the piano
  19世紀半ばのニュージーランド。エイダは娘フローラと1台のピアノだけを携えて、スコットランドからスチュワートのもとへ嫁ぐためにやってきた。スチュワートはピアノは重すぎると言って海辺に置き去りにし、親子だけを迎え入れた。ピアノはスチュワートの友人ペインズの土地と引き換えにされてしまう。6歳からなぜか口の利けなくなったエイダにとってピアノは彼女そのものだった。ぺインズはピアノをレッスンしてくれればピアノを返すという。レッスン1回につき黒鍵を1つ。初めはペインズを嫌っていたエイダだったが、やがて心は彼に傾き始めレッスンはピアノから情事へと変わって行く。しかし秘密のレッスンを知ったスチュアートは激怒しピアノをぶち壊し、演奏できないようにとエイダの指を切り落としてしまう。エイダは壊れたピアノを海深く沈め、娘とペインズとともに島を去った。

 ボクは「映画は何がいちばん好きか」と訊かれると『リバー・ランズ・スルー・イット』と応えることにしているが、本当はこの『ピアノ・レッスン』がいちばん好きなのかも知れない。このころサリー・ポッター、アグニエスカ・ホランドとともに新進気鋭の女流映画監督として注目を浴びていたジェーン・カンピオンは『エンジェル・アット・マイ・テーブル』という秀作を作り上げ、ついに『ピアノ・レッスン』で華開いた。カンヌ映画祭で最高賞のパルムドールと主演女優賞。アカデミー賞では脚本賞・主演女優賞・助演女優賞を獲得した。ジェーン・カンピオンは監督賞にノミネートされ、受賞こそ逃したが、初の女性監督賞受賞なるかと騒がれた。作品自体も評価をされ、受賞は自身の脚本賞にとどまるがその演出たるや骨太で官能的なものだった。その映画を盛り上げるマイケル・ナイマンの美しい音楽とスチュワート・ドワイバラの繊細な映像は筆舌に尽くしがたい。エイダが指を切り落とされるシーンは残酷だが実に美しい。海辺に傘をさしてピアノの脇に座るエイダの構図、フローラの海辺のダンスは際立って美しい。
 そして、俳優陣の豪華さとその演技も見逃せない。スチュワートを演じるサム・ニール、ペインズを演じるハーベイ・カイテルは素晴らしいが、残念ながら母娘の演技の方に圧倒される。娘フローラをアンナ・パキンが演じ、助演女優賞を11歳で受賞した。テイタム・オニールがいたために、最年少受賞に数か月及ばなかったが、これは奇跡だ。そして何と言っても『ブロードキャスト・ニュース』でのキャリアウーマンのイメージの強かったホリー・ハンターが台詞を一言も発することなく、言葉よりも饒舌に感情を表現している。表情、仕草、そしてピアノの音色、この演技でこの年の主演女優賞を総なめにしたのだ。すっぴんで皺も染みも露にし、それでも強さを秘めた美を表現する彼女の強かな演技に圧倒された。
 情事1回とピアノの黒鍵ひとつを交換するというのは言葉で聞くと陳腐だが、そこから愛へと変化してゆく過程は美しい。三角関係、夫への反発、ピアノへの同化、わがまま放題なエイダは夫に力でねじ伏せられる。しかし、エイダに共感して見ている我々には、その気持ちの移り変わりは至極当然な気持ちの変化に映る。エイダの屈折した湿った偏愛はピアノを棄てた時点で女の強い意思に見えてくる。ピアニストにとって指を切り落とされることは命を奪われたと同じ。だが、口も利けず、ピアノを弾くことすら奪われ、それでもなお憐憫よりも強靭さを感じるのはなぜだろうか。
 残念なのはタイトル。原題も英語タイトルも“The Piano”だったのに、日本にこの映画が来たときは近い作品で邦題が『ザ・ピアノ』というのがあったからという理由だけで変更を余儀なくされ『ピアノ・レッスン』という何とも陳腐な邦題になってしまったことだ。ピアノが彼女そのものではあったけれど、レッスンは愛へと発展した手段に過ぎない。ピアノだけではないレッスンに含みを持たせたエロチシズムな邦題だったのかもしれないが、少しいただけないなと感じた。
 我々も、時として、理性とかモラルを超えた衝動に駆られる時がある。でもそれを貫くと悲劇的な結末を迎えることが多いと思う。けれども、この作品では、それを勇気あることとして賞賛している。肉体に照準を絞る時に、それは媚薬であり、欲求である。モラルをも超えたとき、それは美となり、胸を深くえぐることとなるのではないだろうか。そして、それを赦してしまう観客は罪な生き物である。しかし、ボクはこの映画を観て以来、この映画に勝る愛の表現に映画で出会っていない。

◎作品データ◎
『ピアノ・レッスン』
原題:The Piano/英語タイトル:The Piano
1993年オーストラリア映画/上映時間:2時間1分/配給:フランス映画社
監督・脚本:ジェーン・カンピオン/製作総指揮:アラン・ドパルデュー/製作:ジェーム・チャップマン/撮影:スチュワート・ドワイバラ/音楽:マイケル・ナイマン/衣装:ジャネット・パターソン
出演:ホリー・ハンター,サム・ニール,ハーベイ・カイテル,アンナ・パキン,ケリー・ウォーカー
 
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