the power of one 
 1930年代の南アフリカ、ここで生まれたイギリスの少年PKは、両親を亡くし、寄宿学校に預けられた。リベラルな初老のピアニストであるドクに、音楽を教わった彼は同時に、大自然の中では人間はみな平等であることを教わり、やがて囚人のコーラスを指揮、自虐に陥った彼らと自己表現の喜びを共有する。そして幼い頃から、囚人のリーダーであるピートにボクシングを教わり、熟練した力を持った彼は、自らすすんで黒人選手と闘うことで人種差別の愚かさを訴える。オランダ移民の理論的指導者の娘と恋をした彼は、父親に猛反対されても気持ちを貫く。しかし、彼の力も大きな偏見の壁には勝てず、立ち去ることになってしまうのだった。
 この映画では音楽や恋愛も描いているが、何といっても話の中心にあるのは差別問題だ。“いじめ”の対象であったことから逃げ出すために覚えたボクシング、それを通じて出会ったモーガン・フリーマンとのふれあいで、自分たち白人と、彼ら黒人との間に生まれながらにしてある隔たりを、主人公PKは身を持って感じてしまう。彼を救世主として崇める黒人たちと、普通の少年でいたい自分との間で揺れながら、成長してゆくPKの姿は実に美しく痛ましい。
 『ロッキー』を作ったジョン・G・アビルドセンだから、ボクシングのシーンは自然に溶け込めた。しかし、ボクシングで英雄になった人間の夢を描ききれず、そこから波及する社会的なドラマを描こうとすることには、少々無理があったようだ。結局、結果として何も生むことなく逃げなければならなくなってしまっては、英雄観もしぼんでしまう。“パワー・オブ・ワン”……“人ひとりの力”なんてたかが知れてる―ということをまざまざと観る側に感じさせてしまっては、この映画の意味はなくなってしまうような気がする。
 かつて、ボクは「日本の差別なんて、外国の人種差別に較べれば大したことはない」と思っていたことがった。同和問題や性差別など日本にもいろいろな差別があるけれど、映画や小説や事件で知る限り、諸外国の黒人差別の問題の大きさには到底足許にも及ばないと思う。いや、日本のそういった問題をないがしろにするつもりはないし、真剣に考えなくてはいけない問題だと思う。しかし、地球規模で問題を考えるときにはやはり切実さが違う。別に人種差別の何をどこまで自分が知っているかといえばほとんどわかっていないだろうけど。『パワー・オブ・ワン』ではモーガン・フリーマンがうんこを食べさせられる。こんなことが果たして日本で起こるだろうか? 結婚に不利だとか、就職に影響するとか、そんなレベルじゃあないでしょう。食えます? うんこですよ、うんこ。
 一時期のスパイク・リーのように自分の映画に必ずその辺の問題提起を掲げる監督もいたが、直接的に真っ向から取り組んだ映画は実に多い。いまだにこんなに多く作られるのはまだまだ認識不足なんだと思うモーガン・フリーマンやデンゼル・ワシントンが出てくる映画に黒人の不利益が出てこない映画が果たしてあっただろうか。こういう映画は、思想とか価値感とか偏見とか絡んでくるから、描くことが非常に難しい。娯楽として映画を捉えている人々に、押しつけでなくどこまで入り込めるかは娯楽映画の何十倍もの手腕を必要とするだろうと思う。
 すこし影を潜めたが、日本にも“いじめ”の問題がはびこっていた。この映画では、主人公がこうなったもともとの原因は“いじめ”にある。彼はいじめられる側にあったから、差別される側の痛みがわかるのだろう、と受け手に思わせるがための、ストーリー設定だと思う。たまたま同和問題とか知った時期にこの映画を見たので、一応ボクの胸は痛んだ。所詮、他人ごと的同情の範疇を超えはしないだろうが、自分にあてはめたりもした。かつて、自分が“いじめ”に遭う要素はなかったわけではないのになぜ自分は“いじめ”に遭わなかったのだろう。自分では“いじめ”の対象にさせない雰囲気を放っていたとは思えない。小中学生時代ひ弱で不健康だったボクは、ある意味では絶好の“いじめ”の対象だったはずだ。周りがやさしかったのだろうか。教師の指導が優れていたのだろうか。そうでもないような気がする。確かに極悪非道なクラスメイトはいなかったのかもしれないが、不良と呼ばれる連中はいた。ただ、彼らはボクにかかわろうとすらしていなかったから、対象にもならなかったのかもしれない。友人の少ない、独りでいることの多かったボクは、多分いじめる側の一人にもならなかったとは思う。おそらく、グループの中での小さな諍いや争いが、犠牲者を必要とするときに、そのグループの中からたまたま適した人間がいじめられる側に回るのだろう。昔の集団リンチとかよりも、“いじめ”の方がたちが悪い気がする。“大勢の中の一人”という感覚がいちばんいけないのだ、と思う。人種差別だって“いじめ”と一緒だ。将来、もし、子どもを持つようなことがあったら、もっと真剣に考えるのだろうな。でも、今のうちは、ちゃんといろんなことに一応の揺るがない自分の意見を持っておこう。いざ自分が問題の輪の中に入ることが絶対ないとは言い切れない。たとえ、そのときいろいろな感情やしがらみに負けようとも、一応かつて考えたことがあった事実だけは胸中に残ると思う。勝つ、ということは大変なことなのだと、身に沁むかもしれない。我々なんて、ちっとも強くなんかないのだから、パニックに陥ったらわがままなもんだ。でも、こうしてときどき映画に自分の甘さを律してもらって、少しぐらい人生に反映させたいよな。

◎作品データ◎

『パワー・オブ・ワン』
原題:The Power of One
1992年アメリカ映画/上映時間:2時間7分/ワーナーブラザーズ映画配給
監督:ジョン・G・アビルドセン/製作総指揮:スティーブン・ルーサー, グラハム・バーク, グレッグ・コート/製作:アーノン・ミルチャン/原作:ブライス・コートネイ/脚本:ロバート・マーク・ケイメン/音楽:ハンス・ジマー/撮影:ディーン・セムラー
出演:スティーブン・ドーフ, モーガン・フリーマン, ジョン・ギールグッド, ガイ・ウィッチャー, アーミン・ミュラー・スタール
 
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