカデミー賞で作品賞に輝いた『イングリッシュ・ペイシェント』はインディペンデント映画。日本ではありえないことだ。と同時に作品賞にノミネートすらされない作品が脚本賞を獲るのもアメリカのアカデミー賞が門戸を開いてきている証拠。この映画は『イングリッシュ・ペイシェント』を抑えて脚色賞を獲った。しかも、本を書いたのは俳優のビリー・ボブ・ソーントン。彼の初監督作品でもあった。しかし、ここで評価されるべきは彼の演技だろう。パッと見、誰も彼とは気づかないと思う。そういう仕種、表情、口調だ。彼の過去を映画の展開で表現するのではなく最初から過去を告白するシーンから始まり、すべて語ってしまう。これはどうかと最初思った。先入観をいきなり植え付けてしまう独特の手法だ。しかしこれはボクには成功に見えた。回想シーンで過去のエピソードを挿入するよりよっぽど引き込まれる。映画の空気をうんもすんもなく読み取らせてしまう。もうここで監督の手中にわれわれは落ちてしまっているのだ。少年と心を通わすところで性格を表現してしまうのはボクはあまり好きでない。子役で感動させる映画は狡いと思っている。子どもというだけで同情を引くからだ。しかし、この映画ではカールが犯罪者で障害者であるから子どもでも対等な立場になるのが功を奏したのか厭な感じはしなかった。その子役ルーカス・ブラックがまた演技がうまいからかもしれない。予告編や雑誌でリバー・フェニックスに酷似しているところから観に行く気を助長させられたのだが、実に自然体のいい演技だった。本当にこのふたりが友情を育んでいるように見える。以降、ルーカス・ブラックの出ている映画でなかなかこれを超える演技を見られていないのが残念だ。
 過去のある男と孤独な少年の交流を、淡々と描いているのに実にずきんと心に響く。一見相容れない、出会わないふたりの存在が見事に溶け合い、観る側に余韻の深い不思議な感覚を残す。ハートウォーミングなその交流が映画自体のトーンを形成し、悲惨なのに温かい感覚を与える。問題はその悲惨さであり、もう二度と起こすと思えない殺人をまた起こしてしまうのはどんなもんだろう。もう、はじめから彼は人間社会に溶け込めず悲壮なラストを迎えるのだろうなと想像させる。それが再犯なのか自殺なのかそれは最初はわからない。しかし、登場人物がキャラクターを演じて作り上げていくたびにだんだん展開は読めてくる。なのに、やはり、ショッキングなのだ。そうなってほしくなかったと思う気持ちだろうか。
 しかし、この映画は犯罪者はどんないい人間でもまた再犯を犯すということを言っているのではなく、フランク少年が間違いを起こさないために彼がした愛の表現だと思いたい。彼の過去がフラッシュバックして、カッとなっただけかもしれない。でもボクはこれ以上ない絆の物語だと信じたい。そうするとこれはすばらしく良い映画になるのだ。それとともにビリー・ボブ・ソーントンのカールに対する愛着には敬服するのだ。このい映画のタイトル『スリング・ブレイド』が主人公カールが殺人を犯す道具として使った斧の通称であるところに悲哀がある。
 当初この映画を観てえらく感動して好きになったのだが、今回、これを書くにあたって改めて観直してみて、またたくさんのことに気づいた。再び泣かされた。この大雑把な感情を大事に覚えていたいと思う。

◎作品データ◎
『スリング・ブレイド』
原題:Sling Blade
1996年アメリカ映画/上映時間:2時間14分/アスミック配給
監督・脚本:ビリー・ボブ・ソーントン/製作総指揮:ラリー・メイストリッチ/製作:デイビッド・L・ブシェル, ブランドン・ロッサー/音楽:ダニエル・ラノワ/撮影:バリー・マーコウィツ
出演:ビリー・ボブ・ソーントン, ルーカス・ブラック, ドワイト・ヨーカム, J.T.ウォルシュ, ロバート・デュバル

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★★★★☆

the green mile 3 

 大恐慌下の1935年のアメリカ。ジョージア州コールド・マウンテン刑務所の看守主任ポールは、死刑囚舎房Eブロックの担当だった。そんな彼のもとにジョン・コーフィという大男の黒人が送られてきた。幼女姉妹を虐殺した罪で死刑を宣告された彼は、風貌や罪状に似合わないほど弱く、繊細で純粋な心を持っていた。コーフィは、ポールに触れただけで彼の重い慢性疾患を治してしまう。彼はその後もいくつかの命を救い、これを見た看守達は、彼はその不思議な力を神から授かった特別な存在なのではと考え始めた。頼れる部下たちの中でただ一人傍若無人に振る舞う新人のパーシーが踏みつぶしたコーフィーの同房のドラクロアが飼っていた鼠の命を救うコーフィ。ドラクロアはその翌日処刑されたが、パーシーは残酷にも細工をして彼を電気椅子で焼き殺した。ポールらはパーシーを拘禁室に閉じ込めてコーフィをひそかに外へ連れ出した。刑務所長の妻で脳腫瘍で死の床にあったメリンダの命を救わせるためだった。コーフィは、拘禁室から解放されたパーシーをいきなりつかまえるや、メリンダから吸い取った病毒を吹き込んだ。するとパーシーは厄介者の凶悪犯ウォートンを射殺し、そのまま廃人になった。ウォートンこそ幼女殺しの真犯人だったのだ。ポールはコーフィに手をつかまれ、彼の手を通じて脳裏に流れ込んで来た情報で真実を知る。ポールは無実のコーフィを処刑から救おうとした。コーフィが電気椅子に送られることを行う自分達は大きな過ちを犯しているのではないかと。だが、彼は全てを終わらせたいと自ら死刑を望み、最後の望みとして映画『トップ・ハット』を見てからグリーンマイルに赴いた。グリーンマイル・・・・死刑囚が電気椅子まで最後に歩む緑の廊下をグリーンマイルと呼んでいた。そして1995年。老人ホームの娯楽室で名作『トップ・ハット』を見たポールの脳裏に60年前の記憶が甦った。あれから60年。あのときコーフィが与えた奇跡の力はポールの中にいまだに宿るのだった。
 スティーヴン・キングの同名ベストセラー小説の映画化で、スティーブン・キングの小説『ショーシャンクの空に』に続いてフランク・ダラボン監督がメガホンを取った。主人公ポールを演じるのは『フィラデルフィア』『フォレスト・ガンプ/一期一会』で2度のアカデミー賞に輝いたトム・ハンクス。この作品ではノミネートすらされなかった。多分その理由は、出演者全員が個性的で魅力的な中、一際輝いていた大男を演じたマイケル・クラーク・ダンカンの存在感の大きさのせいだと思う。本作では外見のイメージとはまったく違う小心者で心やさしい聖人として涙を誘う演技を見せている。
 さすがは元々ホラー系のコンビ。それが非ホラー作品で映画に再び取り組んだわけである。つまり、『ショーシャンクの空に』を連想してしまうのだ。比較してしまう。泣かせる感動作と思って観ると、エグい描写に目を覆ってしまう。奇跡の力という現実離れした題材に頼った分だけ『ショーシャンクの空に』よりドラマ性が弱い感じがする。しかし、そういう先入観を除いて観れば3時間を越える長丁場を一気に魅せる力のある作品だ。比較はナンセンスかもしれない。わずか30数作品の中でスティーブン・キングを取り上げるのは4回目。うち3作が非ホラー作品。ここでは言っていることが実に深い。死というものと愛というものを饒舌に表現しているのだ。電気椅子に向かう受刑者たちをグリーンマイルへと導く看守達。それぞれの最期の日を迎えるシーンは、目頭が熱くなる。人の死を人が行う。彼らの中には「殺人」という文字が消えない。たとえ正当で職務であったとしても、だ。死刑とはそういうものだ。死刑の是非が頻繁に問われる世の中で、人ひとりの命を考える機会を与える映画だ。そしてもうひとつ、愛。コーフィがポールに向かってこう言うシーンがある。「愛を利用した犯罪が多い」・・・夫婦愛、家族愛、許すことのできる愛、幸せを生む愛、そして不幸も生む愛。観客はこの映画を見ることできっと何かを感じるだろう。
 コーフィを助けられなかったということ、これは是か非か。心がやさしい看守たちだからびどすぎるって、感じますか。冤罪じゃないのかって問いたくなりますか。その日を前に、ポールがコーフィに望みはないかとたずねる。コーフィは答える。「すべてを終わらせることです」と。人々がお互いに傷つけあうのに疲れた彼には、あまりにも美しすぎる魂が宿っており、この世で生きることそのものが、苦しみだった。癒しつづける苦しみ、自分の持てる力と愛を施し続ける苦しみ。コーフィの願いのとおり、ポールたちに、天国に行く姿を見届けてもらえてよかったと感じてないだろうか。苦しみから解き放たれていないだろうか。
 間違えないでください。ボクは死刑を肯定も否定もしないし、死ぬことをもって苦しみから逃れることを肯定も否定もしません。ボクの思想や哲学は別のところにあります。ただ、コーフィが救われたことに感動してほしいともってこの映画をレビューする次第です。

◎作品データ◎
『グリーンマイル』
原題:The Green Mile
1999年アメリカ映画/上映時間:3時間3分/ギャガ・ヒューマックス配給
監督・脚本:フランク・ダラボン/原作:スティーブン・キング/製作:デイヴィッド・ヴァルデス, フランク・ダラボン/音楽:トーマス・ニューマン/撮影:デイヴィッド・タッターサル
出演:トム・ハンクス, デイヴィッド・モース, ボニー・ハント, マイケル・クラーク・ダンカン, ジェームス・クロムウェル

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★★☆☆☆

broadcast news

 テレビ局ワシントン支局の有能なプロデューサーであるジェーンは、ニュース・ライターでレポーターのアーロンと親友であり、絶妙な仕事のパートナーでもある。放送者会議で、ジェーンは地方局のトムと出会い、お互い反発した意見を戦わせた。トムはワシントン支局にレポーターとして起用、支局長のパーティの最中に、シシリーのアメリカ海軍基地が爆撃されたという報せが入り、急遽トムが特番のレポーターに抜擢される。放送日、自分が選ばれなかったアーロンは腐りながらも情報をジェーンに電話で提供する。その協力を得てジェーンは手腕を発揮し、トムのデビューは大成功した。その夜、トムは同じ局のレポーターのジェニファーと関係をもってしまう。後日、レイプされた女性へのインタビューで涙するトムのレポートは大反響をよび、ジェーンも、彼のやさしさにますます惹かれていた。やがて局は大幅な人員整理を行うこととなり窮地に立ったアーロンは、アンカーマンとしてのチャンスを乞う。当日、ジェーンはアーロンを元気づけてから、トムとパーティヘ。アーロンの本番は、原稿は素晴らしいものだったが緊張のため流れる大量の汗で大失態を演じてしまう。ジェーンはトムを待たせてアーロンの家へ行き、落ちこむアーロンを慰める。そこで愛を告白してしまうアーロン。ジェーンの心は揺れた。結局トムとのデートはキャンセルされ、アーロンとも不穏な空気に。人員整理が本格化し、周囲のスタッフは次々と辞めさせられた。ジェーンは支局長に、トムはロンドン支局に栄転。アーロンは解雇を避け自らポートランドのニュース局へ移る決心をする。トムは、ロンドン行きの前に南の島で休暇を過ごそうと、ジェーンに提案。旅立つ前日、ジェーンはアーロンの忠告で、例のインタビューでのトムの涙は、作為的なものだったことを知る。幻滅するジェーン。そうして7年後のワシントン、それぞれの道を歩むジェーン、トム、アーロンの3人は、再会を喜ぶのだった。
 監督は『愛と追憶の日々』のジェームズ・L・ブルックス。これが2作目となる。デビュー作でオスカーを取ってしまい、作品のスケールからしても、この映画は物足りなく感じたはず。しかしそれは前作からの期待感によるもの。短髪でこの映画を見ればもっと違う見方ができる。現にニューヨーク映画批評家協会賞では最優秀作品賞をとっている。この年は『ラスト・エンペラー』という超大作のためにアカデミー賞では影に隠れてしまった感がある。無冠に終わっている。しかし、ほとんどのカテゴリーにノミネートをされ、特に演技陣の評価は高かった。『蜘蛛女のキス』での名演のせいで生ぬるい演技に終始して見えるが、実はいちばん人間らしい人間のいやな部分もいい部分もリアルに演じている。アンカーマンとしてのスター性も出している。でも地味なためにホリー・ハンターとアルバート・ブルックスの方が印象が強い。やる気と野心はあるのにその風格や運のなさからどんどん深みに嵌っていく自滅的な役をアルバート・ブルックスは見事に演じた。普通人の悲哀である。この映画は彼の存在なしに語れない。そして何といってもややもするといやな女にしか見えないキャリアウーマンを強い存在感とパワーで引きこんだのがホリー・ハンター。ボクはこの映画で彼女の大ファンになった。『ピアノレッスン』と対極を成す演技と言える。両方こなせるのはすごい。でも実際の彼女だったら、こんな強いの厭だな。ただ、それでもその弱い部分を泣くことでストレス発散するあたりは彼女の性格をよく表したシーンだ。それだけため込んだものがあるわけで、それだけ芯は弱い女だとも見せてくれる。このせいで厭な女になりきれずに済んでるのではないだろうか。
 この映画は当初、テレビ界の裏側を描いたテンポの速い映画だという売りで予告編が作られていた。しかし、それはほんの一部、言ってしまえばホリー・ハンター演じるジェーンがいかに優れたプロデューサーであるかを見せつけるためだけの要素だ。リストラや組織の厳しさはあるもののそれはテレビ業界に限ったことではない。この映画は何を隠そう三角関係を描いたラブストーリーだったのだ。だから予告編で観に行った人は意表を突かれつまらなさを感じただろう。とはいえ、製作サイドの緊迫感は伝わったし、やらせに対する問題提起などはあって、設定は活きている。結局甘ったるい映画になってしまったのは3人をすべて肯定し、テレビ業界も否定しなかったところにあるのではないだろうか。ただボクはラブストーリーとしてこの映画を絶賛する。現場の駆け引き、緊張、虚栄心、ねたみ、プライド、達成感と虚無感、そんな空気感の中で、今、共感をそれぞれに得られる貴重な映画だと思う。
 あと、カメオ出演のジャック・ニコルソンもいい引き締め役をしていると添えておこう。

◎作品データ◎
『ブロードキャスト ニュース』
原題:Broadcast News
1987年アメリカ映画/上映時間:2時間12分/20世紀フォックス配給
監督・脚本・製作:ジェームズ・L・ブルックス/製作総指揮:ポリー・プラット/音楽:ビル・コンティ/撮影:ミハエル・バルハウス
出演:ウィリアム・ハート, アルバート・ブルックス, ホリー・ハンター, ジョーン・キューザック, ロバート・プロスキー

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★★☆☆☆

being john malkovich

 クレイグ・シュワルツは路上などで人形使いをしている、妻ロッテもペットショップに勤めているが、生活できるほどの収入がない。ある日、クレイグはこれでは生活できないと、定職に就くべく新聞の求人欄を広げ、マンハッタンのビルの7階と1/2にある会社、レスター社に就職する。同僚の美人OLのマキシンに一目惚れした彼は、彼女をくどくが相手にしてもらえない。そんな時、会社でファイリングをしていたクレイグは落とした書類を拾うときに意味ありげなドアをキャビネットの裏に発見する。恐る恐る入っていくと、そこは有名俳優ジョン・マルコヴィッチの頭の中につながっていた。15分間だけ入れてそのあと高速道路の側道に落ちるという妙な体験だった。クレイグはそれを使ってマキシンと商売を始め、次々と客をマルコヴィッチの穴に入れていく。が、それに気付いたマルコヴィッチ本人がそれを知ってしまうのだ。ジョン・マルコヴィッチは会社に押し掛け自分で自分の脳に入って行った。そこから事態はややこしくなっていった。ロッテがその穴に入り、男としてマキシンと性体験して子供まで作ってしまったりと、15分以上とどまれる術を見つけたクレイグも、マキシンとセックスをする。どんどんエスカレートしていく3人。結果、どうにもならなくなったクレイグは元の人形使いに戻り、マルコヴィッチはねじれた世界へ突入していくのであった。
 俳優ジョン・マルコヴィッチの頭の中に入るという、奇想天外なコメディー。監督はこれがデビューのスパイク・ジョーンズ。脚本・総指揮もこれがデビューのチャーリー・カウフマン。出演は自分を演じるジョン・マルコヴィッチ、クレイグをジョン・キューザック、ロッテをのキャメロン・ディアス、マキシンをキャスリーン・キーナーが演じる。2000年ゴールデン・サテライト賞作品賞とキャスリン・キーナーが最優秀助演女優賞を受賞し、アカデミー賞にもノミネートされた。
 どこからこんな発想が出てくるのだろうというくらい度肝を抜かれた。ジョン・マルコヴィッチが自分を演じ、破滅していくという展開もとても意外だ。もう、とにかくジョン・マルコヴィッチが自分の脳に入って行った時のおかしいことおかしいこと、声をあげて大笑いした。
 ただ、話自体は支離滅裂だし、本人が自分の脳に入ることがどういうことかを考えだしたら、変になってくる。そんなことを考えずに笑えばいいのだ。ただ、そこから生まれた結果には少々考えさせられた。そういう世界を体験した3人が普通に戻ることにしたこと、自分の脳に入ってしまったジョン・マルコヴィッチは違う人生を送ることになってしまったこと。この話はあり得ないが、考えられないシチュエーションに置かれると、人生が狂ってしまうことがあることを言っているような気がする。設定があり得ないだけだ。そして15分だけなら超有名人になってみたいという人間の欲望を如実に表している点も興味深い。主人公3人はこれを別の道具に使ったがお金を払って入りに来た客は単なる興味本位だ。自分だったらマルコヴィッチになったら何をしただろうか、とか考えると面白い。できればボクはスティーブン・ドーフの方がありがたい。いや、スティーブン・ドーフの恋人がいいかも。
 人形の中に魂を込めていた主人公が、別の容れ物を見つけた。そして、最終的にはもともとの人形に魂を吹き込むことに戻っていくのである。人を操る、これは難しい。結局は容れものが違っただけで人形であろうがマルコヴィッチであろうが、クレイグはクレイグでしかありえなかったのだ。奥が深いと言えば深い。監督はこの映画にどんなテーマを込めたのだろう。話が奇抜なだけに、ただの狂った映画になってしまいがちな設定なのに、ここからヒューマンさを引き出したのには恐れ入る。人形使いの主人公でなければ意味がなった作品だと思った。のちに『アダプテーション』という秀作も撮る。まだまだ40歳前、これからが楽しみだ。

◎作品データ◎
『マルコヴィッチの穴』
原題:Being John Malkovich
1999年アメリカ映画/上映時間:1時間52分/アスミック・エース配給
監督:スパイク・ジョーンズ/脚本・製作総指揮:チャーリー・カウフマン/製作:マイケル・スタイプ, サンディ・スターン, スティーブ・コリン, ヴィンセント・ランディ/音楽:カーター・パーウェル/撮影:ランス・アコード
出演:ジョン・キューザック, キャメロン・ディアス, キャスリン・キーナー, ジョン・マルコヴィッチ, チャーリー・シーン

recommend★★★★★★☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆

the spitfire grill

 パーシーは5年間の刑期を終えてメイン州の小さな町ギリアドでバスを降りた。町の保安官の斡旋でハナの営む小さなレストラン「スピットファイア・グリル」で住み込みで勤めはじめた。しかし、偏屈なハナとはなかなかうまくいかず、他の住民たちもよそ者の彼女の過去を噂する。パーシーは自ら過去をレストランの常連客の前でカミングアウトした。仕事にも慣れはじめた頃、ハナが脚を骨折。病院まで運んでくれたパーシーを少しずつ信頼していくハナ。だが、ハナの甥のネイハムはパーシーの前科を盾に信用できないからと妻のシェルビーに店を手伝うように促した。最初はびくびくしていたシェルビーもだんだんとパーシーと心を通わせていく。そんな折り、パーシーはハナから裏庭に缶詰を入れた麻袋を置くように頼まれた。夜中に袋を持ち去る人影を見た彼女は正体のわからない彼のことをジョニーBと名付けた。そしてパーシーはシェルビーからハナの哀しい過去について聞く。ハナはひとり息子イーライをベトナム戦争で失っていたのだ。彼女は実はこの記憶から逃れるために店を売却しようとしていたのだが、10年たっても買い手がつかないのだった。パーシーは刑務所にいたころ聞いたことのある作文コンテストのことをハナに提案した。応募料100ドルで店への夢を語った作文を公募し、最優秀者に店をプレゼントするのだ。パーシーとハナとシェルビーは一丸となって広告のキャッチコピーを練った。彼女たちの予想を遥かに上回る手紙の山が全国から届いた。ある朝、森を散歩していたパーシーは小川のほとりに小屋を見つけた。ジョニーBの気配に導かれるように山々を見下ろす丘へ出たパーシーの背後には静かにジョニーBが立っていた。しかし、店に帰ってきたパーシーにハナは彼を追求したことに怒りをぶつける。ジョニーBとは戦争で心を病んだイーライだったのだ。次の日、店からは傷ついたパーシーの姿と共に、コンテストで集まった大金が消えた。パーシーは町の人々から嫌疑をかけられ、いたたまれないでいた。パーシーを唯一信じていたシェルビーはふたりだけの秘密の安息所である教会に行きパーシーを見つけた。自らの過去を語るパーシー。その頃、町の人々は真相を突き止めるため山狩りを始めた。息子の身を案じるハナのためにパーシーは森の中を走る。イーライを見つけたパーシーは、川の流れに飲み込まれて命を失ってしまった。パーシーの葬式でネイハムは町のみんなの前で、作文募集でハナの得た金をパーシーが盗むのではと心配して金を隠したことを告白する。自分は彼女のことをいちばん良くわかっているつもりだったのに何ひとつわかっていなかったと。そして店に男がやって来た。ハナは男に抱きついた。イーライが帰ってきたのだ。
 さびれた町にやって来た犯罪者の少女が、人々の心を癒していく様を描く人間ドラマ。監督はテレビで経験を積み本作が映画デビューとなったリー・デイヴィッド・ズロートフ。脚本も手がけている。こんないい作品を残しながら次の作品に出合っていない。作ってないのか公開されてないのか日本に来てないのかは不明だが、ぜひ次の作品にとりかかってほしい。主演のパーシーを演じるのはアリソン・エリオット。彼女が実にいい。犯罪者でありながら町を愛し町の人を愛す素敵な笑顔を見せてくれる。朴訥な感じがいい。店の主人ハナを演じるのがエレン・バースティン。彼女もまた最高で、はじめ怪訝な様子で屈折したイメージを与えるが次第にパーシーに心を開くあたりは優しさがにじみ出ている。そしてもうひとり、この後『ポロック』でアカデミー賞助演女優賞を受賞するマルシア・ゲイ・ハーデンが内気ででもやさしいパーシーと親友となるシェルビーを演じて名女優の片鱗を見せている。この3人の演技が自然体でとてもよい。
 実はこの映画のタイトルはお店の名前“スピットファイアー・グリル”が原題となっている。スピットファイアーとは戦闘機のこと。イーライを忘れられないハナのつけた名前だ。しかし邦題は『この森で、天使はバスを降りた』となっている。ボクはこの邦題は素晴らしいと感じた。刑期を終えた女性を“天使”と表現しているのだ。この町にとって彼女は天使だったのだ。そしてラスト、作文コンクールで優勝した女性が子供を抱えてバスを降りてくる。彼女もこの後この町に訪れた“天使”になるのだということをほのめかすタイトルだ。
 再生、癒し、犠牲…どの言葉も少し違う、そんな悲しいけど心温まる美しい作品だと思う。派手さはないがじっくり見てほしい。

◎作品データ◎
『この森で、天使はバスを降りた』
原題:The Spitfire Grill
1996年アメリカ映画/上映時間:1時間56分/東宝東和配給
監督・脚本:リー・デイヴィッド・ズロートフ/製作総指揮:ウォレン・ジー・スティット/製作:フォレスト・マレイ/音楽:ジェームズ・ホーナー/撮影:ロバート・ドラバー
出演:アリソン・エリオット, エレン・バースティン, マルシア・ゲイ・ハーデン, ウィル・パットン, キーラン・マルロニー

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★★★☆☆

boogie nights

 1977年ロサンゼルス郊外のサン・フェルナンド・ヴァレーという街。エディ・アダムスは、ファラ・フォーセットとブルース・リーに憧れる普通の17歳の高校生。ただひとつ普通と違っていたのは35cmはあろうかという巨大なペニス。ディスコで皿洗いのバイトをしている彼をポルノ映画監督ジャック・ホーナーが、ポルノ男優にならないかとスカウトにきた。家族から愛情を与えら得れていなかった彼は初めて他人から認められ、オーディションで実力を発揮した。実家を飛び出し、ポルノ業界に飛び込んだエディ。ジャックばかりでなくポルノ界スーパーヒロインや、プロダクション・マネージャー、他の男優たちに導かれ、またたく間にスーパーヒーローに登り詰めていった。名前もダーク・ディグラーと改め、次々と主演作をヒットさせ、ついにはポルノ界の各賞を総てかっさらっていった。しかし、頂点を極めた彼は次第にドラッグの快楽に溺れていった。依存し副作用から頼みのイチモツもだんだん使い物にならなり、若手の新人ポルノ男優の台頭に焦りを感じた。エディは皆に八つ当たりするようになり、勢いからジャックの元を飛び出してしまう。スポンサーを失ったエディは堕落の一途をたどり、80年代に入るとビデオの時代へ、レーガン時代の到来もあって、エディの堕落ばかりでなくポルノ映画産業自体が急速に冷え込んでいった。ポルノ俳優達は社会の偏見を受け就職難に苦しみ、華やかだったジャック邸も誰もいなくなってしまった。どん底から這い上がろうとするエディは、ジャックの元へ帰ってくる。やはり自分にはポルノ業界しかないと鏡を見つめて決意を固めるのだった。
 1970年代後半から80年代にかけてのポルノ産業に精通する人々の心の葛藤とポルノ業界の裏側を描く人間ドラマ。監督・脚本は『ハード・エイト』で監督デビューしたばかりのポール・トーマス・アンダーソン。彼の2作目である。1998年キネマ旬報ベスト・テン第10位に選出されている。こんな社会派な映画を撮影当時26歳の監督が脚本も書き作り上げているなんて驚きである。
 俳優陣も豪華で当時まだ映画俳優としては未熟だったマーク・ウォールバーグを主演で堂々たる演技にのし上げた。ニューキッズ・オン・ザ・ブロックや独立後のマーキー・マークとしての白人ラッパーの肩書から、カルバンクラインの下着モデルへと転身、身の振り方を迷っていた直後の俳優転身の端役からの抜擢だ。ジャックを演じたバート・レイノルズもこの映画で各映画賞の助演男優賞を総なめにした。ジュリアン・ムーアも熱演している。弱気な主婦の役もいいが、『美しすぎる母』といい、セックスシーンを大胆に演じさせると人が変わる。しゃれたシーンも多くマーク・ウォールバーグを中心としたダンスシーンなどは無意味なようでいて、映画のカラーを決定づけているように思う。音楽もグッド。
 ポルノ業界は絶頂期を迎えていた。まだエイズの心配もなかったころだ。そのころ業界の人間はポルノが芸術として認められると信じていた。それがアメリカの当時のポップ・カルチャー・シーンだ。あたかもマフィアのファミリーのように、ファミリーが結束される。独特の世界、成功の極み、ドラッグ、そして、転落。彼らの人生は一変する。そこでの葛藤が緻密に描かれている。ボクはこの作品でポール・トーマス・アンダーソン監督の将来性を確信した。業界を知らないから興味をそそられる一種のぞき見趣味的な悪趣味な見方だったが、この作品は社会の背景を痛烈に戦慄に描いている。そしてその中でも業界全体を象徴するような主人公エディの生きざま。はじめは家庭からはみ出し、同情をそそるが、スターになってからの彼の増長ぶりとドラッグに染まってゆく弱さの露呈、これはまさしくポルノ業界の脆弱な部分を代弁していた。ポルノ男優としての盛衰というものがこんな社会的な悲劇になってゆく。何はともあれ話の発端であるダーク・ディグラーの13cmのイチモツにぼかしを入れてしまってはげんなりだ。レプリカなのに。ことこの映画においてはぼかしが映画の良さを壊してしまっているといっても過言ではない。見たくていってるわけではない。この映画が今公開されれば、ぼかしはなくなっているだろうか。日本の映倫に喝だ。

◎作品データ◎
『ブギーナイツ』
原題:Boogie Nghts
1997年アメリカ映画/上映時間:2時間35分/ギャガ・コミュニカーションズ配給
監督・脚本・製作:ポール・トーマス・アンダーソン/製作総指揮:ローレンス・ゴードン/音楽:カリン・ラットマン/撮影:ロバート・エルスウィット
出演:マーク・ウォールバーグ, バート・レイノルズ, ジュリアン・ムーア, ヘザー・グラハム, ウィリアム・H・メイシー

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