Category: Drama


 

 1947年9月、ジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニアは、ニュージャージー州にあるプリンストン大学大学院の数学科に入学した。出身地のウエスト・バージニアで数学の天才と謳われた彼は、この年の栄えあるカーネギー奨学生だった。世の中に起きることは、すべてがナッシュの頭の中では方程式になった。「すべてを支配する真理、真に独創的なアイディアをみつけたい」と、ナッシュは授業に出る時間も惜しんで研究に没頭した。クラスメートたちからも次第に変人扱いされるようになる。そんなナッシュが目指すのは、マサチューセッツ工科大学のウィーラー研究所。だが、行けるのは1人だけ。焦燥感にさいなまれるナッシュを、彼にとって唯一の理解者だったルームメートのチャールズが慰める。。ある日、ナッシュは、150年間も定説とされてきたアダム・スミスの理論を覆す、単純で美しいナッシュ独自の理論を構築して、ウィーラー研究所へのパスポートを手にした。しかし、そこでも彼は満足できなかった。ソ連との冷戦下にあるこの時代に、数学者は第2次世界大戦では暗号解明に貢献した。ナッシュの心に新たな焦燥感が生まれていた。そんな時、諜報員パーチャーという男がナッシュに近づいた。パーチャーはナッシュに、雑誌に隠されたソ連の暗号解読を依頼する。スパイになったナッシュは、世界の危機を救うため、その秘密の任務に心血を注いだ。ナッシュのその奇妙な言動にも、授業で知り合った聴講生のアリシアだけは純粋さを感じ、深い理解を示した。数学だけに明け暮れてきたナッシュは、彼女と過ごす時間に初めて癒しを感じる。やがて、ふたりは結婚した。結婚後も、妻にも黙って秘密の任務は続けていたナッシュ。アリシアが子供を身ごもったころから、ナッシュのプレッシャーはますます大きくなった。命の危険を感じる出来事も重なった。任務を降りたくてもパーチャーは許さない。出没する怪しい人影はソ連側の暗殺者なのか、それとも国防省の監視なのか。ナッシュは恐怖におののいた。極限状態にまで追いつめられ、自分を見失っていくナッシュ。アリシアはそんなナッシュを、ふたりが出逢った町プリンストンに連れて帰る。このまま人間として朽ち果てていくのか。それとも立ち直れるのか。母校プリンストン大学に抱かれるように暮らしながら、ナッシュの静かで長い闘いの日々が始まった。実はナッシュは、大学生の時から統合失調症だった。本人はそうだと気付かずに生活していたが、ある時それが幻覚であることに気づいた。チャールズもスパイも幻覚。妻に支えられて幻覚と闘いながらも、思いがけずノーベル賞を受賞することになった。幻覚症状は治っていないまま、ナッシュは穏やかな心を手に入れており、受賞のあいさつで妻への感謝を述べるのだった。
 「ゲーム理論」の土台を完成させ、その後の経済学に大きな影響を及ぼしたノーベル賞受賞の実在の天才数学者、ジョン・ナッシュの半生を描く物語。アカデミー賞やゴールデングローブ賞などで各賞を総なめにした。求め続け、探し続け、研究に打ち込むあまり、自分の魂のありかさえわからなくなっていくある天才数学者。精神が極限状態に追い込まれ、壊れそうになる自分と闘いながら、やがてノーベル賞を受賞するまでの苦難の47年間を、この映画は丹念に丁寧に描いている。この作品は、冷戦下のアメリカの緊迫した時代に生きる天才学者の危うさを描く一方、何かを求め続ける意志の強さがすべてを克服していくさまを力強く物語っている。また、現実と幻想の境を行きつ戻りつする主人公の心を、一種のサスペンスのように、独特の手法で魅せていく。ジョン・ナッシュを演じたラッセル・クロウは、脚光を浴びた青年時代から一転、心の闇へ突入し、再起を果たすまでの波瀾の人生を、魂のこもった演技で表現した。壊れてしまった天才を愛し、支える妻アリシアには、大人の演技を見せたかつてのアイドルだったジェニファー・コネリー。他にもエド・ハリスやジャド・ハーシュ、クリストファー・プラマーなど芸達者な役者が脇を固めている。
 実際のナッシュはバイセクシャルであり、男性との浮気がもとで離婚しているため、映画化されたナッシュは現実からあまりにも美化されていると物議を醸し出した。また、映画における統合失調症の誇張された描写がこの病気に対する誤解を招くとの指摘もあった。この作品にみられるほどの明瞭な幻視体験は稀なことらしい。しかしボク自身は母の介護の際、こういった幻覚の譫妄状態を目の当たりにしているので、誇張とも捉えられなかった。それを念頭に置いてこの映画を堪能すると、ナッシュに見えた見えないものは天才にこそ見える凡人には見えない何かだと思う。ナッシュは、「ゲーム理論」の発明者としてノーベル経済学賞に輝いた数学の天才。それが独創的な新理論や暗号の解だけならいいが、数々の幻覚や幻聴が現実の人間と対等の存在でナッシュの前に出現し、彼の人生に複雑な影を落とす。天才と狂人は紙一重なのはこれまでも書いてきたセオリー。この映画の斬新さは、通常の表現を避け、世界が天才の目にどのように映り、それに対応していくかという視点を徹底し、その世界を観る側に追体験させてくれる点にあると思う。

◎作品データ◎
『ビューティフル・マインド』
原題:A Beautiful Mind
2001年アメリカ映画/上映時間:2時間15分/UIP配給
監督:ロン・ハワード/原作:シルヴィア・ネイサー/脚本:アキヴァ・ゴールズマン/製作総指揮:カレン・ケーラ, トッド・ハロウェル/製作:ブライアン・グレイザー, ロン・ハワード/音楽:ジェームズ・ホーナー/撮影:ロジャー・ディーキンズ
出演:ラッセル・クロウ, ジェニファー・コネリー, エド・ハリス, クリストファー・プラマー, ポール・ベタニー

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆

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 米深南部ジョージア州で州立刑務所で死刑囚棟の看守を務めていたハンクは、黒人嫌いの父親バックから、人種偏見と看守の仕事を受け継いだ男。父の代からの南部の死刑囚棟看守ハンクは、父譲りの人種差別主義者。ハンクの考えに疑問を抱く息子のソニーは、看守になったばかり。黒人の死刑囚の夫ローレンス・マングローブの死刑執行が決まり、レティシアは息子と刑務所を訪れ、ローレンスに別れを告げた。ローレンス刑執行の日、任務を満足にこなせないソニーにハンクは怒りを爆発させた。その翌日、ソニーはハンクへの愛を口にしつつ、彼の目の前で自殺する。息子の死の衝撃から立ち直れないハンクは、ハンクは絶望し、看守を辞する。一方、処刑されたマスグローヴの妻レティシアは、息子タイレルが事故死するというさらなる悲劇に襲われる。死刑囚の夫と息子を相次いで亡くした黒人女性レティシアと出会い、お互いの喪失感を埋めるように愛し合っていく。だがやがて、レティシアは、ハンクが自分の夫を処刑執行した男だと知る。ショックを受け茫然とする彼女。しかしハンクと2人で、夜空の星を眺めながらチョコアイスを口に入れると、愛の感情を取り戻すのだった。
 孤独な白人の男と黒人の女が、深い喪失の淵から人生を取り戻そうとするラヴ・ストーリー。監督はこれが日本初公開作となるマーク・フォースター、非白人として初めてのアカデミー賞主演女優賞を受賞したハル・ベリー主演を演じた作品。黒人女性と白人男性の交流と人種への偏見問題も孕んだ恋愛をシビアに描いたドラマである。タイトルも含め、オリジナル英語のセリフと日本語訳との印象の差が大きいらしい。この辺、語学が堪能であるともっといろいろ感じ取れたかもしれない。原題の“Monster’s Ball”は“怪物の舞踏会”という意味で、死刑の執行前に看守達が行う宴会を指す。原題を完全に無視した邦題が付けられている。アカデミー主演女優賞のほか、ベルリン映画祭銀熊賞(女優賞)、ゴールデン・サテライト賞最優秀脚本賞、全米映画俳優協会賞最優秀主演女優賞、フロリダ映画批評家協会賞最優秀主演男優賞、ナショナル・ボード・オブ・レビュー最優秀主演女優賞・最優秀主演男優賞など数多くの映画賞を受賞している。
 家族全員が強固な偏見を持つことでしか親子の絆を確認できなかった差別主義者の死刑執行人と、差別される側に立たされるばかりか愛の矛先である息子を相次いで無残に剥ぎ取られる死刑囚の妻。自分の身を守ろうと必死になるほど彼らの心は傷つき乱される。しかし結局は心から流れる血の温もりですら愛しい。血が流れている間だけは生きていると感じることができる。心が死んでしまう前に、彼らはもう一度だけ人生をやり直してみようと一歩を踏み出す。静かだが深く、抑制されているが寡黙な感情表現が心の痛みを雄弁に物語る再生の物語。ラストに見せるハル・ベリーの表情が忘れられない。まるで不安で儚い表情だが、憎しみを諦め、将来への希望に縋りつくことを決意したかのような、茫然とした、しかし愛を取り戻した表情だったように思う。
 この作品は賞レースに候補となるような成功に導びかれたが、最大の要因は、ドラマの展開より登場人物の孤立の描写に焦点をあてた、監督の知的なアプローチにあると思う。深夜の人けのないダイナーに背中を丸めて入っていく男、カウンターの奥でぼんやり目をあげる女。立ち去る息子の後ろ姿を暗い室内から視線で追う父親。男と女、父と息子を隔てる距離が、こういった細やかな空間が象徴的にそれを描き出していると思う。主役のふたりが結ばれるクライマックス場面のカメラワークも、覗き見するような長回しで男と女の孤独な営みを見つめるのだが、突き放したような視点でとらえられるために、観る側は侘しい佇まいを嫌でも意識せざるを得ない。荒涼とした空気感に、ビリー・ボブ・ソーントンの抑制された表情がぴったりはまる。ファザコンのマッチョから救いを求める脆弱な男へ。役ごとに変幻自在な表現をできるのは、彼ぐらいかもしれない。そしてなんといってもチャンスをつかんだかのようなハル・ベリーの熱演にも大喝采だ。

◎作品データ◎
『チョコレート』
原題:Monster’s Ball
2001年アメリカ映画/上映時間:1時間51分/ギャガコミュニケーションズ配給
監督:マーク・フォスター/脚本:ミロ・アディカ, ウィル・ロコス/製作総指揮:マーク・ウルマン, マイケル・バーンズ, マイケル・パセオネック/製作:リー・ダニエルズ/撮影:ロベルト・シェイファー
出演:ハル・ベリー, コロンジ・カルフーン, ビリー・ボブ・ソーントン, ヒース・レジャー, ピーター・ボイル

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★★★☆☆

 

 19世紀末の北イタリア、ベルガモ。農村は貧しく、小作人としてバティスティ一家は他の数家族と一緒に働いていた。子供の誕生、結婚、親子喧嘩、牛の看病にトマトの栽培。そこには貧しい生活の中にも小さな喜びと悲しみがあった。ある日、バティスティは息子のミネクの表情が暗いのに気づく。ミネクは1足しかない木靴を、学校の石段で割ってしまったのだ。バティスティは息子のために、河の畔に並ぶポプラの木を1本伐り、木靴を作ってやった。ところが、そのポプラは地主の所有物であり、これが原因でバティスティ一家は農場を追われる。バティスティ一家が荷車をまとめていた。少年の腕には、母が夜なべをして縫った学校鞄。この光景を見る者は誰もいなかった。そして、人々は荷車が去ったあとを見守るのだった。
 「偽りの晩餐」「聖なる酔っぱらいの伝説」のエルマンノ・オルミの名を世界的に広めた傑作。映画の題材は19世紀から20世紀への変わり目の時代の封建的社会の犠牲者だった農夫の生活である。エピソードを連ねてじっくりと描かれる、貧しい農夫たちの人間模様。イタリアの新写実主義の継承者と呼ばれたオルミの、素朴ながら重厚なタッチが冴える。いろいろな場面で本物の農夫や素人を起用している。今にも死にそうな牛の世話をする農夫の祈りが実って、奇跡的に牛が回復するエピソードは感動的で、静かだが人と土への愛に溢れる世界観は秀逸。四季のめぐりの中にいっさいのドラマティックな粉飾を排し、悠然と描き出した感動作だ。カンヌ映画祭のパルムドールやセザール賞の最優秀外国映画賞をはじめ14の賞を受賞した。原作は東ロンバルディア方言を使用している。エルマンノ・オルミは監督だけでなく脚本や撮影も兼ねている。音楽はバッハ作曲のオルガン曲をフェルナンド・ジェルマーニが演奏している。
 3時間もの間、静かで淡々として進むイタリア映画特有のリアリズムを追った映画だが、全く飽きることはない。この映画は、貧しさの中で温かさや力強さ、逞しさと言ったものを全面的に押し出してくる映画が多いところ、そういう要素を微塵も取り入れておらず、自然に魅せてくれる。タイトルの「木靴の樹」のエピソードは少ししか出てこないが、それが農民の極限の状況を象徴している。大したストーリーはない。カメラはただ、貧困に耐える農民の日常的な生活風景を、じっと見据えたように丹念に追うだけだ。淡々と映しているだけなのに、なぜこれだけでこんなにも温かさを感じるのだろうか。それはデリカシーに溢れ、叙事詩のような美しさを描き出している。
 同情こそすれ抗議することもできない他の3家族は、村を出て行く家族を物陰からそっと見守るしかなかった。決してハッピーエンドではない。絶望だけでもない。時代の変化が片田舎の村にもじわじわと訪れる気配を漂わせている。村を出る家族にも、微かな光明を感じさせる。全編を自然光だけで撮影されたと言われているこの作品。監督自身が祖母から聞いた話が基になっているらしい。封建的な社会ではどこにでもあったお話。それを大叙事詩として描いたエルマンノ・オルミは素晴らしいと思う。われわれは過去の物語としてではなく、21世紀を迎えた今も同じような問題を抱えている現実をしっかりと見据えることが大事だ。
 ブリューゲルやミレーやテオドール・ルソーのような美しい風景画を漠然と連想させる原風景がとにかく美しいのにも注目。ストーリーにとって重要性なんてないと思われるシーンひとつひとつが、脳裏に焼き付いている。雨でできた大きな水溜りでバタバタするニワトリ。それを見やる少女。おそらく監督の宗教的な目線がテイストとして加わっているせいかもしれない。宗教に敬虔な人々の姿が感動を与えているように思う。どんな状況にあってもキリスト教を崇拝する心を失わない。この作品にはその神様の助けがあるわけではない。それが儚くてたまらない。

◎作品データ◎
『木靴の樹』
原題:L’albero Degli Zoccoli(英語タイトル:The Tree of Wooden Clogs)
1978年イタリア・フランス合作映画/上映時間:3時間6分/フランス映画社配給
監督・脚本・撮影:エルマンノ・オルミ/製作:GPC/音楽:フェルナンド・ジェルマーニ
出演:ルイジ・オルナーギ, フランチェスカ・モリッジ, オマール・ブリニョッリ, カルメロ・シルヴァ, マリオ・ブリニョッリ

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★☆☆☆☆☆

 2001年9月11日。アメリカはいつもと変わりない朝を迎えた。西海岸に僅かにかかっている雲も昼頃には無くなり、全国的な晴天になると予測されていた。ニューアーク空港も、いつものように朝の喧騒に包まれていた。離発着の渋滞が発生し、8時発予定であったユナイテッド93便は、40名の乗客を乗せ、41分遅れてサンフランシスコへ飛びたった。飛行時間は5時間25分。同じころ、ボストン管制センターが最初の異変に動揺していた。ある時点から呼びかけに応えなくなったアメリカン11便と一時的に回線が繋がったとき、機体を制圧したという宣言をする音声を管制官が聞き取ったのである。各所に情報が伝達され動揺が拡がるなか、アメリカン11便はマンハッタン上空でレーダーからその姿を消した。直後、ワールド・トレード・センターの北棟に飛行機が突っ込み、炎上したことが伝えられた。モニターに映された惨状に、連邦航空局は旅客機の衝突を確信する。やがて、アメリカン11便と同様にボストンを発したユナイテッド175便もまた、異様な降下を開始する。その矢先、大勢の見守る目の前で、ツインタワーの残る一棟に突入した。事故でなく、テロだと察知した連邦航空局は、飛行する全ての旅客機に、コックピットへの潜入を警戒するよう呼びかけるメッセージを送信する。だが、その真意が乗員たちに浸透するよりも早く、ユナイテッド93便に登場していた5人のハイジャック犯が動きはじめた。テロリストが爆弾を持って操縦室を制圧。機内は混乱に陥るが、地上で起こっている事態を知った乗客と乗員たちは、わずかな武器を手に立ち上がった。
 アメリカ同時多発テロでハイジャックされた4機のうち、ユナイテッド航空93便の離陸から墜落までの機内の様子を、残された資料や証言などにより可能な限り再現、製作されたノンフィクション映画。製作には遺族のほとんどからの了承が得られている。2棟のビルから立ち上る煙、崩れ落ちていくワールド・トレード・センターの映像を見ながら、それが真実とは誰もが信じられなかった。本作は、9・11のテロ事件でハイジャックされた4機の航空機のうち、唯一、目標に到達せずに墜落したユナイテッド航空93便の物語。そこに映し出された生々しい真実は、圧倒的な臨場感を持って観る側胸にのしかかってくる。監督は、『ボーン・スプレマシー』のポール・グリーングラス。出演者にスターを起用せず、搭乗した乗客の年齢などを考慮して選ばれた俳優たち、そしてリアリティを追求するため実際のパイロットや管制官、客室乗務員役を起用している。そして、空港との無線等には、事件当時の実際の音声が一部使用されている。すでに薄れていく記憶を、まざまざと甦らせる本作は、とても意義深い。ただし、ユナイテッド航空93便の墜落については不審な点も多く、ノンフィクション映画とされてはいるがすべてを現実として鵜呑みにする事は危険かもしれない。カメラワークはわざとぶらしたような効果を出して、まるで観客が体感できるような形で展開する。リアリティ追求のため当時の誤報、情報の錯綜もすべて再現してある。当初はホテルを出発する乗客の姿を写す予定だったが、空港につくまでどの便の乗客が被害者になるのかわからないという描写をとりこみ、すべてカットされている。金や話題づくりのための映画と批判も相次いだが、スタッフの誠実さと熱意なしには成しえなかったことであると評価された。また冒頭はアフガニスタンでウサーマ・ビン・ラーディンと実行犯モハメド・アタとの会話から始まる予定だったが全てカットされている。
 事件当時のニュース映像は唖然とさせた。しかしそれが、いかに歴史的に稀有なテロ事件だということを時とともにわれわれも実感してゆく。そして、この映画を見るとき、『ワーリド・トレードセンター』などを観るよりも、乗客の視点で真実のみを追求した映像で、より悲しみを感じさせる。それぞれの人間ドラマなんて全く描いていないのに、どうして胸の奥底からこみ上げるものがあるのだろう。
 殺されるパイロット、戸惑う乗務員、怯える乗客、そして実行犯の表情。全てがあたかも同じ場所にいる乗客になったかのような感覚に陥ってしく。高度がどんどん下がっていき、死を覚悟した犠牲者たちの心がずしりと伝わってくる。こうした凄惨な現実を題材にした作品は、あり得ない主役を設定し、変なロマンスを加えて台無しにし、ナレーションを大量に被せて作品を感傷に仕上げてしまうことも多い。乗客全員が主役であり、登場するすべての人々がそれぞれの立場から対峙する9・11事件という出来事に照準を合わせている。特定の誰かに感情移入するということでなく、実体験としてこの事件に向かい合うよう誘導している。あまりに徹底しているため、静かに始まる非常事態が、日常からの事件への推移を違和感なく巻き込まれてゆく。派手さはないが、重すぎて繰り返し何度も見られるものではない。しかし、これは忘れてはならないこと。またあらためて向かい合いたい、そう思わせるこの映画は、あの事件からわずか8年しか経っていないが、それでも現れるべくして現れた作品と言えると思う。

◎作品データ◎
『ユナイテッド93』
原題:United 93
2006年アメリカ映画/上映時間:1時間51分/UIP配給
監督・脚本:ポール・グリーングラス/製作総指揮:ライザ・チェイシン, デブラ・ヘイワード/製作:ティム・ビーヴァン, エリック・フェルナー, ポール・グリーングラス, ロイド・レヴィン/音楽:ジョン・パウエル/撮影:バリー・アクロイド
出演:コーリイ・ジョンソン, デニー・ディロン, タラ・ヒューゴ, サイモン・ポーランド, デイヴィッド・ラッシュ

recommend★★★★★★☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★★★☆☆

 舞台は1959年のバーモントのウェルトン・アカデミー。全寮制で高い進学率を誇るこの名門校に、OBである新任の英語教師キーティングが赴任してくる。彼は型破りな授業を行い、また人生を楽しむ心を説いていった。ノーラン校長の監理下、厳格な規則に縛られている学生たちは、このキーティングの風変わりな授業に、最初はとまどったが、次第に刺激され、新鮮な考えに目覚めていった。ある日、生徒のひとり、ニールが学校の古い年鑑に、キーティングが学生時代、“デッド・ポエッツ・ソサエティ”というクラブを作っていたことを見つけ、ダルトンやノックス、そしてニールの同室である転校生のトッドらと共に、近くの洞窟でクラブを再開させた。自らを語りあうことで自分がやりたいものは何か自覚していった。ノックスはクリスとの恋を実らせた。ニールは俳優を志し「真夏の夜の夢」の舞台に立った。しかし二―ルの父親はそれを許さず、陸軍士官学校に転校させようとして、ニールは自殺してしまう。学校側は、退学処分を切り札に“デッド・ポエッツ・ソサエティ”のメンバーに証言を強要、煽動者としてキーティングの退職へと事態を進展させたのだった。キーティングが学院を去る日、トッドたちは校長の制止も聞かず机の上に立ちキーティングを見送る。それは彼らのせめてもの抵抗の証しであった。
 ナンシー・H・クラインバウム原作小説をピーター・ウィアー監督が映画化した作品。ニューイングランドの全寮制学院を舞台に、学生たちの愛と生、そして死を描くドラマだ。この作品はアカデミー賞で脚本賞を受賞している。
 原題の“Dead Poets Society”は劇中の詩読サークルの名前で、邦題とはかけ離れている。邦題の「いまを生きる」は劇中でキーティングが発するラテン語“Carpe Diem”の日本語異訳。少し邦題がださいと感じるが、かといって「死せる詩人の会」と直訳するのもホラー映画のようになってしまう。これはすべて没した古典的詩人の作品のみ読むことからつけられた。また厳密には「いまを生きろ」ないしは「いまを掴め」といった意味になる。ジョン・シールが撮影したドラマの背景となる、初秋から冬にかけてのニューイングランド地方の風景がとても美しく印象的だ。教師と生徒の信頼で結ばれた関係が、独特の映像美の中で展開する。迷いや悩み、自分の殻から抜け出すことのできなかった生徒が「キャプテン、マイ・キャプテン!」と言いながらキーティングを支持するラストは圧巻だ。ロビン・ウィリアムズもはまり役で、静と動を使い分けた演技を披露している。
 この映画で、学生たちが生き生きとしてくるところまでは、普通の学園ドラマにありがちな展開だ。二―ルが自殺をしてしまうあたりから、この映画は雰囲気を陰に変えてゆく。思った通り、キーティングは通常からはみ出したものとして、学校を追われてしまう。尊敬できる人間でも、異端はなかなか社会には受け入れられないのだ。それがとても哀しい。
 厳しい規則でがんじがらめに生徒を縛り付ける学校に新風を吹き入れるキーティングの姿は感動的で、人としてとても大事なことを教えてもらったような気がする。同じものを角度を変えて見ると全く違ったものが見えてくるように、物の考えや感じ方も十人十色なわけで、臨機応変に対応できたら今より人生を楽しむことが出来るのかもしれない。自分自身もそんな生き方をしたいと思う。中で出てくるフロストの言葉が印象的で、覚えておきたいと思うけど、なかなか覚えきれない。「森へ行ったのは思慮深く生き、人生の真髄を吸収するためだ。生活でないものは拒み、死ぬ時に後悔のないよう生きるため。森の分かれ道で人の通らぬ道を選ぼう、すべてが変わる」―この映画に学生時代に出会い、この言葉の意味を理解できていたら、と今思う。

◎作品データ◎
『いまを生きる』
原題:Dead Poets Society
1989年アメリカ映画/上映時間:2時間8分/ブエナビスタ配給
監督:ピーター・ウィアー/脚本:トム・シュルマン/原作:ナンシー・H・クラインバウム/製作:スティーヴン・ハーフ, ポール・ユンガー・ウィット, トニー・トーマス/音楽:モーリス・ジャール/撮影:ジョン・シール
出演:ロビン・ウィリアムス, イーサン・ホーク, ロバート・ショーン・レナード, ジョッシュ・チャールズ, ゲイル・ハンセン

recommend★★★★★★☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆

 ノルウェー船のクルーとして、世界中を旅して回ったラモン・サンペドロは25歳の夏、岩場から海へのダイブに失敗して頭を強打し、首から下が不随の身となってしまう。それ以来、実家のベッドで寝たきりの生活になったラモン。農場で懸命に働く兄のホセ、母親のような愛情でラモンに接するホセの妻マヌエラなど、家族は献身的にラモンの世話をしていたが事故から26年目を迎えた時、ラモンは自らの選択で人生に終止符を打ちたいという希望を出した。ラモンは、尊厳死を法的に支援する団体のジュネに出会い、その決断を重く受け止めた彼女は、彼の死を合法化するために女性弁護士フリアの援助を求めた。フリアは2年前に不治の病を宣告されており、ラモンの人柄と明晰さに感銘を受けた。フリアは無料で弁護し住み込みでラモンとコミュニケーションを取り、情報を集めた。そしてラモンとフリアは想いを寄せ合い始めていく。そしてもうひとり、テレビのドキュメンタリー番組を見てラモンに会いにやってきた子持ちの女性、ロサ。彼女も、彼の元をたびたび訪れるようになった。そうして尊厳死を求める闘いの準備を進める中、フリアが発作で倒れてしまう。やがてフリアが回復し、ラモンの家に戻ってきた時、深い絆を感じた2人は口づけを交わし、フリアは自分も植物状態になる前に自らも尊厳死を迎える決意をし、ラモンとともに誰も犯罪にならずに済むよう死の計画を立てる。約束の日はラモンの著作の初版が出版される日と決めていたが、フリアは夫の説得によって死の決意を翻してしまった。そしてラモンは、結局ロサの助けを借りて、海の見える彼女の部屋で尊厳死を選ぶ。一方フリアは、出版社が見つかりラモンの自伝が製本された頃、痴呆症の進行によって、ラモンの記憶を失くしてしまうのだった。ラモンに思いを寄せていたロサの協力の下、遠く離れた郊外で誰の殺人の罪にもならないように綿密に計画した、自殺計画をロサの手伝いのもと行うことにする。ビデオカメラをまわし、最後のメッセージを残し、硫酸カリを飲み死亡するのだった。
 “海を飛ぶ夢”とはスペイン語では“内なる海”というタイトルで映画化された。25歳の時に頸椎を損傷し、以来30年近くものあいだ全身の不随と闘った実在の人物、ラモン・サンペドロの手記「レターズ・フロム・ヘル」をもとに、尊厳死を求めて闘う主人公を描いたドラマだ。ハビエル・バルデムのメイクアップも話題になった。自らの死を望み、尊厳死を遂げるべく様々な問題や葛藤を描いたヒューマンドラマ。アカデミー外国語映画賞、ゴールデングローブ賞外国語映画賞、ヨーロッパ映画賞監督賞・男優賞受賞、インディペンデントスピリット賞外国映画賞、ゴヤ賞作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞・主演女優賞など14部門、放送映画批評家協会賞外国語映画賞を受賞している。
 若手ながらスペイン屈指の監督として認められるアレハンドロ・アメナーバル。スペインが誇るトップ男優のオスカー俳優ハビエル・バルデム。しかし、テーマは“尊厳死”。バルデムは老け役に挑戦。アメナーバルはこれまでのようなオリジナルのストーリーと違い、実在の人物と出来事を基に映画化。この3つの難題により、平坦な感動作に陥らずに物語を描くことはとても難しいだろうとも思った。主人公の仕種や表情を思い出すだけで胸が痛くなる。首から上だけの演技、頭髪を薄くし、皺を加えた変貌ぶりは『ノーカントリー』の兇悪犯と同一人物とは思えない。彼が演じるラモンは首の骨を折って20年以上も寝たきり生活を送り、自ら尊厳死を選ぼうとする。その表情は、壮絶な体験をした者しかわからない、どん底にたどり着いた末に得た純真さを湛える。家族に怒鳴りもするし、初対面の女性に鋭い言葉を発して泣かせたりもするが、彼の言葉は芸術的で洞察力に優れており、辛辣だがユーモアにあふれている。ベッドの上の彼と、窓から外へ飛び立って海辺にたどり着く空想の彼、海に飛び込んだ若き日の彼の対比は、詩的なリズムを伴って豊穣なイメージをわかせる。

◎作品データ◎
『海を飛ぶ夢』
原題:Mar Adentro(英語タイトル:The Sea Inside)
2004年スペイン・フランス・イタリア合作映画/上映時間:2時間05分/東宝東和配給
監督・音楽:アレハンドロ・アメナバール/脚本:アレハンドロ・アメナバール, マテオ・ヒル/原作:ラモン・サンペドロ/製作:アレハンドロ・アメナバール, フェルナド・ボバイラ/撮影:ハビエル・アギーレサロベ
出演:ハビエル・バルデム, ベレン・エルダ, ロラ・デュエナス, クララ・セグネ, マヴェル・リヴェラ

recommend★★★★★★★★★☆
favorite     ★★★★★★★☆☆☆

 華北の美しい村。都会で働く青年ルオ・ユーシェンは、父の訃報を聞いてこの村に戻ってきた。母は、伝統の葬儀をすると言って周囲を困らせる。石のように頑なな母の真意とはなんだろう。その様子を見ながら息子は村の伝説となった父母の恋物語を思い出していた。移ろいゆく季節の中で「食」が伝え育む人間の絆。都会からやってきた青年に少女は言葉にできない想いをこめてお料理をつくっていた。青い小花の碗だけが恋人たちの気持ちを知っているのだ。男たちが選ぶ料理。少女は別な人に食べてもらいたくて、その人が青い小花のワンを手にしてくれることを望む。都会からやってきた若い教師ルオ・チャンユーに恋して、その想いを伝えようとする18歳の少女チャオ・ディ。手作りの料理の数々に込めた少女の恋心は、やがて彼のもとへと届くのだが、時代の波が押し寄せふたりは離れ離れになってしまう。少女は町へと続く一本道で、来る日も来る日も愛する人を待ち続けた。そして、その二人の一途な想いが様々な人々の人生を切り拓いたことが母があれほどこだわった葬儀の日に明かになるのだった。
 監督は『あの子を探して』でヴェネチア映画祭グランプリ受賞に輝き、3大映画祭を制したチャン・イーモウ。『紅いコーリャン』『菊豆』など、情念とも見える原色の濃い映像美で衝撃を巻き起こした監督が、『あの子を探して』と本作で打ち出したのは全く新しい爽やかな人間賛歌。既に高い評価を得てきた自らの作風を打ち砕く出来栄えにヴェネチア映画祭とベルリン映画祭で惜しみない拍手と涙で賛辞を得た。主演は本作がデビューとなったチャン・ツィイー。この成功で、アン・リー監督作『グリーン・デスティニー』主演を射止めた。すでにファッション雑誌などの表紙を飾り、ポスト・コン・リー」として目覚しい躍進を遂げた。チャン・イーモウ監督のこだわりが感じられ、またコン・リーに代わってコンビを組める主演女優を発掘した作品といえる。
 料理で初恋を伝える少女とその想いに教壇の声で応える青年教師とが織り成す懐かしく、清廉な感動を運ぶラブストーリー。料理が伝えたその想いが、恋するふたりの、また多くの観客の切ない明日を拓いてくれた・。移ろいゆく四季の中に、都会と村をつなぐ一本の道を通して語られる親子2代の愛の物語。真心とはなにか、誠実とは何か、切々と瑞々しい映像美で描き出している。華やかで壮大な愛の物語が、大自然と風土に包まれて、厳しく胸に迫るものを感じる。
 監督によると、これは「中国の伝統である詩的な愛について、家族について、そして家族の間の絆についての物語」。監督はこの純粋なラブストーリーを語るに当たって、今までになくロマンティックな方法論を選んだ。原題をカラー、過去をモノクロにはせず、現在をモノクロ、過去をカラーで撮影し、クローズ・アップやスローモーション、オーバーラップといった技巧と音楽を駆使しながら叙情性を盛り上げている。やがて、シンプルな物語からは、恋人たちの熱い思いが立ちのぼってくる。少女の顔のみずみずしい表情が、けなげで一途な思いを雄弁に私達に伝え、素直な感動を呼び覚ます。そして、中国の悠久の大地。真っ白な雪原、黄金色の麦畑、青々とした森と白樺の林、丘陵に続く一本道。何気なくて懐かしい情景が、見る者の胸を打ち、涙を誘う。
 たくさんの映画を見てきてその素晴らしさを語るうち、このシンプルで単純な物語に打ちのめされた。村にやってきた20才の教師をひたすら愛する18才のディ。ただ、純粋なだけなのだ。それを100分近くにわたって表現し続ける。けれど、チャン・ツィイーの演じる無垢な純粋さに深く感どうするのだ。これほどの思いがあるだろうか。心を揺さぶる確かなものがある。そこには緻密な舞台、人選、演出、撮影手法があるのだが、それをこれ見よがしにしないただただ純粋な恋愛、これにとにかく脱帽した。

◎作品データ◎
『初恋のきた道』原題:我的父親母親(英語タイトル:The Road Home)
2000年アメリカ・中国合作映画/上映時間:1時間28分/ソニーピクチャーズ配給
監督:チャン・イーモウ/脚本・原作:パオ・シー/製作総指揮:チャン・ウェイピン/製作:ツァオ・ユー/音楽:サン・パオ/撮影:ホウ・ヨン
出演:チャン・ツィイー, チョン・ハオ, スン・ホンレイ, ルオ・ユーシェン, チャオ・ユエリン

recommend★★★★★★☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆

 1936年の晩冬、スペインのガリシア地方の小さな村に、学校が恐くて仕方ない少年モンチョがいた。少年は喘息持ちで皆と一緒に一年生になれなかった。8歳のモンチョ少年はようやく学校に行く日を迎えた。しかし、初日に緊張のあまりお漏らしをしてしまう。しかし担当の老教師グレゴリオ先生の包み込むようなやさしさに触れ、モンチョは次第に学校に馴染んでいく。モンチョは、先生と森へ繰り出し、蝶に渦巻き状の長い舌があることや、鳥の求愛行動を学んでいく。ところが、そんな平和な生活も束の間。時代はスペイン内戦を迎えてしまう。広場に集まった群衆の前に、ファシズムに反対する共和派の人々が、両手を縛られて一人ずつ姿を現わす。罵声が飛び交うその中には、共和派だったグレゴリオ先生の姿もあった。モンチョは母のローサに、皆と同じように先生を大声で罵るように言いつけられる。よく意味もわからず口を開いたモンチョだが、先生たちを乗せた車が走り出すと同時に、それを必死で追いかけて、こう叫んだ。「アテオ(不信心者)! アカ! 犯罪者!ティロノリンコ! 蝶の舌!」。
 『蝶の舌』は、8歳の少年モンチョが大好きな先生と出会い、大自然の驚異に触れながら成長し、やがてスペイン内戦という悲劇的な時代に直面するまでを描いた運命の物語である。穏やかそうなタイトルには深い意味があり、辛辣で残酷な物語だ。スペイン国民文学賞に輝いたマヌエル・リバスの原作を、名匠ホセ・ルイス・クエルダ監督が映画化。戦争によって人々の平和がいかに崩されていくかが、牧歌的な映像美とともに痛切につづられていく傑作。見終わって、しばらくは誰とも何も語れなくなるほど心を揺さぶられること必至だろう。痛ましく哀しい。1999年サン・セバスチャン映画祭で上映されると、映画のラストで少年の叫びに激しく胸を打たれ、観客たちの拍手は鳴り止むことなく続き「芸術の飛翔!」「涙なしには観られない」とマスコミを熱狂させた。さらに、同年スペインのアカデミー賞と言われるゴヤ賞では、13部門ノミネートという快挙を成し遂げ、脚本賞においては受賞もしている。音楽は「オープン・ユア・アイズ」の監督としても知られるアレハンドロ・アメナバル。出演はフェルナンド・フェルナン・ゴメス、新人の子役マヌエル・ロサノなど。1999年スペイン・アカデミー〈ゴヤ〉賞脚色賞を受賞。
 病弱の少年が心優しい先生との交流を通じて成長していく姿を、そして2人がスペイン内戦という荒波にもまれて迎える悲劇のときを描いた感動のドラマ。最初は少年の不遇の待遇から成長へと繋がる子弟愛を予想させる心温まる映画だと思った。ところが、この映画の本質は全く違うところにあった。戦争が与えた少年へのギフトは人を愛することではなく、残酷さだった。森のこと、虫のこと、花のこと、あるいは友情のこと、教室で押しつける知識だけではなく、グレゴリオ先生は自分の知っている本当のことを丁寧にわかりやすくモンチョに教え、モンチョも吸収してゆく。恋愛や人間関係の酸い甘いも少しだけ学んでいく。子供時代を描く映画に人は決まってそれぞれの記憶や思い出、あるいはわが子の姿を投影する。監督はセンチメンタリズムにある距離を置いた。忍び寄る不吉なファシズムの足音。そして、少年と教師の別れのクライマックス。幼い心には辛すぎる初めての大きな決断のとき、モンチョの無垢な心はは終わりを迎え、生まれて初めて現世界の無常を学ぶ。脆いセンチメンタリズムなどは皆無、ストーリー展開から豆鉄砲を食らった鳩のように虚無感に苛まれる。涙は出ず、絶望感でいっぱいになったところでエンドロールに切り替わる。
 原作者マヌエル・リバスは、誰にも見えないような小さなものに輝きを与えること、傷口に適切な香油を塗ること、真実を語ることにおいて達人かもしれない。最初は絵はがきのように美しい。ラストは、残酷であり、難問を観客に突き付ける。果たして、自分にモンチョ少年のような勇気ある行動がとれるであろうかと。他ファ弑勇気かどうかはわからない。しかし、生きてゆくのに必要な勇気だと思う。本当に叫びたかったのは先生が生徒に伝えた「ありがとう」のお返しの言葉だったはず。先生はモンチョの最後に叫んだ言葉を聞いたのだろうか。辛い映画だが、必見だ。

◎作品データ◎
『蝶の舌』
原題:La Lengua de las Mariposas(英語タイトル:Butterfly Tongues)
1999年スペイン映画/上映時間:1間35分./アスミックエース配給
監督:ホセ・ルイス・クルエダ/脚本:ラファエル・アズコーナ/原作:マヌエル・リヴァス/製作総指揮:フェルナンド・ボヴァイラ, ホセ・ルイス・クルエダ/音楽:アレハンドロ・アメナーバル/撮影:ハヴィエ・サルモネス
出演:フェルナンド・フェルナン・ゴメス, ヌマエル・ロサノ, ウシア・ブランコ, ゴンサロ・ウリアルテ, アレクシス・デ・ロス・サントス

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★★★☆☆

 

 現代、クリスティーズでのゴッホの絵画オークション風景。一転、映画は過去に遡る。19世紀後期、オランダ・アムステルダム。画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは貧困と自らの画風の確立に向けての苛立ちに苦しみながらも、創造意欲に苛まれるように独特のタッチで自分の世界を描いていた。娼婦シーンへの想いゆえに均衡を欠いた熱愛弟テオはそんな彼を支え続けた。光と影、正と反のように互いに他の分身であるヴィンセントとテオの深い精神的連帯に余人の立ち入る隙はない。兄ビンセントはテオ宛ての手紙にあらゆることを綴る。一方、兄の存在は、テオの恋愛や結婚にも影響を及ぼす。一方、この頃、ヴィンセントは自分の魂の兄弟としてポール・ゴーギャン(ウラジミール・ヨルダノフ)を知る。二人はテオが画策して作った資金で南プロヴァンス地方へ旅行、絵画製作に励むが、ヴィンセントは生来的不安意識からか段々と奇行を繰り返すようになる。或る晩、娼婦の顔に黒の絵の具を塗りまくって興じていたヴィンセントをゴーギャンは止めに入るが、心を病んだビンセントは自らの耳を切り落としてしまう。ヴィンセントは病院に収容され、テオは彼を見舞う。退院後、ゴッホは再び絵画作りに没頭する。そして草の生い茂る黄金色の草原の真っただ中に画布を置いたヴィンセント。彼はしかし、画布には手をつけず、その場を立ち去ろうとした。一発の銃声。死を悼む葬列が、郊外に向けて歩みをたどる。墓の前で読み上げられる弔辞の不躾さ、偽善ぶりに傷ついたテオは、ひとりその場を脱け出した。彼の辿り着いた先もヴィンセントの絵の中のような草原だった。一年後、彼を追うようにテオも逝去したのだった。
 ロバート・アルトマン監督による、ゴッホの生涯を描いた作品。ゴッホの若き日々から、貧困と困窮の中で創作活動を続けつつなかなか世に認められないゴッホと、そんな兄を何かと励ます画商の弟テオとの、お互いへの思いやりと不思議な連帯を細やかに描き、そしてその死に至るまでを語ってゆく伝記映画だ。脚本はジュリアン・ミッチェル、撮影はジャン・ルピーヌ、音楽はガブリエル・ヤーレが担当している。ゴッホを演じるティム・ロスのほか、ポール・リース、ウラジミール・ヨルダノフなどが出演している。
 噂によるとこの映画でゴッホ役を演じたティム・ロスが、実際にのめり込み過ぎて精神病寸前まで行ったらしい。同じゴッホを描いた作品に、『炎の人ゴッホ』 があるが、こちらは未見。こちらはカーク・ダグラスがゴッホを演じ、ゴーギャンをアンソニー・クインが演じている。また観賞してみようと思っているが、『ゴッホ』の方は初めはゴッホ没後100年後の1900年にテレビドラマ用に製作、好評だったため改めて映画として公開された。ボクは本にもなっている兄弟の手紙のやり取りを読んでいたし、ゴッホ展も開催されるたびに見に行っているから余計に興味津々だった。邦題は『ゴッホ』だが、原題は“ヴィンセントとテオ”となっていて、兄弟を主軸にしている。ヴィンセントだけでなく弟の最期も描かれている。兄の死後、同じように精神を患い命を落とす最期は悲痛。そこに割って入るようにヴィンセントにかかわってくるゴーギャンの存在は、また興味深い。このゴッホ役を見事に演じぬいたティム・ロスの迫力は見事。耳を切り落とすくだりは特に衝撃的だ。
 兄弟の墓がオヴェールに並んで存在する。なんとも哀しい風景に見える。映画は全体を通し、色彩が印象派の絵画のようだ。生前、ゴッホの作品はほとんど評価されなかった。あまりにも悲劇的な兄弟の人生だ。永遠に残る芸術を生み出した功績の替わりに払った代償は大きすぎる。天国で、何の気兼ねもなく自由に絵を描いてくれているといいのだけれど。

◎作品データ◎
『ゴッホ』
原題:Vincent and Theo
1990年イギリス・フランス・オランダ合作映画/上映時間:2間20分./松竹富士・アルシネテラン配給
監督:ロバート・アルトマン/脚本:ジュリアン・ミッチェル/製作総指揮:デイヴィッド・コンロイ/製作:ルディ・ベーケ, エマ・ハイター/音楽:ガブリエル・ヤーレ/撮影:ジャン・ルピーヌ
出演:ティム・ロス, ポール・リース, ウラジミール・ヨルダノフ, イプ・ヴィンガールデン・ナン, アドリアン・ブリン

recommend★★★★★★☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★★☆☆☆

  

 自閉症の知的障害のために7歳の知能しか持たないサムは、スターバックスで働きながら一人で愛娘ルーシーを育てていた。ビートルズのことなら何でも知ってる、好きな映画の台詞ならスラスラと暗唱できる、そして周囲の人を色で識別する共感覚の才能を持っている。母親はルーシーを生むとすぐに姿を消してしまったが、2人は施設の仲間、イフティや切手が趣味のブラッド・折り紙が得意なジョー・ちょっと陰謀妄想の入ってるロバートたちの協力、隣人の元ピアニストで外出恐怖症のアニーにも助けられながら、幸せに暮らしていた。しかし、ルーシーが7歳になる頃、その知能は父親を超えようとしていた。娘は自分が父よりも成長してしまうことに苦悩していく。そんなある日、サムは家庭訪問に来たソーシャルワーカーによって養育能力なしと判断され、ルーシーを施設に入れ、里親に預けるべきだと判断され、奪われてしまう。ルーシーを取り戻したいサムは、敏腕で知られる女性弁護士リタのもとを訪ね、裁判で戦うことを決意する。
 『アイ・アム・サム』は、2001年に公開されたアメリカ映画。知的障害を持つ父親と、幼い娘との純粋な愛をビートルズの曲とともに描いた感動作。日本での公開は2002年6月8日。父親役のショーン・ペンがアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。娘役のダコタ・ファニングは放送映画批評家協会賞、ゴールデン・サテライト賞、ラスベガス映画批評家協会賞、ヤング・アーティスト賞を受賞し、映画俳優組合賞の助演女優賞にも最年少でノミネートされた。日本アカデミー賞の外国作品賞にモノミネートされた。
 涙なしでは見れない素晴らしい作品が誕生。かけがえのない娘・ルーシーを純粋に愛し優しく見守る知的障害者・サムをショーン・ペンが熱演。サムのひたむきな姿に、仕事人間だったエリート弁護士リタも大切なものが何か気付かされるが、そのリタを演じるのはミシェル・ファイファー。父親の障害を理解し、全面的に受け入れ父親を愛するルーシーにダコタ・ファニング。もう名子役の代表のようになっている。
 親子の絆を描いた作品は数多くあるが、親子の無償の愛の素晴らしさをこんなに爽やかにピュアに描いている映画は他にないかも。なんと言っても『レインマン』のダスティン・ホフマンにも負けずとも劣らないショーン・ペンの演技は必見。脇を固めるダイアン・ウィーストやローラ・ダーンの存在もいい味を出している。『コリーナ、コリーナ』で監督デビューし、『グッドナイト・ムーン』や『ストーリー・オブ・ラブ』で共同脚本を手掛けてきたジェシー・ネルソンが、製作・脚本も務めての監督第2作。
 このころのショーン・ペンは演技者として乗りに乗っていて、敢えて難役に挑戦することが多かった。でも、観ていて安心で映画の品質は保証されたようなもの。そして全編を彩るビートルズのナンバーが作品をよりドラマティックに見せている。歌曲はシェリル・クロウ、ベン・フォールズら豪華アーチストがカバーしていたりする。サムの語るビートルズ・メンバーの逸話の数々。もうすでに何本もの映画で演技力を証明済みの小役ダコタ・ファニング。彼女の愛らしさ、頭の良さ、演技力がこの作品の魅力を増してる。敏腕弁護士リタを演じるミシェル・ファイファーとルーシーの里親役ローラ・ダーンの演技は多少過剰気味だが、そこはメリハリで気にならない。作品はそのテーマの大きさに押し潰れることなく、素晴らしい作品に仕上がっている。
 冒頭、ルーシーのはサムのことを気遣って、読める字を読めない振りをするシーンからはじまる。泣かされる準備をさせられる。そのあと畳み掛けるようにルーシーの靴を買うためにサムとサムの仲間たちがお金を出し合うシーン。映画として言いたいことは、「障害者の親の資格と、娘の幸せ、親子の絆」か。ただ知的障害者が主人公であることは、設定にすぎず、子を育てるために障害のある人に限定された事ではない。子を持つどの親にも言えること。結局、この作品で親の資格で何よりも大事なのは、子を想う愛の大きさということで結論付けている。公では子供を育つために必要なことは、子を養うだけの経済力であり、子を正しい道に導いていくだけの知能。確かに必要なものだ。だが絶対でない。この映画を観ていると、愛によって築かれた親子の絆こそが絶対だと思わせてくれる。そしてまた、現代社会に失われた大切な想いを持ち得る男によって周囲の者たちが影響され、癒されていくという、さわやかで後味のよい映画に仕上がっているのがいい。エンディング、里親のランディがルーシーをいちばん愛しているのは、父サムであることに気づき、サムの元に連れ戻しやとき「私は裁判で証言しようと思ってたの、誰よりも彼女を深く愛せると、でも言えないわウソになるもの」と言ったランディにサムが「ルーシーの絵の赤い色は、きっと君のことだよ」と言ったシーンは秀逸。

◎作品データ◎
『アイ・アム・サム』
原題:I Am Sam
2001年アメリカ合作映画/上映時間:2間13分./松竹・アスミックエース配給
監督:ジュシー・ネルソン/脚本:クリスティン・ジョンソン, ジェシー・ネルソン/製作総指揮:マイケル・デ・ルカ, クレア・ラドニック・ポルスタイン, デヴィッド・ルービン/製作:マーシャル・ハースコヴィッツ, エドワード・ズウィック/音楽:ジョン・パウエル/撮影:エリオット・デイヴィス
出演:ショーン・ペン, ミシェル・ファイファー, ダイアン・ウィースト, ダコタ・ファニング, ローラ・ダーン

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆