ロックト・イン・シンドローム―脳梗塞が原因で全身の筋肉が麻痺し、ほぼすべての運動機能が失われる症状。昏睡状態から病院で意識を取り戻したフランスの人気雑誌エル誌編集長ジャン・ドミニク・ボビーは、自分がどのような状態であるか分かるのに時間がかかった。左目のまぶた以外を動かすことができない。言葉を発することができない。意識ははっきりしている。彼に、言語療法士のアンリエットはまばたきでコミュニケーションを取る方法を学ばせる。愛する妻子や言語療法士ら周囲の心優しい人々に支えられながら、やがて彼はそのまばたきで自伝を書き始めた。たとえ体は潜水服を着ているように動かなくても、蝶のように自由に羽ばたく記憶と想像力で。そこには友達、帰らぬ日々、恋人、そして家族への溢れんばかりの想いが詰まっていた。
 有名ファッション誌の編集長として人生を謳歌する人生から一転、脳梗塞で左目のまぶた以外の自由が効かなくなってしまった男の実話を映画化。原作は主人公自身が20万回のまばたきで綴った自伝小説。監督は『夜になるまえに』のジュリアン・シュナーベルが務めている。主人公は当初ジョニー・デップが予定されていたが、彼は『パイレーツ・オブ・カリビアン』の撮影を選んだ。代わりに抜擢されたのが『ミュンヘン』の好演が記憶に新しいマチュー・アマルリック。ストーリーや展開は実にシビアだが、その中に温かみのあるユーモアがあり、独特の映像美も侮れない感動の実話。
 冒頭の何とも衝撃的な目線がカメラになった映像、そしてさらに右目を縫い付けるシーンまで、糸を通した針が目前に大写しになる叫びたくなるほどのシーンは、さすがにホラー好きのボクでも目を覆いたくなった。
 タイトルを直訳すると「潜水服と蝶」。潜水服とは身にまとった不自由な状態を表し、蝶はその中にあって彼の自由な思考や想像力を表現している。映像の中に比喩が表現されている。絶望的な状況の中で生きる希望を見出す主人公とそれを支える人々。監督は、派手な演出を排除し、冷静さを持って淡々と描く。主人公の目線だけで綴られていくネガティブな前半、後半は一転して希望を持ち広がってゆく想像力に呼応するようにカメラが自由に動きまわる。心情を視覚化したその手腕には恐れ入る。実在する原作者でもある本人を撮影したドキュメンタリー「潜水服と蝶-20万回の瞬きで綴られた真実」も作られた。「はい」は、まばたき1回。「いいえ」は、まばたき2回。次は、使用頻度順にアルファベットを読み上げていく。使いたい文字が読まれたらまばたきすることで、単語を作っていく。何とも根気のいる作業。しかし、絶望の淵からこの途轍もない根強さで希望を著した。日本語のタイトルが実にすばらしい。蝶の夢―自由にはばたく想像の世界ではどこへでも行くことができる。ロックト・イン・シンドロームに陥ったところから彼の経験、記憶、想像を丹念に追い、彼自身の独白を挿入する。ここに至るまでの主人公の葛藤がすべてまばたきによって語られたかと思うと感動する。深刻な状況にもかかわらず、ユーモアを忘れないウィットに富んだ彼の存在は、蝶の如く自由な想像力だ。
 その著作「潜水服は蝶の夢を見る」はフランスで14週、イギリスで6週連続ベストセラー1位を記録、全世界31ヶ国で出版され、世界を驚愕と感動で包み込んだ。ジュリアン・シュナーベル監督の最高傑作と言えるだろう。死に直面して初めて気づく生の重みに、今気づかせてくれたこの作品に感謝したい。
 第80回アカデミー賞では監督賞、脚色賞、撮影賞、編集賞にノミネートされたほか、数えきれないほどの賞を受賞している。ボクは昨年のベスト1作品に選んだ。

◎作品データ◎
『潜水服は蝶の夢を見る』
原題:Le Scaphandre et le Papillon(英語タイトル:The Diving Bell and the Butterfly)
2007年フランス・アメリカ合作映画/上映時間:1時間52分/アスミックエース配給
監督:ジュリアン・シュナーベル/製作総指揮:ジム・レムリー/製作:キャスリーン・ケンディ, ジョン・キリク/原作:ジャン・ドミニク・ボビー/脚本:ロナルド・ハーウッド/音楽:ポール・カンテロン/撮影:ヤヌス・カミンスキー
出演:マチュー・アマルリック, エマニュエル・セニエ, マリ・ジョゼ・クローズ, アンヌ・コンシニ, パトリック・シュネ

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