Archive for 11月, 2009


 冬のある日、フランスの小さな村に謎めいた女性ヴィアンヌが娘アヌークを連れて越してきた。レノ伯爵の猛威で因習に凝り固まったこの村の人々の好奇の目が向けられる中、母娘は村人が見たこともないような美味しそうなチョコレートであふれた店を開く。客の好みにピタリと合わせて勧められるチョコレートは人々を虜にし、ヴィアンヌの明るく朗らかな人柄も相俟って、村人はカトリックの断食期間にも教義に反しチョコレートを食べていた。しかし、断食の時期、ミサにも参加しようともせず、私生児を連れていたヴィアンヌは、敬虔な信仰の体現者で村人にもそうであることを望む村長のレノ伯爵の反感を買ってしまい、ビアンヌは村から追放されそうになる。そんな時、ジプシーの青年ルーの船が村にやってきた。やがてヴィアンヌは、村に一時的に滞在しにやって来たルーと思いを交わす。だが、村長はヴィアンヌと楽しそうな村人たちの様子に苛立ちを募らせ、老女アルマンドの誕生日パーティー中、ルーの船は放火され、ジプシーの一行は村を出ていく。そして疲れて眠ったまま息を引き取ったアルマンドの葬式が続く中、ヴィアンヌは荷造りをして、次の土地に移るべく、嫌がる娘を引っ張って出ていこうとするのだった。
 不思議なチョコレートを売る母娘が因習に閉ざされた村を幸せに導くファンタジック・ロマン。宗教と人間関係の複雑な絡み合い、そして大人の事情に飲み込まれている子どもたち、また、愛する人を遠く思い続ける大人たちの感情が秘められた映画である。監督はラッセ・ハルストレム。本当にこの人の映画はどれも好きだ。安心して見ていられる。ロバート・ネルソン・ジェイコブスの脚本がサン・ディエゴ映画批評家協会最優秀脚色賞を受賞した。アカデミー賞で5部門、ゴールデングローブ賞で4部門のノミネーションを受けたが、受賞には至らなかった。
 全編に渡って登場するおいしそうなチョコレートの数々は見どころのひとつだ。しかも、そのチョコレートが、登場人物それぞれの悩みを解決し、幸せに導いて行く。そして彼女自身もこの村で、放浪の旅に終止符を打つ契機を見付ける。クライマックスではグリルされたチキンやラムにチョコレート・ソースがかけられるが、それを食べる登場人物たちのその陶酔の表情が本当においしそうに見える。肉にチョコレートをかけるってどんな味なんだろうと思ってしまうが。おいしそうなチョコレートに眼を奪われ、映画を楽しんでいるうちに、いつのまにか暖かく幸せな気持ちに包まれて見終えられる。
 このユニークな物語の核心が、一風変っており予想出来ない、人々の心のふれあいに対する讃歌だ。人生の美味しい瞬間を探し求める点、そしていかに失意の日々から人が立ち直るかを描いている点に惹かれる。快楽にふけることを許容するだけではなく、人間の弱点や気まぐれを大きく受け入れる寛容さを求めることこそこの物語が伝えるテーマであると思う。人生を通して絶え間なく起こる伝統と変化の衝突の物語。そこではまた、他人にその生活や信条から抜け出すことを許さない不寛容な生き方の帰還が描かれている。結婚の失敗、家族のすれ違い、宗教から生まれる伝統や統制、敬虔の念、気難しい自立心、無鉄砲で優しい旅人、酒におぼれる夫、作品が思い描くランスクネは、様々な人間の存在する、人間的なトラブルと歓喜の両方が存在するファンタジーの村だった。ちなみにこの町は原作者が作り上げた架空の町だ。
 題材がチョコレートなだけに表面上は柔らかい空気に包まれた映画だが、その実、かなり辛辣な心の悩みを抱える人々がたくさん出てくる映画でもある。割と悲惨なストーリーなのになぜか幸せな気分になれる。まあ、とにかくたまらなくチョコレートが食べたくなる映画だ。

◎作品データ◎
『ショコラ』
原題:Chocolat
2000年アメリカ・イギリス合作映画/上映時間:2時間1分/アスミックエース・松竹映画配給
監督:ラッセ・ハルストレム/脚本:ロバート・ネルソン・ジェイコブス/原作:ジョーン・ハリス/製作総指揮:アラン・C・ブロンクィスト, メリル・ポスター, ボブ・ワインスタイン, ハーヴェイ・ワインスタイン/製作:デイヴィッド・ブラウン, キット・ゴールデン, レスリー・ホレラン/音楽:レイチェル・ポートマン/撮影:ロジャー・プラット
出演:ジュリエット・ビノシュ, ジョニー・デップ, ジュディ・デンチ, アルフレッド・モリーナ, レナ・オリン

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★★★☆☆

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 1947年9月、ジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニアは、ニュージャージー州にあるプリンストン大学大学院の数学科に入学した。出身地のウエスト・バージニアで数学の天才と謳われた彼は、この年の栄えあるカーネギー奨学生だった。世の中に起きることは、すべてがナッシュの頭の中では方程式になった。「すべてを支配する真理、真に独創的なアイディアをみつけたい」と、ナッシュは授業に出る時間も惜しんで研究に没頭した。クラスメートたちからも次第に変人扱いされるようになる。そんなナッシュが目指すのは、マサチューセッツ工科大学のウィーラー研究所。だが、行けるのは1人だけ。焦燥感にさいなまれるナッシュを、彼にとって唯一の理解者だったルームメートのチャールズが慰める。。ある日、ナッシュは、150年間も定説とされてきたアダム・スミスの理論を覆す、単純で美しいナッシュ独自の理論を構築して、ウィーラー研究所へのパスポートを手にした。しかし、そこでも彼は満足できなかった。ソ連との冷戦下にあるこの時代に、数学者は第2次世界大戦では暗号解明に貢献した。ナッシュの心に新たな焦燥感が生まれていた。そんな時、諜報員パーチャーという男がナッシュに近づいた。パーチャーはナッシュに、雑誌に隠されたソ連の暗号解読を依頼する。スパイになったナッシュは、世界の危機を救うため、その秘密の任務に心血を注いだ。ナッシュのその奇妙な言動にも、授業で知り合った聴講生のアリシアだけは純粋さを感じ、深い理解を示した。数学だけに明け暮れてきたナッシュは、彼女と過ごす時間に初めて癒しを感じる。やがて、ふたりは結婚した。結婚後も、妻にも黙って秘密の任務は続けていたナッシュ。アリシアが子供を身ごもったころから、ナッシュのプレッシャーはますます大きくなった。命の危険を感じる出来事も重なった。任務を降りたくてもパーチャーは許さない。出没する怪しい人影はソ連側の暗殺者なのか、それとも国防省の監視なのか。ナッシュは恐怖におののいた。極限状態にまで追いつめられ、自分を見失っていくナッシュ。アリシアはそんなナッシュを、ふたりが出逢った町プリンストンに連れて帰る。このまま人間として朽ち果てていくのか。それとも立ち直れるのか。母校プリンストン大学に抱かれるように暮らしながら、ナッシュの静かで長い闘いの日々が始まった。実はナッシュは、大学生の時から統合失調症だった。本人はそうだと気付かずに生活していたが、ある時それが幻覚であることに気づいた。チャールズもスパイも幻覚。妻に支えられて幻覚と闘いながらも、思いがけずノーベル賞を受賞することになった。幻覚症状は治っていないまま、ナッシュは穏やかな心を手に入れており、受賞のあいさつで妻への感謝を述べるのだった。
 「ゲーム理論」の土台を完成させ、その後の経済学に大きな影響を及ぼしたノーベル賞受賞の実在の天才数学者、ジョン・ナッシュの半生を描く物語。アカデミー賞やゴールデングローブ賞などで各賞を総なめにした。求め続け、探し続け、研究に打ち込むあまり、自分の魂のありかさえわからなくなっていくある天才数学者。精神が極限状態に追い込まれ、壊れそうになる自分と闘いながら、やがてノーベル賞を受賞するまでの苦難の47年間を、この映画は丹念に丁寧に描いている。この作品は、冷戦下のアメリカの緊迫した時代に生きる天才学者の危うさを描く一方、何かを求め続ける意志の強さがすべてを克服していくさまを力強く物語っている。また、現実と幻想の境を行きつ戻りつする主人公の心を、一種のサスペンスのように、独特の手法で魅せていく。ジョン・ナッシュを演じたラッセル・クロウは、脚光を浴びた青年時代から一転、心の闇へ突入し、再起を果たすまでの波瀾の人生を、魂のこもった演技で表現した。壊れてしまった天才を愛し、支える妻アリシアには、大人の演技を見せたかつてのアイドルだったジェニファー・コネリー。他にもエド・ハリスやジャド・ハーシュ、クリストファー・プラマーなど芸達者な役者が脇を固めている。
 実際のナッシュはバイセクシャルであり、男性との浮気がもとで離婚しているため、映画化されたナッシュは現実からあまりにも美化されていると物議を醸し出した。また、映画における統合失調症の誇張された描写がこの病気に対する誤解を招くとの指摘もあった。この作品にみられるほどの明瞭な幻視体験は稀なことらしい。しかしボク自身は母の介護の際、こういった幻覚の譫妄状態を目の当たりにしているので、誇張とも捉えられなかった。それを念頭に置いてこの映画を堪能すると、ナッシュに見えた見えないものは天才にこそ見える凡人には見えない何かだと思う。ナッシュは、「ゲーム理論」の発明者としてノーベル経済学賞に輝いた数学の天才。それが独創的な新理論や暗号の解だけならいいが、数々の幻覚や幻聴が現実の人間と対等の存在でナッシュの前に出現し、彼の人生に複雑な影を落とす。天才と狂人は紙一重なのはこれまでも書いてきたセオリー。この映画の斬新さは、通常の表現を避け、世界が天才の目にどのように映り、それに対応していくかという視点を徹底し、その世界を観る側に追体験させてくれる点にあると思う。

◎作品データ◎
『ビューティフル・マインド』
原題:A Beautiful Mind
2001年アメリカ映画/上映時間:2時間15分/UIP配給
監督:ロン・ハワード/原作:シルヴィア・ネイサー/脚本:アキヴァ・ゴールズマン/製作総指揮:カレン・ケーラ, トッド・ハロウェル/製作:ブライアン・グレイザー, ロン・ハワード/音楽:ジェームズ・ホーナー/撮影:ロジャー・ディーキンズ
出演:ラッセル・クロウ, ジェニファー・コネリー, エド・ハリス, クリストファー・プラマー, ポール・ベタニー

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★☆☆☆☆

 米深南部ジョージア州で州立刑務所で死刑囚棟の看守を務めていたハンクは、黒人嫌いの父親バックから、人種偏見と看守の仕事を受け継いだ男。父の代からの南部の死刑囚棟看守ハンクは、父譲りの人種差別主義者。ハンクの考えに疑問を抱く息子のソニーは、看守になったばかり。黒人の死刑囚の夫ローレンス・マングローブの死刑執行が決まり、レティシアは息子と刑務所を訪れ、ローレンスに別れを告げた。ローレンス刑執行の日、任務を満足にこなせないソニーにハンクは怒りを爆発させた。その翌日、ソニーはハンクへの愛を口にしつつ、彼の目の前で自殺する。息子の死の衝撃から立ち直れないハンクは、ハンクは絶望し、看守を辞する。一方、処刑されたマスグローヴの妻レティシアは、息子タイレルが事故死するというさらなる悲劇に襲われる。死刑囚の夫と息子を相次いで亡くした黒人女性レティシアと出会い、お互いの喪失感を埋めるように愛し合っていく。だがやがて、レティシアは、ハンクが自分の夫を処刑執行した男だと知る。ショックを受け茫然とする彼女。しかしハンクと2人で、夜空の星を眺めながらチョコアイスを口に入れると、愛の感情を取り戻すのだった。
 孤独な白人の男と黒人の女が、深い喪失の淵から人生を取り戻そうとするラヴ・ストーリー。監督はこれが日本初公開作となるマーク・フォースター、非白人として初めてのアカデミー賞主演女優賞を受賞したハル・ベリー主演を演じた作品。黒人女性と白人男性の交流と人種への偏見問題も孕んだ恋愛をシビアに描いたドラマである。タイトルも含め、オリジナル英語のセリフと日本語訳との印象の差が大きいらしい。この辺、語学が堪能であるともっといろいろ感じ取れたかもしれない。原題の“Monster’s Ball”は“怪物の舞踏会”という意味で、死刑の執行前に看守達が行う宴会を指す。原題を完全に無視した邦題が付けられている。アカデミー主演女優賞のほか、ベルリン映画祭銀熊賞(女優賞)、ゴールデン・サテライト賞最優秀脚本賞、全米映画俳優協会賞最優秀主演女優賞、フロリダ映画批評家協会賞最優秀主演男優賞、ナショナル・ボード・オブ・レビュー最優秀主演女優賞・最優秀主演男優賞など数多くの映画賞を受賞している。
 家族全員が強固な偏見を持つことでしか親子の絆を確認できなかった差別主義者の死刑執行人と、差別される側に立たされるばかりか愛の矛先である息子を相次いで無残に剥ぎ取られる死刑囚の妻。自分の身を守ろうと必死になるほど彼らの心は傷つき乱される。しかし結局は心から流れる血の温もりですら愛しい。血が流れている間だけは生きていると感じることができる。心が死んでしまう前に、彼らはもう一度だけ人生をやり直してみようと一歩を踏み出す。静かだが深く、抑制されているが寡黙な感情表現が心の痛みを雄弁に物語る再生の物語。ラストに見せるハル・ベリーの表情が忘れられない。まるで不安で儚い表情だが、憎しみを諦め、将来への希望に縋りつくことを決意したかのような、茫然とした、しかし愛を取り戻した表情だったように思う。
 この作品は賞レースに候補となるような成功に導びかれたが、最大の要因は、ドラマの展開より登場人物の孤立の描写に焦点をあてた、監督の知的なアプローチにあると思う。深夜の人けのないダイナーに背中を丸めて入っていく男、カウンターの奥でぼんやり目をあげる女。立ち去る息子の後ろ姿を暗い室内から視線で追う父親。男と女、父と息子を隔てる距離が、こういった細やかな空間が象徴的にそれを描き出していると思う。主役のふたりが結ばれるクライマックス場面のカメラワークも、覗き見するような長回しで男と女の孤独な営みを見つめるのだが、突き放したような視点でとらえられるために、観る側は侘しい佇まいを嫌でも意識せざるを得ない。荒涼とした空気感に、ビリー・ボブ・ソーントンの抑制された表情がぴったりはまる。ファザコンのマッチョから救いを求める脆弱な男へ。役ごとに変幻自在な表現をできるのは、彼ぐらいかもしれない。そしてなんといってもチャンスをつかんだかのようなハル・ベリーの熱演にも大喝采だ。

◎作品データ◎
『チョコレート』
原題:Monster’s Ball
2001年アメリカ映画/上映時間:1時間51分/ギャガコミュニケーションズ配給
監督:マーク・フォスター/脚本:ミロ・アディカ, ウィル・ロコス/製作総指揮:マーク・ウルマン, マイケル・バーンズ, マイケル・パセオネック/製作:リー・ダニエルズ/撮影:ロベルト・シェイファー
出演:ハル・ベリー, コロンジ・カルフーン, ビリー・ボブ・ソーントン, ヒース・レジャー, ピーター・ボイル

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★★★☆☆

 

 19世紀末の北イタリア、ベルガモ。農村は貧しく、小作人としてバティスティ一家は他の数家族と一緒に働いていた。子供の誕生、結婚、親子喧嘩、牛の看病にトマトの栽培。そこには貧しい生活の中にも小さな喜びと悲しみがあった。ある日、バティスティは息子のミネクの表情が暗いのに気づく。ミネクは1足しかない木靴を、学校の石段で割ってしまったのだ。バティスティは息子のために、河の畔に並ぶポプラの木を1本伐り、木靴を作ってやった。ところが、そのポプラは地主の所有物であり、これが原因でバティスティ一家は農場を追われる。バティスティ一家が荷車をまとめていた。少年の腕には、母が夜なべをして縫った学校鞄。この光景を見る者は誰もいなかった。そして、人々は荷車が去ったあとを見守るのだった。
 「偽りの晩餐」「聖なる酔っぱらいの伝説」のエルマンノ・オルミの名を世界的に広めた傑作。映画の題材は19世紀から20世紀への変わり目の時代の封建的社会の犠牲者だった農夫の生活である。エピソードを連ねてじっくりと描かれる、貧しい農夫たちの人間模様。イタリアの新写実主義の継承者と呼ばれたオルミの、素朴ながら重厚なタッチが冴える。いろいろな場面で本物の農夫や素人を起用している。今にも死にそうな牛の世話をする農夫の祈りが実って、奇跡的に牛が回復するエピソードは感動的で、静かだが人と土への愛に溢れる世界観は秀逸。四季のめぐりの中にいっさいのドラマティックな粉飾を排し、悠然と描き出した感動作だ。カンヌ映画祭のパルムドールやセザール賞の最優秀外国映画賞をはじめ14の賞を受賞した。原作は東ロンバルディア方言を使用している。エルマンノ・オルミは監督だけでなく脚本や撮影も兼ねている。音楽はバッハ作曲のオルガン曲をフェルナンド・ジェルマーニが演奏している。
 3時間もの間、静かで淡々として進むイタリア映画特有のリアリズムを追った映画だが、全く飽きることはない。この映画は、貧しさの中で温かさや力強さ、逞しさと言ったものを全面的に押し出してくる映画が多いところ、そういう要素を微塵も取り入れておらず、自然に魅せてくれる。タイトルの「木靴の樹」のエピソードは少ししか出てこないが、それが農民の極限の状況を象徴している。大したストーリーはない。カメラはただ、貧困に耐える農民の日常的な生活風景を、じっと見据えたように丹念に追うだけだ。淡々と映しているだけなのに、なぜこれだけでこんなにも温かさを感じるのだろうか。それはデリカシーに溢れ、叙事詩のような美しさを描き出している。
 同情こそすれ抗議することもできない他の3家族は、村を出て行く家族を物陰からそっと見守るしかなかった。決してハッピーエンドではない。絶望だけでもない。時代の変化が片田舎の村にもじわじわと訪れる気配を漂わせている。村を出る家族にも、微かな光明を感じさせる。全編を自然光だけで撮影されたと言われているこの作品。監督自身が祖母から聞いた話が基になっているらしい。封建的な社会ではどこにでもあったお話。それを大叙事詩として描いたエルマンノ・オルミは素晴らしいと思う。われわれは過去の物語としてではなく、21世紀を迎えた今も同じような問題を抱えている現実をしっかりと見据えることが大事だ。
 ブリューゲルやミレーやテオドール・ルソーのような美しい風景画を漠然と連想させる原風景がとにかく美しいのにも注目。ストーリーにとって重要性なんてないと思われるシーンひとつひとつが、脳裏に焼き付いている。雨でできた大きな水溜りでバタバタするニワトリ。それを見やる少女。おそらく監督の宗教的な目線がテイストとして加わっているせいかもしれない。宗教に敬虔な人々の姿が感動を与えているように思う。どんな状況にあってもキリスト教を崇拝する心を失わない。この作品にはその神様の助けがあるわけではない。それが儚くてたまらない。

◎作品データ◎
『木靴の樹』
原題:L’albero Degli Zoccoli(英語タイトル:The Tree of Wooden Clogs)
1978年イタリア・フランス合作映画/上映時間:3時間6分/フランス映画社配給
監督・脚本・撮影:エルマンノ・オルミ/製作:GPC/音楽:フェルナンド・ジェルマーニ
出演:ルイジ・オルナーギ, フランチェスカ・モリッジ, オマール・ブリニョッリ, カルメロ・シルヴァ, マリオ・ブリニョッリ

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★☆☆☆☆☆

 2001年9月11日。アメリカはいつもと変わりない朝を迎えた。西海岸に僅かにかかっている雲も昼頃には無くなり、全国的な晴天になると予測されていた。ニューアーク空港も、いつものように朝の喧騒に包まれていた。離発着の渋滞が発生し、8時発予定であったユナイテッド93便は、40名の乗客を乗せ、41分遅れてサンフランシスコへ飛びたった。飛行時間は5時間25分。同じころ、ボストン管制センターが最初の異変に動揺していた。ある時点から呼びかけに応えなくなったアメリカン11便と一時的に回線が繋がったとき、機体を制圧したという宣言をする音声を管制官が聞き取ったのである。各所に情報が伝達され動揺が拡がるなか、アメリカン11便はマンハッタン上空でレーダーからその姿を消した。直後、ワールド・トレード・センターの北棟に飛行機が突っ込み、炎上したことが伝えられた。モニターに映された惨状に、連邦航空局は旅客機の衝突を確信する。やがて、アメリカン11便と同様にボストンを発したユナイテッド175便もまた、異様な降下を開始する。その矢先、大勢の見守る目の前で、ツインタワーの残る一棟に突入した。事故でなく、テロだと察知した連邦航空局は、飛行する全ての旅客機に、コックピットへの潜入を警戒するよう呼びかけるメッセージを送信する。だが、その真意が乗員たちに浸透するよりも早く、ユナイテッド93便に登場していた5人のハイジャック犯が動きはじめた。テロリストが爆弾を持って操縦室を制圧。機内は混乱に陥るが、地上で起こっている事態を知った乗客と乗員たちは、わずかな武器を手に立ち上がった。
 アメリカ同時多発テロでハイジャックされた4機のうち、ユナイテッド航空93便の離陸から墜落までの機内の様子を、残された資料や証言などにより可能な限り再現、製作されたノンフィクション映画。製作には遺族のほとんどからの了承が得られている。2棟のビルから立ち上る煙、崩れ落ちていくワールド・トレード・センターの映像を見ながら、それが真実とは誰もが信じられなかった。本作は、9・11のテロ事件でハイジャックされた4機の航空機のうち、唯一、目標に到達せずに墜落したユナイテッド航空93便の物語。そこに映し出された生々しい真実は、圧倒的な臨場感を持って観る側胸にのしかかってくる。監督は、『ボーン・スプレマシー』のポール・グリーングラス。出演者にスターを起用せず、搭乗した乗客の年齢などを考慮して選ばれた俳優たち、そしてリアリティを追求するため実際のパイロットや管制官、客室乗務員役を起用している。そして、空港との無線等には、事件当時の実際の音声が一部使用されている。すでに薄れていく記憶を、まざまざと甦らせる本作は、とても意義深い。ただし、ユナイテッド航空93便の墜落については不審な点も多く、ノンフィクション映画とされてはいるがすべてを現実として鵜呑みにする事は危険かもしれない。カメラワークはわざとぶらしたような効果を出して、まるで観客が体感できるような形で展開する。リアリティ追求のため当時の誤報、情報の錯綜もすべて再現してある。当初はホテルを出発する乗客の姿を写す予定だったが、空港につくまでどの便の乗客が被害者になるのかわからないという描写をとりこみ、すべてカットされている。金や話題づくりのための映画と批判も相次いだが、スタッフの誠実さと熱意なしには成しえなかったことであると評価された。また冒頭はアフガニスタンでウサーマ・ビン・ラーディンと実行犯モハメド・アタとの会話から始まる予定だったが全てカットされている。
 事件当時のニュース映像は唖然とさせた。しかしそれが、いかに歴史的に稀有なテロ事件だということを時とともにわれわれも実感してゆく。そして、この映画を見るとき、『ワーリド・トレードセンター』などを観るよりも、乗客の視点で真実のみを追求した映像で、より悲しみを感じさせる。それぞれの人間ドラマなんて全く描いていないのに、どうして胸の奥底からこみ上げるものがあるのだろう。
 殺されるパイロット、戸惑う乗務員、怯える乗客、そして実行犯の表情。全てがあたかも同じ場所にいる乗客になったかのような感覚に陥ってしく。高度がどんどん下がっていき、死を覚悟した犠牲者たちの心がずしりと伝わってくる。こうした凄惨な現実を題材にした作品は、あり得ない主役を設定し、変なロマンスを加えて台無しにし、ナレーションを大量に被せて作品を感傷に仕上げてしまうことも多い。乗客全員が主役であり、登場するすべての人々がそれぞれの立場から対峙する9・11事件という出来事に照準を合わせている。特定の誰かに感情移入するということでなく、実体験としてこの事件に向かい合うよう誘導している。あまりに徹底しているため、静かに始まる非常事態が、日常からの事件への推移を違和感なく巻き込まれてゆく。派手さはないが、重すぎて繰り返し何度も見られるものではない。しかし、これは忘れてはならないこと。またあらためて向かい合いたい、そう思わせるこの映画は、あの事件からわずか8年しか経っていないが、それでも現れるべくして現れた作品と言えると思う。

◎作品データ◎
『ユナイテッド93』
原題:United 93
2006年アメリカ映画/上映時間:1時間51分/UIP配給
監督・脚本:ポール・グリーングラス/製作総指揮:ライザ・チェイシン, デブラ・ヘイワード/製作:ティム・ビーヴァン, エリック・フェルナー, ポール・グリーングラス, ロイド・レヴィン/音楽:ジョン・パウエル/撮影:バリー・アクロイド
出演:コーリイ・ジョンソン, デニー・ディロン, タラ・ヒューゴ, サイモン・ポーランド, デイヴィッド・ラッシュ

recommend★★★★★★☆☆☆☆
favorite     ★★★★★★★★☆☆

 アイオワ州の田舎町に住む農夫レイ・キンセラは妻と娘の3人は貧乏で平凡だがささやかな幸せの家庭を築いていた。レイは、若い頃父親と口論の末に家を飛び出し、以来生涯に一度も父の顔を見る事も、口をきく事すらもなかった事を心の隅でこうかいしている。ある日レイはトウモロコシ畑を歩いているとふと不思議なお告げを聞く「トウモロコシ畑を潰して野球場にすれば夢が叶う」―その言葉から強い力を感じ取った彼は家族の支持のもと、レイは周囲の反対を押し切って、何かに取り憑かれたように生活の糧であるトウモロコシ畑を切り開き、お告げ通りに行動し、小さな野球場を作り上げる。暫く何も起きなかったが、ある日の晩、娘が夕闇に動く人影を球場にみつける。失意のうちに生涯を終えた偉大な野球選手だった裸足のジョー・ジャクソンたちの霊を見る。ジョーは“ブラックソックス事件”で球界を永久追放され、 “シューレス”ジョー・ジャクソンだった。その日を境に、シューレス・ジョーとともに球界を追放されたシカゴ・ホワイトソックスの8人のメンバーが次々と姿を現わした。その時レイはまたしても「彼の苦痛を癒せ」という幻の声を聞き、彼は1960年代の作家テレンス・マンを訪ねてシカゴヘ向かう。そしてフェンウェイ・パークで野球を観戦中、レイとテレンスは電光掲示板に映ったメッセージを読みとり、今度はムーンライト・グラハムという野球選手を探すことになった。2人はミネソタ州チゾムに彼を訪ねるが、すでにグラハムは亡く、その夜レイはなぜか1960年代のムーンライト・グラハムと出会った。しかしその頃アイオワでは、レイの野球場が人手に渡る危機を迎えようとしていた。アニーからそれを聞いたレイは、マンとともに帰途につくが、道中ひとりの若き野球選手を車に乗せる。実は彼こそが若き日のグラハムだった。アイオワに戻ったレイは、野球場売却を勧めるアニーの兄マークと口論するが、その最中カリンがケガをする。そんなカリンを助けたのが、ドク“ムーンライト"グラハムであった。そしてその時初めて、マークにもこの土地の持つ夢の大きさを知り、売却を撤回した。そしてその夢は、限りない未来への希望で包まれていいた。
 『フィールド・オブ・ドリームス』は、1989年公開のアメリカ映画。W・P・キンセラの小説「シューレス・ジョー」を原作にフィル・アルデン・ロビンソンが監督と脚色を兼任。野球を題材として夢や希望、家族の絆といった、アメリカで讃えられる美徳を描き上げたファンタジー映画だ。撮影はジョン・リンドレイ、音楽はジェームズ・ホーナーが担当。出演はケヴィン・コスナー、エイミー・マディガンほか。特に野球が広く親しまれている国においてヒットし、アメリカでは第62回アカデミー賞で作品賞、脚色賞、作曲賞にノミネートされ、また日本では、第33回ブルーリボン賞や第14回日本アカデミー賞で最優秀外国語作品賞を受賞。全世界で8つのノミネートを受け5つの受賞を果たしたがそのうち4つは日本の映画賞である。日本人向けのノスタルジーを誘う癒される映画だ。映画の撮影は舞台となったアイオワ州北東部、ダビューク西郊の小さな町ダイアーズビルで行われた。劇中に登場する野球場は撮影に際し実際に建造されたもので、撮影終了後も土地の所有者によって保存され、無料で入場することができ、許可を得れば野球の試合をすることもできる。テレンス・マンというって作家、J・D・サリンジャーがモデルという話もある。
 1960年代の熱狂と挫折、その後に続く混乱と倦怠と無関心の日々、政治の横暴と新たな帝国主義、失われていく古き良き時代のアメリカ。しかし、不思議な声を信じて行動するレイの無垢な想いが、断絶したまま死別した父との和解を実現させ、夢破れた人々の心を癒し、古き良き時代のアメリカを蘇らせる。それをアメリカの国技野球を通して、アメリカの原風景ともいえるグレート・プレーリーのトウモロコシ畑を舞台に描いているのが何よりの感動的。そんな1980年代の終わり、何の利益も生まない、ゴーストたちが野球をする球場を守ろうとする主人公とその家族の姿は、アメリカの過去の伝統にもう一度目を向けるよう示唆しているかのようだ。ラスト、死んだ父とレイが2人きりでキャッチボールをする場面も感動だが、その背後で球場に向かうたくさんの車のヘッド・ライトが遥か彼方まで続いているカットこそ真に感動的。

◎作品データ◎
『フィールド・オブ・ドリームス』
原題:Field of Dreams
1989年アメリカ映画/上映時間:1時間47分/東宝東和配給
監督・脚本:フィル・アルデン・ロビンソン/原作:P・W・キンセラ/製作総指揮:ブライアン・E・フランキッシュ/製作:ローレンス・ゴードン, チャールズ・ゴードン/音楽:ジェームズ・ホーナー/撮影:ジョン・リンドレー
出演:ケヴィン・コスナー, エイミー・マディガン, ギャビー・ホフマン, レイ・リオッタ, ジェームズ・アール・ジョーンズ

recommend★★★★★★★☆☆☆
favorite     ★★★★★★★☆☆☆

 舞台は1959年のバーモントのウェルトン・アカデミー。全寮制で高い進学率を誇るこの名門校に、OBである新任の英語教師キーティングが赴任してくる。彼は型破りな授業を行い、また人生を楽しむ心を説いていった。ノーラン校長の監理下、厳格な規則に縛られている学生たちは、このキーティングの風変わりな授業に、最初はとまどったが、次第に刺激され、新鮮な考えに目覚めていった。ある日、生徒のひとり、ニールが学校の古い年鑑に、キーティングが学生時代、“デッド・ポエッツ・ソサエティ”というクラブを作っていたことを見つけ、ダルトンやノックス、そしてニールの同室である転校生のトッドらと共に、近くの洞窟でクラブを再開させた。自らを語りあうことで自分がやりたいものは何か自覚していった。ノックスはクリスとの恋を実らせた。ニールは俳優を志し「真夏の夜の夢」の舞台に立った。しかし二―ルの父親はそれを許さず、陸軍士官学校に転校させようとして、ニールは自殺してしまう。学校側は、退学処分を切り札に“デッド・ポエッツ・ソサエティ”のメンバーに証言を強要、煽動者としてキーティングの退職へと事態を進展させたのだった。キーティングが学院を去る日、トッドたちは校長の制止も聞かず机の上に立ちキーティングを見送る。それは彼らのせめてもの抵抗の証しであった。
 ナンシー・H・クラインバウム原作小説をピーター・ウィアー監督が映画化した作品。ニューイングランドの全寮制学院を舞台に、学生たちの愛と生、そして死を描くドラマだ。この作品はアカデミー賞で脚本賞を受賞している。
 原題の“Dead Poets Society”は劇中の詩読サークルの名前で、邦題とはかけ離れている。邦題の「いまを生きる」は劇中でキーティングが発するラテン語“Carpe Diem”の日本語異訳。少し邦題がださいと感じるが、かといって「死せる詩人の会」と直訳するのもホラー映画のようになってしまう。これはすべて没した古典的詩人の作品のみ読むことからつけられた。また厳密には「いまを生きろ」ないしは「いまを掴め」といった意味になる。ジョン・シールが撮影したドラマの背景となる、初秋から冬にかけてのニューイングランド地方の風景がとても美しく印象的だ。教師と生徒の信頼で結ばれた関係が、独特の映像美の中で展開する。迷いや悩み、自分の殻から抜け出すことのできなかった生徒が「キャプテン、マイ・キャプテン!」と言いながらキーティングを支持するラストは圧巻だ。ロビン・ウィリアムズもはまり役で、静と動を使い分けた演技を披露している。
 この映画で、学生たちが生き生きとしてくるところまでは、普通の学園ドラマにありがちな展開だ。二―ルが自殺をしてしまうあたりから、この映画は雰囲気を陰に変えてゆく。思った通り、キーティングは通常からはみ出したものとして、学校を追われてしまう。尊敬できる人間でも、異端はなかなか社会には受け入れられないのだ。それがとても哀しい。
 厳しい規則でがんじがらめに生徒を縛り付ける学校に新風を吹き入れるキーティングの姿は感動的で、人としてとても大事なことを教えてもらったような気がする。同じものを角度を変えて見ると全く違ったものが見えてくるように、物の考えや感じ方も十人十色なわけで、臨機応変に対応できたら今より人生を楽しむことが出来るのかもしれない。自分自身もそんな生き方をしたいと思う。中で出てくるフロストの言葉が印象的で、覚えておきたいと思うけど、なかなか覚えきれない。「森へ行ったのは思慮深く生き、人生の真髄を吸収するためだ。生活でないものは拒み、死ぬ時に後悔のないよう生きるため。森の分かれ道で人の通らぬ道を選ぼう、すべてが変わる」―この映画に学生時代に出会い、この言葉の意味を理解できていたら、と今思う。

◎作品データ◎
『いまを生きる』
原題:Dead Poets Society
1989年アメリカ映画/上映時間:2時間8分/ブエナビスタ配給
監督:ピーター・ウィアー/脚本:トム・シュルマン/原作:ナンシー・H・クラインバウム/製作:スティーヴン・ハーフ, ポール・ユンガー・ウィット, トニー・トーマス/音楽:モーリス・ジャール/撮影:ジョン・シール
出演:ロビン・ウィリアムス, イーサン・ホーク, ロバート・ショーン・レナード, ジョッシュ・チャールズ, ゲイル・ハンセン

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