1930年、大恐慌時代のカリフォルニア。小柄で頭が切れて博識のあるジョージと、巨漢で怪力だが知恵遅れのレニーの2人は、農場から農場へ渡り歩きながら労働に明け暮れる日々を続けていた。ジョージは、気持ちの優しい男だが他愛のない失敗ばかりするレニーの面倒に巻き込まれ尻拭いをするのが日常茶飯事だった。そしてレニーは行動の全てをジョージに支持してもらい頼りきっていた。自分たちの夢を語り合う2人は、次の仕事先であるタイラー牧場に到着した。新しい仲間と仕事にも慣れ、彼らの夢に賛同するキャンディの言葉に、夢が現実に近づいたように思えた2人の気持ちは弾んだ。しかし牧場の雇い主の息子カーリーは彼らに敵意を持っていた。ある晩、カーリーはレニーに暴力を振い、レニーは誤ってカーリーに大怪我を負わせてしまう。リーダーのスリムの機転でその場を切り抜けるが、ある日曜日、納屋の中で死んでしまった子犬を抱え、悲嘆にくれるレニーの前に暇を持て余したカーリーの妻が現れた。レニーは彼女を小動物を愛しむように触っているうちに、力の加減がわからなくなり、首を折って殺してしまう。自分のしてしまったことに驚いたレニーは逃亡した。死体を発見し、事情を察したジョージとキャンディはなんとか隠そうとしたが、カーリーに知れみんなで銃を持ってレニーを追うことに。レニーを見つけたジョージは、他人の手にかかるくらいならと思い、レニーを射殺するのだった。
 気鋭ゲイリー・シニーズがアメリカの代表的作家ジョン・スタインベックの同名小説を基に映画化した人間ドラマ。経済不況の時代に、社会の底辺に生きる2人の男の姿を描く。監督・製作は『フォレスト・ガンプ』での負傷兵役が記憶に鮮明なゲイリー・シニーズ、ジョージ役も務め、レニーのジョン・マルコヴィッチの怪演を静かな演技で変化を与えている。
 実に地味な邦題だが、ノーベル賞作家スタインベックの原作を、そのまま映画化したため、特別奇をてらったわけでも意味深なわけでもないと思う。この原作は戯曲形式で書かれていていかにも忠実な映画化だ。“Of Mice and Men”はスコットランドの詩人ロバート・バーンズの詩「ハツカネズミ」の第7節から拝借したもの。「ハツカネズミと人間のこのうえもない計画も、やがては狂い、あとに残るはただの悲しみと苦しみ、約束のよろこび消えはてぬ」というあまりにも作品の内容そのもの。2人の対比が“二十日鼠”と“人間”に喩えられている。スタインベックの作品の映画化、『怒りの葡萄』や『エデンの東』とは一線を画する感じがする。
 言葉少なに淡々と描かれるジョージの人間像が、より人間の優しさと悲しみを浮き彫りにする。悲劇的な結末を迎えてもいつまでも温かさと切なさが胸に残る。物語は木曜日の夕方、ジョージの犯罪から逃げ、日曜日の夕方、次の犯罪である殺人を犯すまでの4日間を、農場だけを舞台に描かれる。2人にはある夢があった。お金を貯めて農場を持つこと。レニーはいつもその夢物語を寝る前の子供が親にせがむようにジョージに語らせる。うざったく思いながらも、ジョージも夢中になって話し始める。夢物語だった遠い話が、自分も仲間に入れてくれるなら、資金を提供するという老人の申出に、急に現実味を帯びてくる。3人が自分たちの農場の夢に胸膨らませているときがいちばん幸せだったのだと思う。からかわれた力加減のわからないレニーに、責任を問うのは難しい。レニーを殺すしか方法はなかったのだろうか。2人の営む農場が目に浮かぶようだ。そうなってほしかった。
 資金提供を持ちかけた老人がこう言う場面がある。最愛の犬を殺される場面だ。「あの犬は自分で撃てばよかった。よそのやつに撃たせるんじゃなかった」―ジョージにはその言葉が引っ掛かっていたに違いない。レニーがいなければ独りなららくらく生きられる。でも、レニーはジョージを必要としている。もうこれ以上護れないというジョージの悲鳴が聞こえるようだ。

◎作品データ◎
『二十日鼠と人間』
原題:Of Mice and Men
1992年アメリカ映画/上映時間:1時間50分/UIP映画配給
監督:ゲイリー・シニーズ/製作総指揮:アラン・C・ブロムキスト/製作:ラス・スミス, ゲイリー・シニーズ/原作:ジョン・スタインベック/脚本:ホートン・フート/音楽:マーク・アイシャム/撮影:ケネス・マクミラン
出演:ジョン・マルコヴィッチ, ゲイリー・シニーズ, シェリリン・フェン, レイ・ウォルストン, ジョー・モートン

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