南アフリカ、ヨハネスブルクのスラム街、ツォツィは自分の本名と過去を封印し、幼い頃からたった1人、社会の底辺で生きてきた。仲間とつるんで富裕階級の人間から暴力で窃盗をしたり、カージャックを繰り返していた。ある日、高級住宅街にやってきたツォツィは、黒人女性が運転するベンツを見かけ、女性を脅し撃って車を盗んで逃走。しかし、後部席に生後間もない赤ん坊がいることに気が付く。紙袋に赤ん坊を入れ、自分の部屋に連れ帰る。しかし、どうしていいかわからないツォツィは途方に暮れ、女手ひとつで子供を育てているミリアムと出会う。
 南アフリカの社会派作家アソル・フガードの原作での時代設定は1960年代。つまり元はアパルトヘイトノ時代の話これを現代に置き換え映画にしたのはギャヴィン・フッド。本作の成功により次回作でメジャーデビューを果たす予定の南アフリカ出身の新鋭。アパルトヘイト廃止から10数年経った今、アパルトヘイトは過去のものとなり、民主的な国家が誕生したものの、長年来続いた政治がもたらした差別や格差社会に苦しむスラム街は同じなのだろうと思う。主人公の名前「ツォツィ」は南部ソト語で「チンピラ」を意味するスラング。社会の底辺で暴力に明け暮れてきた少年ツォツィが、生後間もない赤ん坊と出会ったことで人間性に目覚めてゆく姿を描く。2005年のイギリスと南アフリカの合作映画。スラム街はヨハネスブルグの旧黒人居住区ソウェトを舞台に選ばれた。サウンドトラックでもそのソウェトで育った人気歌手Zolaを起用し注目を集めた。第78回アカデミー賞の外国語映画賞を始め、デンバー国際映画祭観客賞、エジンバラ国際映画祭最優秀作品賞・観客賞、トロント国際映画祭観客賞、アメリカ映画協会国際映画祭観客賞、セントルイス国際映画祭観客賞など多くの賞を受賞している。主人公の少年を演じて圧倒的な存在感を見せつけた新星プレスリー・チュエニヤハエに注目、彼も南アフリカの治安の悪い地域で育ち、息子の行く末を案じた母の勧めで演劇を始めたという経緯を持つ俳優だ。
 2007年アカデミー賞の外国語映画賞の受賞を受けて日本での配給が決定したが、未成年者による殺傷シーンがあるため、映倫の規定によりR-15指定を受けていた。配給会社の日活の再三のPG-12指定への変更の再審査要求の経緯を受けてか、DVD購入やレンタルは15歳未満でも視聴可能になっている。
 主人公の少年は、過去を封印し誰にもかつての自分を語らない。名前すらも。そしてチンピラを意味するツォツィと呼ばれている。主人公は、病気で寝たきりの状態にある母親と暴力的な父親のもとで育ち、家を飛び出してからもただただ冷酷に生き延びることだけを信条とし、本来の名前を捨てたというバックボーンがある。仲間とともに人を襲い、物を盗んで生活する、きっとそこには空虚な想いがあり、自分に対する憎しみや怒りの感情が見え隠れするのだ。だからピュアな部分が残されているのだろう。たまたま盗んだ自動車内に赤ん坊が取り残されているのを発見、なぜか自らの手で育て始めようとするのだ。この心情の経緯はちょっと解せない。だけど、愛情を受けずに育った少年は愛情を注ぐ対象を見出すことで初めて愛情を知るのかも知れないと知らされた気がする。原作の時代設定をあえて現代に変えたことで物語のリアリティは増しているのだろうか。現地を知らないからよくわからないが、違和感なく差別の存在を感じた。テーマ的には南アフリカの超格差社会が生み出している現状を、少年の瞳を通じて訴えているのだろう。しかし、ボクに伝わったのは少年の苛酷な状況と、赤ん坊という未来への希望。少年の過去・現在・未来を痛切に感じてならない。逮捕されはしたが、多分、失った自分の本質を取り戻していったと思う。ラスト、警官の呼びかけに対する少年の選択に、何かが見てとれた気がした。監督は、物語の結末を数パターン用意していたらしい。監督が最後に選んだ結末は用意していたものではなく、多くの問題を抱えながらも希望を持ち続ける、今の南アフリカを表している結末だ、と言っているそうだ。ツォツィが流した涙は、南アフリカの現在を洗い流し、将来に光をもたらす滴だったのだろう。

◎作品データ◎
『ツォツィ』
原題:Tsotsi
2005年イギリス・南アフリカ合作映画/上映時間:1時間35分/日活・インターフィルム配給
監督・脚本:ギャヴィン・フッド/原作:アソル・フガード/製作総指揮:ロビン・リトル/製作:ピーター・フダコウスキ, ポール・ラディ/音楽:ポール・ヘプカー, マーク・キリアン/撮影:ランス・ギューワー
出演:プレスリー・チュエニヤハエ, テリー・ペート, テネス・ンコースィ, モッスィ・マッハーノ, ゼンゾ・ンゴーベ

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