Archive for 2008/06/16


dancer in the dark

 舞台は1960年代のアメリカの片田舎。チェコからの移民セルマは女手一つで息子を育てていた。貧乏だが工場での労働は、友人に囲まれてそれなりに楽しいと感じていた。しかし彼女は先天性の病気に侵されていて徐々に視力が失われつつあり失明する運命にあった。息子もまた、彼女の遺伝により13歳で手術をしなければいずれ失明する運命にあった。それを秘密にしつつ、手術費用をこつこつ貯めていた。彼女の生きがいはミュージカル。素人の劇団で稽古をし、仕事帰りに友人のキャシーとハリウッドミュージカル映画を観ることを楽しみとしていた。ある日、とうとう失明してしまったがそれを隠して作業していた事で工場の機械を壊してしまい、セルマは解雇を告げられる。さらに息子を心配させない為に、父に送金していると周囲に嘘をついてまで溜め続けた手術費用を親切にしてくれていると思っていた大家で隣人の警察官ビルに盗まれてしまう。ビルの家を訪ねたセルマだが、借金を苦にしたビルをもみ合っているうちに殺してしまう。やがてセルマは殺人犯として逮捕され裁判にかけられる。ビルと二人だけの秘密と約束したビルの借金のや、息子を守るために、裁判で無罪を証明する真実の一切を話すことを拒んだ。セルマはジーンが目の手術を無事受けることだけを願いつつ、自分は絞首台で死んでいくのであった。
 この映画は、ラース・フォン・トリアー監督のデンマークの映画。『奇跡の海』と『イディオッツ』に次ぐ「黄金の心」三部作がこの映画で完結したことになる。これは目の不自由なシングル・マザーがたどる悲劇を描いた異色ミュージカルということになる。2000年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを獲得した。完全にではないにせよ、ドグマ95(オールロケ、手持ちカメラ、自然光による撮影。アンチハリウッド映画として提唱されている)を体現した映画だといわれる。アイスランドの人気女性歌手ビョークを主役に抜擢し、彼女にもカンヌで最優秀女優賞をもたらした。アカデミー賞にもノミネートすらされず、もっとも、彼女は歌手であり女優業には違和感を抱いていたためあまり関係ないだろうが、ボクは彼女に獲ってほしかった。手持ちのカメラを多用したカメラワークやジャンプカットによるスピーディーな画面の展開、視力を失う主人公の空想のシーンを明るい色調のミュージカル仕立てにした新奇な構成などにより高い評価を得た。一方、その奇抜なカメラワークが画面からはずれたり、無実なのにハッピーエンドではない結末、心理描写の暗さが災いし、否定的な評価も多かった。その奇抜な撮影は「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のロビー・ミュラーが担当し、ミュージカル仕立ての振付も話題となった。音楽もビョークが担当し、レディオヘッドのトム・ヨークとのデュエットによる主題歌“I’ve seen it all”がゴールデングローブ賞やアカデミー賞の歌曲部門にノミネートされるなど高く評価された。重いリズムと祈るようなビョークの声と儚い寂しげなヨークの声が映画の雰囲気と相俟って名曲となった。
 この賛否両論分かれる映画をボクがどう評価するかというと好きな作品ということになる。優れているのかはどうかわからない。悪い評価の通り、カメラワークの奇抜さは酔って気分が悪くなるほどだ。これは視力障害の主人公の視界を現したとも言える。成功なのかどうかは観ていて気分がすぐれなくなるのでわからない。そして、前回紹介の『主婦マリーがしたこと』と同じ死刑執行の映画だ。暗い。しかも、この主人公の場合は無実である。また、なぜミュージカルにする必要があるのか。しかし、それでもなお、この映画を好きと言えるのは、暗くはあるものの徹底した人間描写がはっきりしている点と、それを演じたビヨークの演技のせいだろう。ミュージカルシーンは現実としては描かれず、ミュージカルに憧れる主人公セルマの空想として描かれている。そこは官能的ともいえるビヨークの表情の真骨頂と言える。実はあまりミュージカルは好きではない。突然歌い出すので、歌で演技をごまかしているように感じるからか、それとも現実味がないせいか、自分でもよくわからない。しかし、この映画では徹底的に空想場面をミュージカル仕立てにするという、逆に現実味を帯びない方が良く、虚構部分がはっきりするからいいこうかとなっているからだ(と思う)。ラスト、現実と虚構が融合して終わる。悲惨であっても彼女が夢見た歌を死刑執行時に歌うのだ。死ぬ間際夢を叶えたような達成感がある。また視力障害を差別的に扱っていない点も好感が持てる。この映画で泣けた人は多いらしい。ボクは映画でよく泣くがこの映画では泣けなかった。悲惨過ぎたのだ。すなわち、泣ける映画イコールいい映画、もしくは好きな映画とはならない。ひとつのスケールになるだけだ。必死に頑張っても頑張っても報われない。これは一生懸命をモットーに生きてきたボクにとってはまるで救いにならない。
 続けて重い作品を書いてしまった。次回は展開を変えよう。

◎作品データ◎
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』
原題:Dancer in the Dark
2000年デンマーク映画/上映時間:2時間20分/松竹映画=アスミック・エース配給
監督・脚本:ラース・フォン・トリアー/製作総指揮:ペーター・オールベック・ヤンセン, マリアンネ・スロット, ラース・ヨンソン/製作:ヴィペケ・ウィンデロフ/音楽:ビヨーク/撮影:ロビー・ミュラー/振付:ビンセント・パターソン
出演:ビヨーク, カトリーヌ・ドヌーブ, デビッド・モース, ピーター・ストーメア, ジョエル・グレイ

 
recommend★★★★★★☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★★☆☆☆

the story of women 3

 第二次世界大戦中、ドイツ軍ナチ占領下の北フランス・ノルマンディで、ユダヤ人狩りによって親友のラシェルが連行され、悲嘆にくれるマリーは、子育てをしながら夫の帰りを待つ平凡な主婦だった。暮らしは裕福とは程遠いものだった。ある日、当時違法とされていた隣に住むジネットの堕胎を手伝い、お礼に彼女から蓄音機をもらった。マリーは隠れていた自分の能力に気づき、収入源にしようと決める。折りしも数日後、夫のポールが、傷痍軍人として復員してきたが、しかし既にマリーの夫への愛情は、すっかり冷えきったものになっていた。その頃からマリーは、ふとしたことで知りあった美しい娼婦のリュシー“ルル”の仕事用に自分の部屋を貸してやるようになり、この副収入のおかげでいい歳夫に頼ることなく生活力をつけて次第に暮し向きが良くなってゆき、輝いて行く一方だった。しかしポールはヒモ状態となり、相変わらず彼女のポールに対する態度は冷淡、やがてマリーは、リュシーの常連客で今はドイツ軍のスパイをしているヤクザ者のリュシアンと深い関係になる。そして堕胎による家庭内自立でマリーは、もはや有頂天だった。しかし、そんな日々もつかのまの幸せに終わる。ある日帰宅したポールが、ベットで眠りについているマリーとリュシアンの姿を目撃し、嫉妬からついに妻の堕胎の事実を匿名の手紙で警察に知らせる。マリーは逮捕された。そして彼女は異例にも、国家裁判所の法廷で裁かれることになる。ドイツ軍の占領で道徳観にこだわりだした国によって、彼女はみせしめとして国家反逆罪による極刑を求刑される。1943年6月、マリーはフランス最後の、女性のギロチン受刑者として、その生涯を終えるのだった。
 ナチ占領下の北フランス、ノルマンディを舞台に、フランスの女性最後のギロチン処刑になった平凡な主婦のたどる過酷な運命を描く人間ドラマ。実話を元にしたシリアスな、レジスタンス神話とは異なる女性映画である。生計のため、医師免許を持たない違法堕胎医となった女が夫の密告により逮捕され、ギロチンにかけられるまでを、当時のフランス社会の描写も織り込みながら巧みな緊迫感を以て極めてクールに描いている。監督と脚本はクロード・シャブロル、長い停滞期をうち破る、リリシズムを貫きとおした秀作だ。ニューヨーク映画批評家協会賞やロサンゼルス映画批評家協会賞で外国語映画賞を受賞している。主演の主婦マリーを演じるのがフランスを代表する演技派女優イザベル・ユペールで、ヴェネチア国際映画祭女優賞を獲得している。1991年この主演・監督コンビで『ボヴァリー夫人』が製作された。夫ポールはフランソワ・クリュゼ、彼女と親友になるクールだが気の良い娼婦役にはマリー・トランティニャンが扮しており、主演に劣らない熱演をしている。
 さて、当時、この映画は監督も俳優も無名で製作会社も日本と商業流通がなく、東京渋谷や名古屋駅西のミニ・シアターでしか観ることができなった。テレビ放映もないし、アスキー映画株式会社が設け度外視1992年にビデオ化してくれたものの、あっという間に廃版となり、DVD化もされてない。ボクがどんなに紹介しても、字幕のない外国のDVDでしか観ることは不可能だ。奇特なビデオレンタル店に残っていたらめっけもんである。特に背景設定は実話ということもあり非常に丁寧に描かれている。ラスト、ギロチン刑のシーンは、実に衝撃的だ。ボクはこの邦題の陳腐な日本の映画界に於いて、この「主婦マリーがしたこと」というタイトルは実にいい邦題だと思っている。英語タイトルでは直訳すれば「女性たちの話」である。「主婦マリーがしたこと」と言えば、それはきっといかがわしいことで主婦としてマリーが普通はしないことを連想させる。普通であれば不倫程度を想像するのだ。つまり、観客は予備知識なしにこのタイトルを見れば「主婦としてマリーがしちゃった事」と読み替えてしまうタイトルだと思うのだ。そういう意味で秀逸なタイトルだ。フランスは先進国なのに、映画を見る限り、イギリスなどに較べ、田舎くさい。今のパリなどを想像させない。しかしマリーはルックスもよく、男の子女の子にめぐまれ、これがまず「少しだけ」他と違う主婦だ。そして、隣に偶然堕胎を希望する女性が済み、娼婦と友人になり、夫は戦争に駆り出され愛が冷め、浮気相手が見つかる。この辺も「少しだけ」珍しい、でも、ありうる「事情」だ。誰もが、可能性は少なくともありうることなわけだ。夫は戦争に、男友達はユダヤ人という疑いで強制労働に連れてゆかれ、主婦マリーはとっても寂しかった。同情できる。だからと言って法を犯してはならない。金というよりはいい暮らしに目が眩み、普通に欲望を満たしてしまう。彼女は、いつか歌手になることを夢見ていた。子供たちと歌を歌い、ダンスをする場面、これが唯一幸せそうな優しいシーンだ。妹ばかり可愛がる母から、いつもかまって欲しくてたまらない兄は、恥ずかしがりながらも、ダンスを踊る。その直後に、子供たちの前で彼女は連行されていく。ほんのわずかの幸せなシーンだ。そんな「少しだけ」違う普通の主婦が、ドイツに占領されてにっちもさっちもいかないフランス政府の、政治の犠牲にされてしまう。「主婦マリー」ではなく、不道徳の象徴としての「魔女マリー」。歌手になれなかった彼女の声はエンドクレジットロールの途中でぷつりと途絶える。ギロチン台の上で彼女が途絶えたかのように。
 違法堕胎手術をしていた女の話で、最近『ヴェラ・ドレイク』という作品が出来た。こちらはDVD店でどこでも探せる。この映画も紹介したいのだが、同じモチーフで同じ悲劇だが、『主婦マリーのしたこと』の方が辛い。こっちを本当は観てほしいのだな。終始無表情に誓い彼女が国家裁判所で判決の直前見せる少しだけすがるようなまなざし。投げやりの中に畏怖を見せる表情。そして、人が変わったかのような憎悪の爆発。この辺でボクは、ほとほと嫌気がさした貧しい生活や、帰ってきた愛情を感じない夫、その夫の汚した下着を洗う日々が蘇ってくる。終始スクリーン全体に漂う重い空気と、マリーが重なる。この映画の終焉は、母からの愛情を常に求めた、息子のナレーションで続く。「処刑された親を持つ子供たちへ愛を」というメッセージ。違法ではある。それが不運にも「見せしめのギロチン刑」にまでなってしまった。
 「主婦マリーがしたこと」は、「してはいけないこと」だった。ただそれだけ。

◎作品データ◎

『主婦マリーがしたこと』
原題:Une Affaire de Femmes(英語タイトル:The Story of Women)
1988年フランス映画/上映時間:1時間48分/シネマドゥシネマ配給
監督:クロード・シャブロル/脚本:クロード・シャブロル, コロ・ダヴェルニエ・オヘイガン/製作:マラン・カルミッツ/音楽:マチュー・シャブロル/撮影:ジャン・ラビエ
出演:イザベル・ユペール, フランソワ・クリュゼ, マリー・トランティニャン, ニルス・タヴェルニエ, マリー・ブネル
 
recommend★★★★★★☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★★☆☆☆